第9話 褒めても踏んでやらないぞ

 翌朝、事件は起きた。


「あいつ、どこ行ったんだよ」


 目を覚ますと隣にいたはずのリノがどこにもいなかったのだ。セルシスたちはトイレじゃないかと言っていたけれど、体感で三〇分くらいは経った。まさか攫われたのか。あるいはどこかで事故にあったか。とにかく探しに行かないと。


 リノが戻ってきたときのために彼女たちはその場にいて貰うことにした。セルシスは自分も探しに行くと言って聞かなかったけれど、マリアさんたちだけを残して行くわけにもいかない。万が一、襲われたときにカミュを庇いながら一人で戦うのは厳しいだろう。


 無理矢理言い聞かせて、僕は走り出した。


 森はどこまで行っても同じ光景で、どれくらい走ったか見当もつかない。迷ったら本末転倒なので直線で探す。三〇分くらい走っても何もないので引き返す。セルシスたちが見える位置まで戻ったら、次は違う方向へ。方向を変える度に焦りが募った。


 どっか行くなら声かけろよ、あの馬鹿。


 一度セルシスたちのところへ戻るけれど、リノは戻っていなかった。


「リノちゃん、無事でしょうか」


「馬鹿だけど強いからな。無事だとは思うよ」


「ぃの、まら?」


「大丈夫、必ず見つけてくるよ」


 ついカミュにカッコつけてしまったけれど、正直見つける自信がない。手がかりが全くないのがキツい。闇雲に探しても不安が膨らんでいくだけだ。せめて、どの方面に行ったか分かればまだ希望が持てる。地面がぬかるんでいれば足跡が残ったものを。


 一言も喋らないセルシスは顔が真っ青だった。


「おい、どうした?」


「……えっ、……べつに、私は、平気よ」


「いいから、横になってろ」


 セルシスの肩に触れると、彼女が震えているのが分かった。思い詰めた眼差しが僕へ向けられる。彼女はその小さな手で僕の腕を握って、潤んだ瞳を細めた。彼女の手のひらもまた硬かった。


「どうしよう……私の、せいだ……」


「違う。セルシスのせいじゃない」


「私が、消えろって、言ったから……リノが、消えちゃった……」


 言葉には力がある。けれどそれは正しい音を紡いだときだけであって、喧嘩の罵声程度で実現したりしない。そんな都合のいいものではない。それはセルシスだって知っているはずだ。


 それでも責任を感じているのだろう。今の彼女は、とても僕の頭を踏んでいた幼女には見えない。脆すぎる。いや、今までが異常だったのだろう。彼女が幼さを捨てなければならなかった、この世界の設計が狂っていたのだ。


 人類が間違っているという神様の判定は正しい。けれど、それを正すための手段が間違っていた。


 その結果が彼女たちだ。


 間違った手段は間違った結果を生む。だから鬼王は破れた。僕とセルシスたちが共生していることもそうだ。


 神様は万能ではない。次の手段が正しいとは限らない。また間違い、悲惨な結果を生むかもしれない。それが繰り返されるならば、神様というシステムそのものが間違っていると言わざるを得ない。だとしたら、それは一体、誰が正すのだろうか。


 セルシスの頭を撫でて、できるだけ軽い口調で言った。


「セルシスのせいじゃない。リノのやつ、馬鹿だから帰り道を忘れちゃったんだ。もしかしたら、僕たちの方が迷子になったと思ってるかもしれない」


「そう、かな……」


「ああ。絶対にそうだ」


 気休めだ。だから、その言葉を現実にしないといけない。まだ足は動く。立ち止まってる場合じゃない。


「じゃあ、パパッと見つけてくる」


 そう言って走り出した僕の顔面に、笑い声とともに何かが直撃した。背中から倒れ、頭を強く打ちつけた。何が起きたのか理解が追いつかない。


「ん? わたしの下でなにやってんだ? やっぱり踏まれたかったのか?」


 ようやく視界が戻った。頭上には片足を上げたリノがいた。


 見つかった喜びよりも、靴で頭を踏み倒された怒りの方が強かった。


「お前、絶対にわざとだろ」


「アハハ、跳んだらシャルがわたしの着地点に走ってきたんだぞ?」


 跳んだ?


 リノが指さしたのは木の上だった。


「猿かお前は」


「アハハ、褒めても踏んでやらないぞ」


「そうか、馬鹿だったな、お前は」


 リノが手を差し出す。いつもの笑顔が浮かんでいた。その手を取ろうとした瞬間、リノが視界から消えた。


「うわっ、どうしたんだセルシー」


 セルシスがリノに飛びついて押し倒したのだ。


「黙って行くな、馬鹿!」


 涙声でセルシスが怒鳴る。リノは唖然としていたけれど、すぐに笑った。


「ごめんな、セルシー。わたしはセルシーを泣かせてばかりでだめだな」


「本当に駄目駄目よ! だから、ちゃんと私の側にいなさい。心配かけさせないで」


「ありがとな、セルシー」


 リノはセルシスを抱き締め、背中を優しく叩いた。


「わたしはいなくなったりしないぞ。だから、泣くな」


「泣いてなんか、ないわよ」


「そうだな。セルシーは強い子だもんな」


 何故だろう。馬鹿なのに、今だけはリノの方がお姉さんに見える。馬鹿なのに。


「ところでな、みんなにいい知らせがあるんだ」


「何だ? 家でも見つけたか? まあ、そんな都合良く見つかるわけが――」


「すごいな! シャルは心が読めるのか?」


 マジか。凄いなこいつ。


 群青色の髪は汗でぐちゃぐちゃだった。いつも以上に髪が荒れ狂っている。早起きして走り回っていたのだろう。責任を感じて、失ったものを自分で取り返そうとした。それは家であり、セルシスの信頼だろう。見事にリノはそれを取り返して見せた。


 たっぷり二時間かけてリノに案内されたのは、比較的街に近い場所だ。徒歩一時間くらいの距離だろうか。木造一階建てのボロ屋。何年も人が住んでいないようで、背の高い雑草に囲まれていた。


 リノが先頭を切って、槍で雑草を葬っていく。相変わらず凄まじい槍捌きで、集中しないと穂先が見えない。適当に振り回しているようにしか見えないのに、人が通れる幅を効率的に刈っている。


 殺されそうになったときにも思ったけれど、彼女の才能は群を抜いていた。型と呼べるものが一切なく、本能で振っている。そして、それがいつも最適解なのだ。努力では至れない領域にいる。これでセルシスくらいの頭があれば、もっとはやく鬼王を倒せていたに違いない。


 玄関に辿り着き、リノは臆することなく扉を開けた。中に何かいたらどうすんだよ。


 幸い、中はもぬけの空。死体があるのではと危惧していたけれど、それもない。森の中にあるためか、埃はあまり積もっていなかった。屋根にも穴は空いていない。広さは十畳程度だけれど、ベッドなどの家具類がほとんどないおかげで広く感じる。寝泊まりする分には及第点といったところだ。あの屋敷からすれば矮小に見えるけれど、そもそもあんな広さ必要なかった。


 荷物を外に置いて、掃除をみんなで行った。てっきり僕一人に任せるのかと思いきや、セルシスを筆頭に協力的だった。リノは中にいても足手まといなので、外でひたすら雑草刈りをしている。本人もその方が性に合っているようだ。


 カミュは座っているだけでいいと言ったのだけれど、手伝いたいと言ってくれた。何て良い子なんだろう。カミュを産んでくれた両親に感謝したい。いつかご挨拶に伺おう。


 マリアさんは手際が良かった。僕の一〇〇倍は掃除が上手い。アルカゼノマーになる以前は家でよく家事を手伝っていたらしい。


 驚くべきことにセルシスもマリアさんと同じくらい上手だった。料理もできるらしい。あれだけ偉そうに僕を無能扱いしていただけのことはある。悔しい。


 部屋が綺麗になったのは、ほとんどがセルシスとマリアさんの力だった。僕とカミュは指示通りに動いただけだし、カミュの方が僕よりも上手かった。悲しい。


 まあ、まだリノがいる。自分よりも下がいるというのは安心するものだ。


 しかし、その考えは外に出てあっけなく覆された。雑草が根元から綺麗に刈られているだけではない。刈った草を一カ所に集めてあったのだ。家の周りがすっきりして綺麗に見える。それだけじゃない。暇になって勝手に散策したあげく、木の実を見つけて来やがった。有能かよ。


 幼女に負ける一六歳。虚しくて涙が出そうだ。

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