第28話 臆病な僕と江田の話

「くっそ、ダイ・ハードかよ」

 僕の後ろでもがく江田が毒づいた。

 捕えられた僕達は、地下の空き部屋に監禁されていた。六畳くらいのコンクリート打放しの部屋の一室に後ろ手にロープで拘束され、パイプ椅子に背中合わせに座らされて閉じ込められていた。当然、携帯電話、スマートフォンなどの連絡手段は没収されている。

「あ、俺が言ってるのはダイ・ハードの三部作目のやつな?」

 知ってるか? と江田は気さくに声をかけてくれる。軽い声なのは、きっと僕を気遣っての事だろう。無骨な印象からは考えられないほど、彼は気遣いが上手だ。だから、S同盟のみんなから慕われている。

「マクレーンとゼウスが船の上で悪党に捕まって、爆弾の近くで椅子にくくりつけられるシーンだ。今の俺らとそっくりだよな」

 あ、インディ・ジョーンズでもあったか。笑いながら、彼はロープを解こうとするのを止めない。

「あれもたしか、三部作目の最後の聖戦だったっけか。なんだろう。三作目は後ろ手に縛られる法則でもあるのかね…くそっ、硬ぇ! きつく縛りやがって。こんな趣味ねえぞ俺は!」

 それでも、彼はまだ諦めない。操られているわけでもなく、これが彼の素なのだろう。絶望的な状況からでも、まだ足掻く。彼のような人間こそヒーローなのだろう。対して僕は、彼の気遣いを無碍にするかのようにだんまりだ。返事をしないと、と彼の言葉が耳を通るたびに思うのだが、喉もとで言葉がつっかえて、Uターンして腹の奥へネガティブな

 感情と一緒に落ちていく。返答出来ないことで生まれる申し訳ない気持ちがネガティブを更に増幅させて、僕の頭が垂れていく。

「なあ、溝口よ」

 一端休憩のためか、足掻くのをやめた江田は神妙な口ぶりで声をかけてきた。僕からの返事が無いのも気にせず、独り言のように呟く。

「お前が辛いのも分かる、とは言わねえ、っつか、言えねえ。お前の辛い気持ちはお前だけのもんで、他人が推し量れるものじゃねえ。俺に出来るのは、お前が辛い思いをしているだろうなって推測する事だけだ」

 不器用な優しさが傷口に沁みる。正直、今の僕には劇薬ではないだろうか。

「んで、俺が話すのは、唯一俺に分かる事。つまり、俺の事を話すわけだ。それがお前の慰めになりゃそれでいいし、馬鹿じゃねえのって鼻で笑っても構わねえ。笑えるだけマシだ」

 少し、時間を開けて。江田はゆっくりと話を始めた。

「まず俺が行き着いた結論だが。芦原さん、えっと妹の結樹の方は、俺たちのことを操ったり、騙しちゃいないってことだ」

「え?」

「ようやく反応したな。やっぱそこが頭に引っかかってるわけか」

 肩越しに振り返ると、向こうも肩越しに僕を見ていた。

「いや、でも」

 思わず顔を逸らして、反論してしまったのは、何故だろうか。僕自身が、江田の言う通りであってほしいと思うのに、否定的な言葉が口からついて出た。

「希望が怖いか?」

 江田が言った。耳ではなく胸を刺す言葉だった。

「怖いよな。期待した分だけ、違った時の落差は怖い。だから頭から否定する。分かる。俺も、もしかしてこの女、俺に気があるんじゃと思って飯に誘って『あんたなんかとはありえない』と言われた時のショックはでかかった。だからこんな面で、恋愛には臆病になっちまった」

 それは、笑うところなのだろうか。同情するところなのだろうか。判断に困る。

「その結論に至った理由が三つある」

 咳払いして江田は続けた。今さっきの話が滑ったと思ったのか、耳が赤くなっている。

「一つは、弥太郎や結樹が最初から言っていたことだ。結樹は人を操る事に関しては、弥太郎ほどの力を持たない。これは事実だろう」

「でも、操れないとは言っていません」

「まあ、そうだな。だから一つ目の理由だけだと操れるかもしれないし操れないかもしれない。では二つ目。彼女の『意識を上書きする事も植え付ける事も出来ない』という言葉」

「しかし、それは」

「ああ。あの時聞いた言葉だ。弥太郎に隠し事をしていると言われて、それを否定出来ないでいる間に出た言葉だ。嘘臭く聞こえたのは、俺も同じだ。だが、もし別のタイミングであの話を聞いていたら、また違う受け取り方をしたんじゃないかと思ってな」

 いや、確かにそりゃそうだろう。不信感が極まったタイミングで何を言われようと、全て嘘にしか聞こえない。そういうものだ。

「それを、いっぺんやめた」

「やめた、って?」

「関連しているものではなく、一つ一つ独立した内容として捉えた」

「ええと、彼女が僕らを騙したということと、彼女の能力について語ったことを、ですか?」

 そうだ、と江田は頷いた。

「彼女は確かに、俺達を自分の目的のために利用していた。これは彼女自身が認めたから、間違いない。でも、彼女が溝口や俺達を操っていたとは思えない」

「でも、それって、かなり都合の良い解釈じゃないですか? 彼女は否定したけど、ヤタにいは条件付で出来る、みたいな事言ってたし。どっちが正しいのか分からない状況で、そんな風には考えられなくて」

 まだ捻くれているらしい僕の感情が、そんな言葉を吐いた。

「何が駄目なんだ?」

 しかし江田は、自分の話を否定されて怒るでもなく、本当に不思議そうに尋ね返してきた。

「え、だって、そんなの主観だし、正しくないかもしれないし」

 そう言うと、江田はああなるほどねと納得した。

「そこが、俺とお前の考え方の違いだな。正しいか正しくないかがお前にとって重要って訳か」

「大事、ですよね?」

「もちろん大事だ。ただ、俺は自分の主観をそれよりも大事にしているってだけだ」

「そんなの、変だ」

 呟いて、後悔する。

「あ、違うんです。別に、江田さんを馬鹿にしているわけじゃ」

「分かってるよ。慌てなくていいよその程度で。そもそも、他人の考えなんぞ、自分にとってはおかしいことだらけさ。違う人間なんだからな」

 僕の失言を、江田は笑っていなした。

「姐さんやお前と違って、俺は馬鹿なんだ。人の腹を探ったりするのなんか、とんと出来る気がしねえ。馬鹿は悩んで考えるだけ無駄ってのを、身に沁みて理解している。だから、俺は芦原たちの言葉を、ついでに松原もか。あいつらの話はなるほど、そうなんだろうなって思う。あいつらからしたら、それが真実なんだ、ってな。そこで、話の裏を読めねえ俺は、どうするか、どういう基準で話を信じたり拒否したりするかってえと、好きか嫌いかで選ぶ」

 まさに主観の塊だ。江田は喉を鳴らして笑った。

「馬鹿だろ? こんなの馬鹿しかしねえよな。でも、俺にとっちゃ大事なんだよ」

「でも、それがもし間違ってたりしたら」

「そん時は、まあ、後悔はするわな。迷惑かけたら詫びもいれるしけじめもつける。でもな、こいつはどっちがマシかっていう問題なんだが、自分が嫌いな方を選んで間違ってた方が、ダメージがでかいとは思わねえか? 好きで選んで失敗したら、まだ諦めっつうか、納得できねえか?」

 心当たりはある。くじ引きなんかで、自分の勘は右を示しているのに、確率とか色々と考え込んで左にして外れた時は、ああすれば良かったと頭を抱えた事が何度もある。

「それによう、他人を利用する事の、何がいけねえんだ? って思う。あ、勘違いすんなよ。俺が言いたいのは、自分が出来ないことを、他人に頼るってことで、弥太郎みたいに他人を自分の好きなように操って、支配したりとか、暴力とかふるっちまう、そういうクソみたいな事とは別だぞ。なもんで、俺は、芦原さんに騙された、とは思ってない。長くて要領を得なかったかもしんねえが、つまり、そういうわけだ」

 彼の言いたい事は分かった。いや、自分なりに解釈した。だから、僕からは確かに、彼女に騙されていた、という感情は薄れている。けれど、僕が抱えている問題は、そこだけじゃない。その奥にある、僕がいい気になっていた要素は、全て彼女によって作られていたものだった、ということだ。彼女は、僕の中にその要素が無ければ、その感情を表に出す事は出来なかったと言った。つまり、彼女がいなければ、僕は臆病なままで、目の前で子どもが襲われていても、鵜木さんが集団リンチを受けていても、動く事すらできなかったという事だ。それを認めるのが怖いのだ。結局僕は、僕が可愛いから、全て彼女のせいにしようとしているのだ。江田のように、全て自分の責任だと背負うことも出来ない、情けないのが僕だ。そして、そんな僕を、S同盟の皆に知られたくなかった。僕が鵜木さんを助けた事に感謝しているなんて言ってくれた彼らに。もし知られたら、彼らは僕に失望して、僕からきっと離れていくだろう。それが怖いのだ。そして、それを彼に白状する勇気がない。

「俺の話は、これで終い。で、だ。溝口。お前、これからどうする?」

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