第36話 臆病な僕と二者択一

「ちょ、何で降りてんの?」

 いつの間にか隣にいた芦原に驚く。

「私だって、兄さんを止めたいんです。家族だから」

 先ほど僕が言ったことを真似して彼女は言った。

「すぐに戻ってください! 危険なことに代わりは」

「いえ、もう間に合いません。あの中に撒き込まれる」

 どっどっどっどと、規則正しい足音と振動が近づいてくる。濁流のような、無感情の人の波だ。

「既にS同盟の皆さんは千鳥さんの指示の元逃げているでしょうから、合流出来そうにはありません。それよりは、ここで溝口さんと一緒に兄を止める方法を探した方が無難です」

 さあ、端へよけましょう。芦原に促されて、回廊の端に寄る。敵と認識された駅の時とは違い、彼らは僕たちに一切意識を向けず、エレベーターに直進して言った。いっそ規則的と呼べる程綺麗に整列し、順番にエレベーターに乗り込んでいく。

「駅の時みたいに、止まるわけじゃないんだ…」

「深い暗示だけでなく、本人達の欲求も合わさっているからこそだと思います」

「さっき電話越しに聞いていた、ヤタにいの演説?」

「ええ。皆心のどこかで、今の自分が苦しんでいるのは政治や国が悪いせいだと思っている部分がある。その感情を引き出し、増幅し、利用した操作です」

「自分の意思で、その怒りをぶつけに動いてるって事?」

「そういう部分もある、ということです」

 連中をやり過ごし、再び天望回廊を昇る。

「大見得切ったけど、実際どうすれば良いんだろう? 暗示を解く方法ってあるんですか?」

「時間の経過で、いずれ解けるとは思います。けれど、さっきの話にもあったように、その人の欲求でもあるわけですから、かなり長期間にわたって継続すると考えられます。それまで逃げ続けられるとは思えません」

「どっちもどっちだね。不可能具合で言えば」

 弥太郎を止めるのも、暗示が解けるのも。

「裏を返せば、二面作戦を取っているとも言えます。私たちが失敗しても、向こうが逃げ切れば問題ありません。向こうが逃げきれなくなっても、私たちが成功すれば良い」

 ポジティブだなあ。見た目はネガティブなのに。

「ネガティブな見た目で、申し訳ありません」

「ご、ゴメン。そんなつもりじゃ」

 心が読まれてしまった。申し訳なく俯いていると「冗談です」と芦原は苦笑した。

「和んでいるところ悪いニュースだ」

 スマートフォンから千鳥が呼びかけてきた。ずっと通話状態にしているので胸ポケットの中で熱くなっている。

「ソラマチにいた連中がスカイツリーに大挙して現れ、江田君達の脱出経路が塞がれた。今彼らはフロア345のレストラン内に立てこもっているが、このまま連中の人数が膨れ上がったら、突破されるのも時間の問題だ。今、別の経路でどうにか脱出できないか策を練っているが、正直困難だ」

 二面作戦が、一面作戦になってしまった。しかも可能性は、逃亡よりも低い。

「プレッシャーをかけるつもりはないが、S同盟、恩田議員、松原幹事長。彼らの命は、君達に託された」

 途端に吐きそうになってきた。こういう唯一の方法とか本番前とか最後のチャンスとか赤いケーブルか青いケーブルかとか、フィクションでも心臓に悪いシチュエーションに弱いんだよ。

「あなただけに、全てを負わせはしません」

 力強い言葉が僕の背を押す。

「何か別の方法で暗示が解けないか、能力方面で探ります。溝口さんが兄さんを能力に向けて使っている力や意識を奪ったら、私の能力の出力が上回って、スカイツリー内部だけでも暗示を解けるかもしれない」

「意識を向けさせるって、具体的にはどうやって?」

「ええと…、気絶させる?」

 最難関じゃねえか。思わず天を仰ぐ。日本で最も天に近い建造物の中で仰げば、神様も慈悲をかけてくれないだろうか。

「ぶん殴ってでも止めるんだろう? 知らず、正解を言い当てていたな。悪いが、可及的速やかに有言実行してくれ。S同盟の皆の命がかかっている」

 そうだ。立て篭もっているって事は、江田たちは既に松原の仲間と認定され、悪意の対象となっている。命の危機だ。

 事態は僕の覚悟を待ってはくれない。僕が、事態に合わせるしかない。腹を決めろ。

 天望回廊が終わる。塔の最も高い場所に、戦闘において頂きにいるような男が待っていた。

「来たのか。二人とも」

「ああ、止めに来たよ」

「手遅れだ。悪意は萌芽した。実が落ちるまで止まらない」

「それを、何とかするんだ」

 皆の命がかかっている。歩くスピードは徐々に速く。弥太郎もこちらに向けて歩を進める。

「嬉しく思う。お前がここまで敵意を向き出しにして挑んできた事など、一度たりともなかったから」

 相対速度は加速度的に上昇し、間合いは一気に詰まる。意識を刈り取ると言えば、ボクシングように相手の顎を狙う方法だ。歩数を、タイミングを感覚で合わせ、弥太郎の顎の予測位置に向かって右腕を振るう。奇襲にして先手必勝だ。相手は弥太郎だ。苦手だなんだと言ってられない。やらなきゃやられる。

 突き出した最速の掌底が、しかし空を切る。同時に絡め取られる感覚。彼の右腕がしっかと僕の右腕を取っている。

 掌底の良い所は、拳よりも早く掴む動作に移れることだ。腕を引く。想定どおり、弥太郎は逃がさないとばかりに絡めた腕に力を込める。このままへし折るつもりだろうか。引き抜くのは早々に諦めている。引いたのは、手指が届く範囲に弥太郎の体を持っていく事。掴み、床を蹴る。狙いは後頭部。床を蹴った反動をそのまま蹴りに転移させる。床に倒れられても、それはそれで構わない。腕関節を取りにいく。

 初めて、弥太郎が防御を取った。死角からの蹴りを、腕で防いで見せたのだ。昔の僕であれば喜ぶべきところだが、今の僕にとってはまずい。防がれたという事は、同時に僕の動きが止まる事で、向こうの攻撃が開始される事と同義だ。

 防御に回した腕が、僕の足を取った。投げでも関節でも何でも出来る状況だ。もう片方の足を無様に振り回すが、遅かった。ぐにゃりとあらぬ方向に曲げられそうになる。激痛が右足首から全身に広まる。弥太郎は、痛みにのた打ち回る僕をジャイアントスイングした。パイプ椅子をなぎ倒しながら転がる。

「溝口さん!」

「大丈夫だ。あいつはあの程度で死にはしない」

 二人の芦原の、両極端な安否を問う声。事実、無事ではある。

「松原幹事長を殺すことが、ヤタにいの狙いだったの」

 痛みを堪え、パイプ椅子にすがりつきながら体を起こす。少しでも話して、回復の時間に当てよう。

「正確には違うが、過程で必要なことだ。幹事長にも話したが、敵がいるという認識一つで、人は団結出来る。これは、そうだな。人々は団結出来るという意識をすり込むための、デモンストレーションというか、予行演習だな」

「予行演習?」

「そうだ。結樹の予知夢、この国が滅びる未来だが、どういった経緯で起こるかはわからないが、その時点の状況は結樹の話から類推出来る。で、その状況と言うのが、まったく協力、連携が出来ない状況のようだ。皆が皆自分勝手に、自分の我欲を優先して結局自分の首を絞めている。少し協力し合えば乗り切れた局面が、目の前の損益にばかり目がいって、他人を押しのけ、自分だけが助かろうとして結局全滅する。そういう場面ばかりのようだ。だから、小学生が習う事を、もう一度良い大人に復習してもらう。助け合うことの素晴らしさってやつを」

「助け合うのは良いことだと思うよ。でも、やっぱり間違ってるよ。誰かが死ぬような方法は。そもそもさ、操られていたとしても、誰かを殺してしまうってのは、とんでもない重荷になるはずだ。一生ものの十字架って奴。今日、松原幹事長を殺したその人が、今後どうなっちゃうのか、責任とれんのかよ。取れないだろ!」

「取れはしない。が、取り除く事は可能だ」

「能力で、記憶もいじるってのかよ。ふざけんな。誰も彼も、ヤタにいのおもちゃじゃない! そんな好き勝手許されるはずないだろうが!」

「許されようとは思わない。俺は、最低のクズだ。俺がそのことを理解している。そんな俺に、お前の言葉は届かない。暗示を解いてもやらない。だがこれは教えておいてやる。俺の暗示を、能力を止める方法だ。それは、俺を殺すことだ」

 弥太郎が自分を指差した。

「俺の暗示は、俺に意識を集中させたことが起点となっている。故に、俺の死、例えば死に顔を見ることで、暗示にかかった人々の中から『俺』という起点が消え、連鎖的にかけていた暗示は解ける」

「冗談だろ。芦原さんは、気絶させれば止まるって」

「俺を気絶させて、結樹が能力を中和する、か? 現実的ではないな。新幹線を自転車のブレーキで止められると思うか? 隣の妹に聞けば良い。この方法が間違っているかどうか、どっちが現実的な方法か」

 芦原に視線を向ける。彼女は「理論的には」と小さな声で言った。

「兄さんが言った方法の方が即効性はあります。けれど、そんなこと出来るわけないじゃないですか。殺せるわけ、ないじゃないですか」

「なら、お前らの仲間が死ぬだけだ。今も、この放送を見ていた連中がスカイツリーに集結しつつある。簡単に悪意に当てられ、松原を殺せば全て解決すると誤認した連中だ。なあカナ。お前は殺したら十字架を背負うだのなんだの言ってたが、そんな連中が、松原を殺したところで本気で後悔したりすると思うか?」

「どういう事?」

「俺達は、この能力の特性上、かなり言葉に気をつけて生きなければならなかった。下手な言葉一つで、人間を簡単に死に追いやることを知っているからだ。だが今、言葉の価値は軽くなっていると思わないか。簡単に死ねとか殺すとか、無責任な発言を繰り返す連中が多すぎる。匿名なのを良い事に、他人に何を言っても責任はないと思っている輩があまりにも多すぎる。俺が操っているのは、そういう責任って言葉すらも軽く考えている連中ばかりだ。思慮深く言葉を受け止める連中は、多分操られない。松原を殺した奴は暗示が解けたとき、きっとこう思うだろう。操られていたからしょうがない。自分の責任ではない。そうやって、責任を相手に押し付けるだろうな」

 そういう奴が、最終的に未来を滅ぼす。一瞬苦しそうな顔を弥太郎はし、すぐに能面に戻る。それは、何も感じないというものではなく、全てを呑み込んで現さないと決めた顔だ。

「そういう奴らの認識を、今日変える。せめて緊急時は人と協力出来るように躾けておく。これが俺の役割だ」

「そんなことしなくたって、緊急の時は人間協力しあえるよ。今だって、災害とかでみんなボランティアとか行くじゃないか」

「それも、予行演習があったからだ。大きな災害が起こるたびに、協力する、そのルーティンが完成されているからだ。それ以外で、協力し合う姿なんか見た事あるか? 言葉の軽い連中が注目するのは手元の小さな世界だけ。目の前で誰かが泣いていても、倒れていても、彼らは手元に夢中で気づかず、踏みつけていく」

「そんな人ばかりじゃない。そっちこそ、狭い世界でしか人を見てないんじゃないの?」

「否定はしない。だから言ったろ、俺が操れているのは、狭い俺の認識内にいる、そんな人ばかりだよ」

「溝口君!」

 切迫した声がどこかから響いた。いつの間にか落としていたスマートフォンからだ。

「急いで弥太郎を止めてくれ! レストランの扉が破られた! 調理室に逃げ込んだが、そこもいつ破られるか分からない!」

 事態はいつだってスピーディだ。僕の都合などお構い無しに。

「だそうだ。どうするカナ。仲間のピンチだ。俺を殺さなきゃ仲間は死ぬ。どれを選ぶ」

 選ぶ? こんな、クソみたいな二択のうち、一つを選ばなきゃならないのか? 嘘だろう? 僕はどうすれば良いんだ。天にいるというなら、教えてくれよ。助けてくれよ神様。

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