第3章

第8話 頑張ろう。この子たちを守るために

 その日のうちに家を追い出された僕たちは、森の中を彷徨った。手元に残ったのはわずかばかりの金。部屋を借りることもできない。もっとも、僕たちに部屋を貸してくれるような人はいないだろうけれど。


 赤くなった空の端が、群青色に染まり始めた。どこか住める場所が見つかればと思ったのだけれど、そう甘くはない。


 生活に必要不可欠で差し押さえできないものは、二、三日以内に持って行けと言われた。それ以降は処分するとのこと。だから早めに見つけないといけないのだけれど、夜に森を歩くのは危険だ。


 大きめの木の下で野宿することにした。幸い、雨の降る気配はない。レジャーシートを敷いて、セルシスたちに毛布を渡す。夜は冷える。マリアさんはカミュを抱いて毛布にくるまった。


「ここで、ねぅの?」


「そうですよー。野宿なんて久しぶりですね」


 カミュは未だ状況を理解していないようだけれど、まだ五歳なので仕方ない。それに、いるだけで殺伐とした雰囲気を掻き消してくれるのだから尊い。むしろカミュは理解しない方がいいかもしれない。不安な表情をされると胸が苦しくなる。笑っていて欲しい。


 セルシスはむすっとした表情で半ば引ったくるようにして毛布を取っていった。まだ腹の虫が治まらないようだ。


 少し離れたところで、リノが木に寄りかかってしゃがんでいた。


「そろそろ許してやれよ」


「知らないわ、あんなやつ」


 これは折れそうにない。


 歩み寄ると、リノはびくりと肩を震わせてこちらを振り返った。


「そんなに驚くなよ」


「……あ、ごめん」


 彼女なりに自分がしたことの重大さを受け入れたのか、リノの最大の特徴である元気が失われていた。弱々しい笑みを浮かべて、すぐに視線を足下に戻した。


「みんなのところに行こう。一人じゃ寂しいだろ」


「わたしは平気だぞ」


 リノは嘘が下手だ。演技というものができなくて、言葉と態度が反対になるからすぐ分かる。


「セルシスに言われたこと気にしてんのか」


 リノは素直に頷いた。


「アハハ、もう顔を見たくないって言われちった」


「何で無理して笑うんだよ」


「辛いときは笑うんだ。そしたら、辛くなくなるんだ」


 赤く腫れた頬が引き攣っている。そこに触れると彼女はびくりと震えて、怯えた目を向けた。


「ごめん、痛かったか?」


「……だ、大丈夫だぞ」


 笑顔を作る度に彼女の笑顔は崩れていく。


 頭を撫でてやると、最初はびくびくしていたけれど、すぐに全身の力が抜けた。


「なんだか、父ちゃんみたいだな」


 少しだけ元気が戻ったようだ。


「お前の父親役なんて御免だよ」


「そうか? わたしはシャルが父ちゃんだったら嬉しいぞ。アホだけどな」


「だから、お前に言われたくないって」


 僕は慌てて顔を背けた。唇を引き結んで、笑みが漏れないように努める。


 御免だと言ったけれど、よくよく考えてみれば同じようなものかもしれない。この中で最年長は僕だ。だったら、親の役目は僕が引き受けるべきだろう。


 結婚もしていないのに、恋人すら作ったことないのに、もう四人の子どもが出来てしまった。


 もう快適な生活の保障はない。それどころか、生きていけるかすら怪しい。自分一人ならどうとでもなる。僕の髪は黒いから、人間として街に潜り込むことは容易い。この四人を見捨てれば面倒事から解放される。子守をしなくて済む。


 セルシスたちに捕まった頃なら間違いなく見捨てていた。


 けれど、もうできなかった。それくらいには、彼女たちといることを気に入っているのかもしれない。あるいは、彼女たちを見捨てた罪悪感を抱えながら生きるのが怖いのかもしれない。何にせよ、僕が取る選択肢は決まっている。


 まったく、救われないなあ。


「ほら、行くぞ」


 立ち上がって、リノに手を差し出す。けれど、彼女はその手を見つめたまま動こうとしない。


「一緒に謝ってやるから。な?」


 躊躇いがちに伸ばされた手が重なる。


「許して、くれるかな?」


「どうだろうな……」


 簡単には許してくれなそうだ。けれど、僕は知っている。ここに来るまでセルシスは頻繁に、けれどさりげなく背後を振り返っていた。リノがちゃんと後ろをついてきているか確かめていたのだと思う。その証拠に、リノの足が鈍るとセルシスの足も鈍った。偶然だろうか。


 セルシスは言っていた。私たちが普通に生きていくため、と。その私たちとは、あの家に住んでいた幼女全員のことだろう。そうでなければ、初めから一緒になんて暮らさない。だからきっと、セルシスは決してリノのことを見捨てたりしない。今は気持ちを整理できていないだけだろう。時間が経てば、きちんと向き合えるようになるはずだ。


「何度も謝ろう。土下座だってしてやるよ」


「じゃあ、わたしは頭踏んでやるぞ」


「馬鹿か。お前も土下座するんだよ」


「アハハ、そっか……」


 リノがちゃんと手を握ったのを確認して、セルシスたちのところへ向かった。カミュやマリアさんとは違い、手のひらは硬かった。それだけで戦い続けた彼女の苦労が知れる。


 綺麗な土下座を披露した僕たちだったけれど、セルシスはそっぽを向いたままだった。頭さえ踏んでくれない。仕方ない。今日のところはこれで勘弁してやろう。


 家から持ってきたパンを配る。持てるだけ持ってきたけれど、保って二、三日だ。


 火はおこさなかった。火事の危険も理由の一つだけれど、何よりこちらの居場所を知らせたくなかったのだ。街の人々は彼女たちの存在を疎んでいる。これを機に排除しようとする者がいても不思議ではない。寝込みを襲って来る可能性は十分にあった。


 空腹を満たし、寒空の下で身を寄せ合う。


「明日は引き続き家探しだ。食糧の確保も忘れるなよ」


 みんな頷きを返すけれど、僕に寄りかかるリノからは反応がない。まだ落ち込んでいるのだろうか。顔を覗き込んでみると、ヨダレを垂らした間抜けな寝顔があった。


「まったく、お前ってやつは……」


 緊張感がまるでない。けれど、これこそが彼女のいいところと言えなくもない。おかげで肩の力が抜けた。


 目を瞑り、心の中で気合いを入れた。


 頑張ろう。この子たちを守るために。

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