第19話 憶病な僕と救出作戦
歩道橋を駆け上がる。道行く『普通の』人は僕らの勢いと形相に驚いて道を譲ってくれる。このときばかりは、自分の容姿に感謝した。百八十を超える金髪の男が全力で走ると、やはり迫力があるようで、随分先からでも歩道橋の欄干に体を引っ付けるようにしてどいてくれている。
「次に狙われる可能性が高いのは、この男だ」
千鳥がSNSグループに情報を掲示した。芦原の画面を数名が頭を引っ付けながら見ていて、窮屈だったから助かる。
「恩田、翔平?」
貼り付けられた写真に映るのは、オールバックの温和そうな中年男性だ。見た事がある。新しく発足した政党、夜明党の代表だ。与党の由憲党が大敗すると言われている原因の一翼を担う人物でもある。三十代半ばと政治家の中ではまだ若手だが、すでに高いカリスマ性を持ち、国民からの人気は高い。僕もニュースで彼の演説やTVでのコメントを聞いた事があるが、話し方もスマートな気がする。自分の理想を語るのはもちろんの事、そこに至るまでの現実的な階段の昇り方を理路整然と話す。もちろん、理想だけではなく、厳しい現実も突きつけるが、それをいかにして乗り越えるかをきちんと説明してくれる。この人なら何とかしてくれそうな気がすると思わせる力が彼にはあった。他の政治家の批判をあまりしないのも好感が持てる。その事について恩田は「人の悪口を言ったって景気は良くならんでしょう?」と苦笑いを浮かべて語っていた。
「恩田の公式サイトで街頭演説の予定が記載されている。場所は渋谷、ハチ公前。時間は、今日の夕方六時」
夕方六時って、もうすぐじゃないか。
「彼の演説内容がどういうものかは分からないが、由憲党を応援するものじゃないのは間違いない。その演説の中にもし発症キーワードがあったら」
ハチ公前なんて、日本でもトップクラスの人口過密地域じゃないか。そこにいる人間全員が暴徒と化したら、人間一人なんて簡単にぺちゃんこだ。
「姐さん。ふと思ったんですが」
「どうした江田君」
「演説を止めさせる、という方法はないんですかい? 発症させなけりゃ、暴動も起きないわけですし」
「確かに、それは考えた。恩田も既に秋葉原、赤羽、銀座の事件は知っているだろうし、私の方から芦原さんの能力の事は伏せて、情報と危険性を訴えるメールを送付した。律儀に恩田の事務所は返信をくれたが、警備を強化して万全の態勢を整えるため問題ない、という趣旨が記載されていた」
その警備が牙を向く、とは考えていないんだろうな。
「それじゃ、演説は力尽くで止めるしかない、ってことですか」
「それも難しいな。強化された警備が、そのときは君達に襲いかかる事になる」
「それでも、演説を中断させる事は出来るんじゃないですか?」
「一旦は。だが、時間をおいてすぐに再開されるだろう。それに、演説している候補者の邪魔なんてしたら捕まってしまう。それも避けたい。目的と矛盾してしまうが、発症させて暴動を起こさなければ、恩田は救出できない」
恩田側は当然、悪意によって今回の事件が起こったなんて露とも思っていないだろう。故に、現実に悪意によって暴動が起きていることを認識してもらう必要がある。それでようやくこちらの話を信じてもらえる。
「暴動が起きた時の唯一のメリットは、襲いかかるまでの数秒間、警備は君達を襲わないという点だ。その数秒間の間に退路を開いて恩田を救出。最短距離で渋谷警察署に向かう」
シンプルで分かりやすい。けど、問題は残る。
「あの、すみません。そもそもの問題なんですが、どうやって退路を開くんですか?」
まわりを見ながら尋ねた。演説では何百人もの人間が中心にいる恩田を取り囲んでいる。何重もの人垣をどうやってかき分ければ良いのかさっぱり見当がつかない。
「それについては、幾つか策と道具を用意してみた。江田君」
千鳥の言葉に、江田が机の上に大きめのスポーツバッグをおいた。ジジジとファスナーを開けると、中に殺虫剤の小さい版のような缶が沢山入っていた。殺虫剤にしては、噴霧口がなく、代わりに消火器のピンみたいな金具が取りつけられている。あれ、もしかしてこれ。
「閃光手榴弾だ」
小さな声で江田が言った。
「…なんでそんな物を?」
スマートフォンに口を近付けて、まわりを気にしながら小さな声で尋ねる。
「いつか必要になるかと思ってな」
どんな『いつか』を想定していたんだろうか。千鳥という人物の謎が深まった。
「作戦はこうだ。人垣はバームクーヘンのように層を成して恩田を取り囲んでいる。君達はバームクーヘンを縦に切る包丁のように、人垣に対して垂直に二列で並ぶ。バームクーヘンの内側から外側までだ。聴衆の様子が変わったら、まず恩田に最も近い内側前列が彼に近寄り確保。閃光手榴弾等を用いて聴衆を怯ませろ。残りのメンバーは列を広げるんだ。小学校の体育なんかで、体操の隊形に開いた事があっただろう。あんな風にして人垣に隙間をこじ開ける。恩田が人垣を抜けたらその後に列を成していたメンバーも続き、撤収…」
急に、千鳥が黙った。どうしたんだろう。
「すまない。偉そうに作戦などとほざいて口ばっかりで。本当なら、私もそこのメンバーに加わるべきなのだが」
悔しげな声が届く。ああ、そんなことを気にしていたのか。僕らの知らない間に色んな情報を集めたり道具を集めたりしてくれていたし、別に気にするこっちゃないと思うのだが。反面、確かにどうして姿を現さないのだろうという気もしていた。
「姐さんは、足が悪いんだ」
僕の不思議そうな顔を見て、江田が教えてくれた。
「千鳥さんに会った事があるんですか?」
「何回かな。姐さんは昔、ある事故で足を怪我しちまった。その後遺症で、今も車いすで生活している。だから、こういう場に気軽に来られない。俺が姐さんの目と足代わりをしているんだ」
そう語る江田の表情は、強い覚悟を秘めている、ように感じた。その事故は、彼とも関係があるのだろうか。興味はもちろん沸いたが、興味本位でつついていいような話じゃない。千鳥は今、必死で自分に出来る事をしていて、江田との間に強い信頼関係がある、そのことだけ認識していればいいのだ。
「姐さんには、姐さんにしか出来ない事があるでしょう。情報をかき集めて、俺らに教えてくれるって仕事が。力仕事はこっちに任せて、そっちは指揮って奴を取ってくださいよ」
ぶっきらぼうだが、優しさが滲む声で江田が言った。
「…すまない。みんな、よろしく頼む」
おう、と全員が声を合わせた。僕も、芦原もだ。今、僕たちの心は一つになった。熱い何かが体の内側を満たしている。店員が飛んできて「他のお客様の御迷惑になりますから」と注意された。すみませんと全員揃って頭を下げ、着席する。違う意味で顔が熱い。
「…コホン。芦原さん。最後に、一つ確認したい」
心なしかさっきよりも小さな声で千鳥が言った。
「はい」
「君達は、当然恩田の演説を聞く事になるのだが、君達がキーワードによって発症する、という危険性はないんだな?」
「その危険性は、ないです。兄さん本人が出てくれば話はまた変わるかと思いますが、ここにいる皆さんは現時点で兄さんの影響を受けて意識を改変させられた土壌はありませんし、すでにキーワードに対する耐性が出来ています。無意識に影響するキーワードを、演説が聞こえる、キーワードかもしれないと身構えることで、意識というフィルターでカットできるという訳です」
「それを聞いて安心した。では、作戦を始めよう」
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