第35話 臆病な僕とばら撒かれる悪意

 突然の乱入者に、会場が騒然とした。ただ一人、驚いた顔をしながらも心の中で安堵していたのは松原だ。何をしていたんだまったく、と心の中で悪態をつきながらも、ふうと腹の中にたまっていた不安を二酸化炭素と一緒に吐き出す。

「ちょっと、何だ君は。ここは関係者以外立ち入り禁止だ」

 MCが当然の抗議を乱入者に向けて放ち、スタッフも取り押さえるように動く。

「待ってください」

 鶴の一声だった。松原の制止に、スタッフが止まり、会場中の視線が彼に集中する。

「彼は、先ほど私と話した青年です。どうしても私と話したい事があって、ここまで来たのでしょう。チケットを持たず、ルールを破ってここに来るのは褒められたことではありませんが、国を思う熱い気持ち、若い力を認めたい。私は、同じ国民として、彼の言葉を私は聞く義務がある、と思います。スタッフの皆さん、ここは私、松原長政の顔に免じて、彼に発言の許可を与えてくれませんか?」

 深く頭を下げる。腹の内では拒否されるとは微塵にも思っていない。政治家の頼みを一般人は拒絶し辛い。国民性だろうか。権力者の頼みを、人は断れないのだ。それがわかっていての頼みだ。

 少しの時間が空いて、スタッフがGOサインを出した。

「ありがとう。無理を言って、本当に申し訳ない」

 さあ、と松原は芦原弥太郎に手の平を向けた。

「君の質問を受け付けよう。こちらへ」

 促され、弥太郎は堂々とした足取りで、カメラの前に立つ。

「松原幹事長、スタッフの皆様方、この度は御迷惑をおかけして、申し訳ございません。しかしどうしても、俺は松原幹事長に、そして放送を見ている全ての人に聞きたい事があって、ルールを無視し、ここまで来ました。後で捕まっても文句は言えません。それでも、どうしても、聞きたかったんです」

「うん。それは、一体何かな?」

「それは…」

 弥太郎に、会場中の、カメラの向こうの全ての人の意識が集中する。

「いけない、全員耳を塞げ!」

 恩田が叫ぶ。彼の周囲の何人かはその声に驚き、反射的に言われた通りの動作をする。

 遅い。松原は勝利を確信した。これで全ての国民は、我が由憲党の、私の意思の元に統一される。強い国家の樹立、その第一歩がここから始まるのだ。訪れるであろう未来に思いを馳せ、松原はぶるりと震えた。

「『教えて欲しい。君達が不幸なのは誰のせいだ』」

 会場が震えた。会場にいる全員が、同時に体を振るわせて、空気を振るわせたのだ。暗示状態になっている。

「『苦しいのは誰のせいだ。未来がないのは誰のせいだ』」

「おい、待て。どういう事だ?」

 異変に気づく。事前の打ち合わせと全く違う言葉を、弥太郎は紡いでいる。

「『気づいているだろう。君達が不幸なのは、苦しいのは、君達の幸福を奪っている人間は』

 弥太郎の指が、ゆっくりと上がる。

「『由憲党幹事長、松原長政だ』」

 ぐりんと会場の人々の首がねじれ、視線が松原に向いた。多くの無機質な視線に晒され、松原は全身に嫌な汗が滴るのを感じた。

「芦原、貴様、まさか、裏切るのか!」

「いいや? 予定調和だ。よくあるじゃないか。映画なんかで。一つの悪に対抗する為に、これまで仲たがいしてきた人類が一丸となる、ってやつ。裏切るも何も、俺はあなたの命令どおりにしただけだ。『自分の元、国民の意思を統一する』というな。実際、あなた憎しで、この場にいる国民の意思は統一された」

「ふざけるな。すぐに暗示を解け!」

「一つ、面白い話を教えよう。由憲党、松原長政幹事長」

 声のトーンが変わる。

「俺の能力により、確かに人間は操れる。その中で、操れる時間などの差があるのは知っているか? それはな、本人にその意思があるかどうか、に影響される。例えば勉強嫌いの子どもに能力で勉強するよう指示しても、効果は長続きしない。反対に、遊ぶように指示すると、弱い力でも長時間遊んでいる。もちろん、その為に深層意識を書き変えるなどで勉強を好きになってもらうんだがな。国民全員を操り、あなたの思い通りに動かすのはやはり無理だ。残念ながら、あなた方由憲党は支持力がなかった。これを由憲党支持者、もしくは興味があるように意識を変えるのは難しい。だが、ある一点に置いては、他の党よりも秀でた感情を抱かれていた。何か分かるか?」

 悪意だ。弥太郎は言った。

「これまでずっと政権を握ってきたツケだろうかな? 国民の、あなた方に対する悪意、憎しみや怒りは非常に高かった。決して悪い事ばかりではなかったにも拘らず、人々の記憶にはあなた方のスキャンダルなど醜聞への呆れ、政策への怒り、ちっともよくならない生活への嘆きが積もり積もっていた。そのベクトルに対してならば、大した力をかけずとも操れる」

 一人、また一人と、会場にいた一般ゲスト達が立ち上がる。

「国民の声を聞くんだろう? これが国民の総意だ。全ては、誤った方向へと国を走らせ、自分達のためだけに権力を振るってきた、あなた方に対する国民の嘘偽りのない思いだ。全身で受け止めてやってくれ。そのための討論会だろう?」

 無表情な、しかしその内に秘められた悪意を一身に受け、松原は腰を抜かした。他の党員が受けた恐怖を、松原もまた同じように感じていた。自分の目的のためには致し方のない犠牲と割り切ったものに、今まさに自分もなろうとしていた。

「立ってください!」

 腕を引かれる。驚いて視線を向けると、恩田が傍にいた。

「早く! 逃げましょう!」

 力任せに引かれ、足に力が入らずに空を蹴ってもつれる。松原の腕を引き、恩田は展望台フロア450から階下445へと向かう。その後を、幽鬼のように一般ゲスト達、放送スタッフ達が追う。

「恩田先生、どうして」

「誰かが困ってたら助ける。人として当然の行為です。人死にが出そうならなおさらです。もちろん、自分に余力があれば、という前提になりますが」

 けれど、覚えておいて下さい、と恩田が続けた。

「今あなたが味わっている恐怖は、うちの中野部君、立国党の鷺沼先生、共新党の長原先生が受けた恐怖です。あなたが犯した過ちです。重く受け止めて頂きたい」

 言い終えた後は、恩田は天望回廊を走る。千鳥たちの話では、操られた連中の目標と一緒に行動していると、同じく目標、敵と認識される。つまり、自分も松原と同じように追われる立場となったわけだ。

 危機は、ここだけじゃない。今の放送を見た何人もの連中が、スカイツリーに向けて押し寄せている。そこから逃げなければならない。クーデターで国を追われる気分というのは、図らずもこういうものかもしれない。

 フロア445のエレベーター前に到着した時、恩田は自分の計算ミスを悟った。エレベーターが動いていたのだ。弥太郎が上がってきた時にこのフロアのエレベーターを使ったはずだ。故に、このフロアでエレベーターは止まっていると考え、こちらに回ってきた。自分達や松原が上がってきたであろう業務用エレベーターへの通路には操られたスタッフが何人もいて、通れないと判断したが、無理やりにでも向こうにすればよかっただろうか。エレベーターが下にあるのが問題なのではない。ボタンを押せばくるのだから。問題は、向こうから上がってきているという点だ。もし上がってきているエレベーターにいる人間が操られていたとしたら、挟み撃ちにされる事になる。そうなれば一巻の終わりだ。迷っている間にも、エレベーターも上階からの足音も近付いてくる。

 先に到着したのはエレベーターだった。しかし、バッドエンドの使者ではなかった。

「議員、大丈夫ですか!」

 最初に飛び出したのは、髪の長い、というか、髪の毛に包まれた少女、芦原結樹だ。彼女の後ろから、S同盟のメンバーが降りてくる。

「私たちは大丈夫だ。しかし、問題が多すぎてどれから説明したものか」

「現状は私がエレベーター内で説明しておきました」

 千鳥の声がスピーカーから聞こえる。

「すぐにエレベーターに乗って、階下へ。スカイツリーから脱出してください。事ここに至っては、逃げるしかありません」

 言われるがまま、恩田は松原と一緒にエレベーターに乗る。入れ替わるようにして、一人がエレベーターから降りた。

「何やってんだ溝口!」

 江田が怒鳴る。

「早く降りてください。今なら、僕は操られた人たちに敵と認識されない。江田さんは、議員を守ってください」

「残ってどうするッてんだよ」

「ヤタにいを止めます。ヤタにいなら、暗示を解けるはず。説得でも何でもして、事態を収拾させます」

「だからってお前、素直にあいつが話聞くタマかよ! 頑固の塊みたいな奴だぞ!」

「だったら!」

 恐怖で震える拳を握り締めて、溝口要は感情を、これまでの人生で一度も使った事のないセリフと一緒に吐き出した。

「ぶん殴ってでも、止めます。だって友達だから! 友達が罪を犯すのを、僕は、止めたいんだ!」

 唖然としていた江田が、徐々に口元を笑みに変える。それがお前の願望か、と。

「てめえ、ようやく言ったな? 言ったからにはやってもらうぜ」

「……はい」

「そこで弱気になんなよ! しまらねえな。ったくよう」

 江田が閉ボタンを押す。

「頼んだぞ。溝口。こっちは任せとけ」

「はい!」

 ゆっくりと閉まるドア。その隙間から、もう一人が飛び出した。止める暇もない。制止の声の形に口を開けたまま、江田たちは高速で降りていく。

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