第6話 とりあえず、手を放そう? ね?
目を覚ますと、リビングには誰もいなかった。左右に真っ二つに折れたテーブルが転がっていて、先ほどの出来事が夢ではないことを教えてくれる。
夢であって欲しかったなあ。
いっそ殺しておいて欲しかった。この先、僕は幼女のパンツを無理矢理見ようとした男として生きていくことになる。言葉にすると、その重みがより明確に感じられた。
「僕、何してるんだろう……」
どこで選択を間違えたのだろう。
素直にパンツ見せてくれと言っていればよかったのだろうか。いや、違う。パンツを見ようとしたのは手段であって、目的ではない。そうか、手段を間違えたのか。じゃあ、どうすればよかったのだろう。
泣きじゃくるセルシスの姿を思い出す。いつも年相応に振る舞っていれば、こんなことにはならなかった。大人ぶるからこうなったのだ。
考えれば考えるほど、責任転嫁する自分に吐き気がした。
そうか。生まれて来たことが間違いだったのか。
上半身を起こして、深いため息を吐き出す。気づいたところでもう遅い。一度壊れてしまったものは、元には戻らない。割った皿を繋いでみても、亀裂の跡が残ってしまうように。以前とまったく同じ状態になんて戻るわけがない。
肩に柔らかい小さな手が触れた。
「しゃぅ、げんち、だして」
「カミュ……」
反対側の肩に、綺麗な細い手が触れる。
「シャルちゃん、セルシーちゃんは自室にいます。仲直りして来た方がいいですよ」
「マリアさん……」
目の前で、中腰になったリノが微笑む。
「気にすんな!」
「お前が言うな!」
頭叩きつけられたのはお前のせいだからな!
「エマさんは?」
「さっきまでセルシーちゃんに付き添ってましたが、仕事が残ってるからと帰りましたよ」
エマさんの誤解も解いておきたかったけれど、そちらは後回しだ。今はセルシスに謝らないといけない。
セルシスの部屋は二階にある。階段を上る一歩一歩が重かった。まるで足が鉛になったかのようだ。セルシスの部屋の前に立つ。ノックしようとした手が震えた。言葉がまとまらない。どうやって切りだそう。話を聞いてくれなかったらどうしよう。
違う。そうじゃないだろ。
僕は両頬を叩いた。許されたくて来たんじゃない。セルシスに辛い思いをして欲しくないから、つけてしまった傷の痛みを少しでも和らげたいから来たのだ。
息を吐き出す。震えたままの手でノックをする。それとほぼ同時、扉が開いた。
「「あっ」」
目を真っ赤に腫らしたセルシスが、僕を見上げていた。けれど、すぐに逸らされる。
「な、なにか、よう……?」
沈黙を嫌うように、セルシスが呟いた。
「お、お前こそ、どこか行こうとしてたのか?」
いざ目の前にすると怖くなって、全然違うことを口にしてしまう。
「べつに……たいしたことじゃ、ない」
声に覇気がない。弱々しい姿のせいか、彼女がいつもより小さく見えた。
互いに言葉がでなかった。何かを探り合うような空気が僕たちの間に流れる。
「「あの!」」
声が重なって、互いに目を丸くする。
「な、なんだよ……」
「なんでも、ないわよ。……そっちこそ、なに……」
唾を飲む音が耳に響いた。口の中がカラカラに乾く。僕はその場で土下座し、額を床に擦りつけた。
「ごめん」
息を呑む気配。セルシスは黙ったままだ。
「僕、どうかしてた。傷つけるつもりはなかったんだ。ただ、悔しくて」
僕は悔しかったのか。自分で言ったくせに、自分が一番驚いていた。
「パンツ見たかったわけじゃないのに、みんな僕がパンツ見ようとしてる風に言って。皿だって、わざとじゃないのに。割らないようにいつも頑張ってるのに。それなのに、僕のこと、みんな馬鹿にするから……」
こんなことが言いたかったんじゃない。それなのに、一度吐き出し始めた感情は止められなかった。視界がぼやけ、床に水滴が垂れる。
「だから、悔しくて。見返してやろうと思って。それで、あんなことを……」
とてもみっともない姿だろう。見るに堪えない姿だろう。それでも、セルシスはその場にとどまってくれた。僕の言葉を聞いてくれた。
「本当にごめん。本当に、ごめん……」
セルシスが何か言いかけたのが分かった。けれど、言葉は降ってこない。
とても怖かったに違いない。簡単に許せるはずもない。だから、僕はこの一生をかけて償わなければならない。それを口にしようとしたとき、セルシスが言った。
「そ、そんなに……わたしの、パンツ……見たかったの?」
「へ?」
聞き間違いだろうか。
「リノのパンツじゃなくて、わたしのパンツが見たかったの?」
「いや、パンツは見たくなかったって。え、ちょっと待って、セルシスさん?」
セルシスはスカートの裾を掴み、少しだけ持ち上げた。
「ど、どうしても見たいって土下座するなら、その、見せてあげても、いい、わよ」
いや、もう土下座はしてるけどな。積み上げてしまったパンツキャラはこの程度じゃ揺らがないってことか。努力は裏切らない。なるほど。世の中には報われて欲しくない努力もあるのだと痛感した。
「とりあえず、手を放そう? ね?」
「ちょっ、待って、まだ、心の準備が――」
ち、違うよスカート捲ろうとしてるんじゃないよ。裾からお前の手を放そうとしてるだけだよ。
抵抗するセルシスの足がもつれ、身体が後ろに傾いた。危ない。そう思うよりも早く身体が動いた。小さな身体を抱き締め、床に倒れ込む。叩きつけた両腕が悲鳴を上げるが、気にしている暇はない。
「大丈夫か?」
腕の中で縮こまるセルシスが、ぎこちなく頷く。顔が赤い。もしや、どこか痛めたのか。ぺたんこな胸の前で握り締められた両手が、さらに強く握られる。
「胸が痛むのか?」
僕はブラウスのボタンに手を掛ける。けれど、その手をセルシスが掴んだ。
「な、なにやって――」
「何って、傷がないか確認しようと――」
そこで、僕はようやく自分の過ちに気づいた。幼女を異性として認識していなかったせいだろう。男が女の服を脱がす行為。それが意味するところに考えが至り、体温が急激に下がったのを感じた。冷や汗が身体中から噴き出る。
「あ、これは、その――」
涙を浮かべるセルシスの目が、キッと鋭く光る。
「ヘンタイ!」
振り上げられた足が股間にクリーンヒットした。獣の雄叫びのような絶叫が屋敷内に響き渡る。
死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ。
床にのたうち回る僕を、ゴミを見るような目で見下すセルシス。その表情には感情がなく、瞳は虚ろだ。
そのときだった。まるで僕の魂の叫びに共鳴するように、一階から悲鳴が響いたのだ。
すぐにセルシスが扉の方へ駆ける。
「ま、待って、セルシス」
僕は何とか立ち上がるけれど、中腰までしか身体を上げられない。股間の痛みが強すぎて、足が震えた。
その光景に、セルシスは悲鳴を上げておののき、勢いよく扉を閉めた。
僕はその場に崩れ落ち、流れ出る涙を止めることができなかった。
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