第27話 臆病な僕と彼女の嘘
「しかし、どうしてお前がここにいる。結樹に唆されたのか?」
弥太郎が言った。
「始めは成り行きだよ。けれど、関わるうちに止めなきゃって思いが強くなった。僕は、実際に現場で見たんだ。操られた人が、誰かを襲うのを。僕でなくても、あの光景を見たら誰だってそう思うよ」
「成り行き、ね」
言外に何かを含みながら、弥太郎は顔を歪めて僕と芦原の顔を交互に見た。
「本当に成り行きか?」
「え?」
「お前から、妹に声をかけたということはあるまい。妹に会ったことがないからな。なら、妹からお前に近付いたはずだ。どう近付いたかはわからんが、考えてもみろ。結樹は未来を予測する。俺を止めるために行動する妹が、たまたまお前を見つけたと思うのか?」
「どういう、意味?」
「そもそもだ」
僕の質問を無視して、弥太郎は続けた。
「どうして『止めなきゃならない』なんて思ったんだ?」
彼の言っていることが、理解出来ない。どうしてって、どうしてもこうしても、僕がそう思ったのだから、そう思ったとしか言えないのだが。
「相変わらず、お前の攻め手はあの頃と同じ臆病なままだった。きっと、性格も変わらずなのだろう。俺の知っているままのお前なら、絶対に自分から荒事に首を突っ込まない」
違うか? 弥太郎の目が問いかける。違わない。僕の事は、僕が良くわかっている。僕が臆病であることを僕は理解している。だから、僕の行動は矛盾している。
最初の通り魔事件の時、なぜ僕は通り魔に立ち向かえたのか。
駅での集団暴行事件の時、どうして止めに入れたのか。
恩田議員襲撃からここまで、どうして協力し続けられたのか。
どうして、実力差が分かりきっている弥太郎に挑もうなどと考えたのか。
駄目だ。心のどこかが警告している。今、彼女に視線を向けてはならない。きっと、猜疑心に満ちた僕が溢れる。信じられなくなる。彼女と、怖い思いもしたけれど、それでも、人を助けられたんだと、少し誇って良いかもと思えた自分を。
「お前は、結樹に操られている」
聞きたくなかった言葉を、弥太郎は僕に叩きつけた。それこそ、僕を一撃で沈めるほどの致命傷を与えた。
「…嘘だ。だって彼女は」
「俺と違い、意識や感情を操作出来るはずはない? そいつは、酷い思い込みというものだ。結樹も出来るよ。俺とは違い、操る為にいくつかの条件があるが。お前はその条件に適合したから操られたとも言える」
液体窒素をかけられても、ここまで見事に粉々に砕けないだろうというくらい、僕の自信は粉砕され、崩れていく。思い当たる節が幾つもあった。頭では逃げろと訴えているのに、体が腹の奥から沸きあがる熱量に動かされ、通り魔の前に出た事、鵜木を助けに入った事を思い出し、その記憶を追い払うように首を振る。
「信じられないのなら、本人に確認してみたらどうだ?」
言葉に引っ張られ、僕は彼女の方を向いた。
「あ、芦、芦原さん」
彼女は何も語らない。こちらを見ない。
「本当なの…? 僕を、操ってたの?」
彼女から言葉は出て来ない。
「良いか。カナ」
代わりに弥太郎が口を開く。
「結樹は国家を守るよう幼い頃より教育されている。故に、妹の行動の根底にあるのは国家の安寧のため。そのためならどんな方法を使っても良い、とされている。お前らを騙すことに何の良心の呵責も感じないし、操ることにも躊躇はないよ。だから、カナ。お前のこれまでの行動は、妹に操られたせいだ」
「違う!」
芦原が叫ぶ。
「それは違う。それだけは違うんです」
「何が違う? お前も俺も、他人を自分の目的の為に使う最低の人間だろうが」
「確かに、私は、溝口さん始め、千鳥さん、S同盟の皆さんを利用していたのは…事実です。全てを明かさずに協力を求めたのは、アンフェアでした」
固く目を瞑る。足の力が抜けていくのを感じる。踏みとどまれたのは粉々に砕かれた僕の搾り滓みたいな意地だろうか。
「けど! けど、私には、兄さんのように新しい意識を植えつけたり、上書きしたりと、無から有を生み出す事も変質させる事も出来ません。私に出来るのは、元々本人に備わっている物を表に出すことだけです。だから」
彼女が僕の方を向いた。顔は相変わらず見えない。けれど、泣いているように見えた。
「あなたを、利用していたのは、事実です。謝ります。けれど、溝口さんの中に、勇気とか、優しさとか、そういう物が無ければ、あなたは行動に移さなかった。あの兄弟も助けに行こうなんて思わなかったし、渋谷にも来てくれる事は無かった。私がしたのは、あなたの本質を、自分が自分に対して抱く、臆病、弱いと言う思い込みに雁字搦めにされた、あなたの心からの願いを後押しする事、素直に感情を出せるようにする事。それだけなんです。私が利用したのは、あなたのそういう優しさです」
だから、ともう一度芦原は言った。
「あなたが抱いた感情は、混じりっ気無しに、あなたが抱いたものです。私や兄に歪められたものではありません。だって、あなたは」
「ごめん…、無理っぽい」
彼女の言葉を、これ以上聞いていられなくなった。それが励ましなのか、僕を再び操ろうとしているのか、分からないんだから。自分の事を、自分が一番信じられなくなっているのだから、信じられない僕が今聞いている彼女の言葉も、全て嘘か真実か、間接的にわからなくなっているのだから。
「だって、ヤタにいの言う通り、僕は臆病者なんだ。その事は僕が一番理解している。おかしいな、とは思ってた。思ってたけど、無視してた。だって、その方が、怖いし苦しいし大変な事ばっかだったけど、でも、少し楽しくて、ちょっとだけ誇らしかったから。こんな僕でも、誰かの役に立てるんだって思えたから。そのおかげで、僕の電話帳に、初めてスクロールが必要なほど登録人数が増えたから」
夢みたいだった。この数日は。本当に夢だったとは。僕は何一つ変わっていなかったのが良く分かる。漫画のヒーローなら、この程度の言葉で動揺すらしないはずだ。きっと、芦原を信じられていたはずだ。
でも実際の僕は、弥太郎の言葉で酷い動悸と眩暈で吐きそうになっている。芦原の言葉は、そんなグロッキーの僕を打ちのめすだけだった。
僕はヒーローではなかった。彼らの言葉は、僕を夢から叩き起こし、現実を突き付けるものだったのだ。
「溝口さん…違うんです。あなたは」
「頼むから」
もうやめてくれ。拒絶の言葉も、弱々しくて。情けなくて泣きそうだ。
「どうせ操るなら、せめて、覚めない夢にして欲しかった」
どんな顔を僕はしていたのだろうか。彼女はこちらに伸ばそうとした手を、ゆっくりと下げた。
会議室のドアがけたたましく開かれ、僕らの会話を遮った。ぞろぞろと入ってきたのは、スーツ姿の男性たちだ。由憲党議員たちと、本部の職員たちだろうか。警備員の制服を纏っている人も何人かいる。年齢の幅は三十代から六十代とばらばらだった。全く人気がなかったのに、どこに隠れていたんだろう。今度は僕達が、自分達以上の人数に囲まれることになった。
「松原幹事長。用意が整いました」
先頭の初老の男性が告げる。
「そうか、ご苦労。では予定通り、本日零時から特別放送を行う」
おお、と歓声と感嘆の声が上がる。
「ではついに、全国民が我々を支持するわけですね」
聞き捨てならない事を男性が嬉々として喋った。
「全国民の意識改変なんて、不可能じゃなかったのか?」
千鳥の疑問に、松原は不敵な笑みで応える。
「不可能とは言ってない。時間がかかると言ったのだよ。君たちの想像以上に、私たちは時間をかけて準備を行ってきた。それが丁度今日、実っただけだ。国民一人一人に呼び掛ける、地道な草の根運動は政治家の基本活動なのだからね」
では、と松原が目配せすると、僕達の周囲を警備員たちが取り囲む。
「君達はここで時代が変わるところを見ていてくれ」
松原と弥太郎が、僕達の横をすり抜けて行く。
「兄さん、待って!」
芦原が飛び出し手を伸ばす。しかし、間に入った警備員に押し返される。それを皮切りに、取り囲んでいた環が閉じ、反抗する間もなく僕らは取り押さえられた。
「彼らはどうしましょう」
「そうだな」
松原と弥太郎が僕達の顔を覗き込む。
「地下に空き部屋があっただろう。放送が終わるまで、そこに閉じ込めておけ。放送が終わる頃には、きっと我々に協力的な、善良な市民になっているだろう」
「ああ、松原さん。妹は一緒に連れて行っても? こいつは俺が監視していた方が良いでしょうから」
「かまわないが、大丈夫かね? 彼女の力で妨害などは」
「俺がいるから大丈夫です。俺の力が妹の力に干渉し妨害出来ます。未来視という稀有な能力を持ちますが、純粋な出力は俺が上です。これからの松原さんの放送の邪魔にはなりません。むしろ万が一逃げ出されて、今回のような妨害を受ける方が困るでしょう」
「確かに」
「後の連中はお任せします。まあ、もう逆らう気も無いでしょうが」
弥太郎の視線が僕に向いた。
「よし、連れて行け」
罪人のように引っ立てられていく。連れ出される僕らに対し、松原は勝ち誇ったように告げた。
「ここは本来関係者以外立ち入り禁止だ。警察に突き出されないだけマシと思うがいい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます