第18話 憶病な僕と政治家
駅前を人が埋め尽くしていた。恩田翔平は自分の頬を両手で二度軽く叩き、大きく息を吐く。これから、彼らの前で演説を行う。自分が何のために政治家を目指すのか、この国の、そこに住む人たちの未来のために自分に何が出来るか、どう行動していくのか。自分の意思を示す。決めるのは彼らだ。だが、支持されると信じている。この国の誰よりも、この国の事を考えている自信がある。
ゆっくりと台座に上がる。四方からの拍手が体を包む。恩田がマイクを口もとに近付けると、図ったように拍手は止んだ。
「願いはありますか?」
落ち着いた声が、聴衆の耳に届いた。決して大きな声を張った訳でもないのに、その場にいる全員がハッキリと聞いた。
「ここにいる一人一人に、この国にいる一人一人に、願いがあるはずです。大きな願いもあれば、慎ましやかな願いもあるでしょう。願いの大小はあれど全て尊いものです。私にもあります。大きな願いが」
だが、と恩田は続けた。
「願いがあるという事は、それはまだ叶っていない、ということでもあります。一体何が、願いの邪魔をしているのか。色んな場所を渡り歩いて、色んな方々から話を伺って、多くの問題が見えてきました。子どもを作りたいけど生活が大変だから、とか。お子さんがいらっしゃる方は学費が大変だ、とか。離れて暮らす息子家族に会いたいが距離と腰痛が邪魔をする、とか。…ああ、そう話してくれた方は、息子はどうでも良いから孫に会いたいと言っていましたけどね」
恩田が苦笑を漏らす。そこかしこで小さな笑いの花が咲く。腰痛は辛いよ、うちも子どもが二人いるからよくわかる、と共感も生まれる。
「例に上げさせてもらった話は、全て今国が抱える問題そのままなんです。少子化問題、不景気、医療費、税金、全てに関わってくる。皆さんの生活の問題一つ一つが、国の抱える問題となっております。生活と政治はイコールなんです」
一人一人にイメージを持ってもらいたいと恩田は思っていた。
今、国民は政治に無関心だ。諦めていると言っても過言ではない。誰に投票して、誰が当選して、誰が国政を担っても、自分たちの生活には全く関係ないと思っている。そしてそれは、まごうことなき事実だ。今回の選挙戦で、多くの候補者が現政権のことを『国民の声を無視している』と批判するが、違う。国民が政治を無視しているのだ。政治家には期待できないと。未来に希望を持てないのは当たり前だ。国を支える国民が、国の舵取りをするべき政治家から離れている。舵取りをするべき政治家は、国民の協力を得られないから何一つ現状を変えられない。その体たらくを見て、国民の心は更に離れていく。結果、国は迷走する。
これでは駄目だ。我々は、同じ国という船に乗っている。ならば、同じ問題を全員で見つめ、問題解決に向けて協力していかなければならない。
「私は、皆さんに願いを叶えてもらいたいんです。それが私の願いです。だから、生活を安定させるために景気を改善し、子どもを育てやすい環境を設け、腰痛をすぐに見てもらえるように病院施設を充実させたいのです。皆さんの願いを叶えるのが、皆さんの声を反映させるのが、皆さんの代表である政治家の本来の仕事です。皆さん一人一人の願いが一つずつ叶っていく事、それは、この国が良くなっていることのパラメーターに他なりません。だってそうでしょう? 皆さんの生活が安定しているという事は、国に力がつくという事です。国にとって力とは何か。人材と金です。…おっと、金の話がいやしいとは思わないでくださいね。これは紛れもなく事実ですから」
再び笑いが起こる。シリアスばかりでは息が詰まる。おどけてばかりでは姿勢を疑われる。緩急をつけるのが大事だ。
「私なら、皆さんの願いを叶える手助けができます。そのための案があり、死んでも成し遂げる覚悟があります。四年後までに私の案が通らず、皆さんの生活が何一つ変わらなければ、私は死んでいる事でしょう。死ぬ覚悟とはそういう事です。ですが、私はまだそのスタートラインに立てていない。私の願いを叶えるために、どうか皆さんの力を貸して欲しいのです」
一際大きな拍手が恩田を包み込んだ。ハチ公が溶けるほどの熱気だ。さて、ここからは正直、好きではない話をしなければならない。恩田は悟られないように気を引き締めた。
「今の政権で、皆さんの願いは叶えられますか? 長年同じ様な状況で、叶っていないのが何よりの証拠です」
話しながら、恩田は違和感を覚えた。恩田が口を開くと同時に聴衆が静かになった。しかしそれは、先ほどの自分の話を聞くために口を閉ざしたのとは、少し違うように感じたのだ。
「まずは、皆さんの声を届ける為に、今の政権を打倒し、凝り固まってしまった国会に風穴を開けます」
熱狂はなかった。批判もなかった。ただただ、虚無が通り過ぎていった。違和感は、異変に変わった。
「敵だ」
恩田に、一人が指を向けて言った。小さなたった一言が、静寂に風穴を開けた。
「敵だ」
「敵だ」
「敵だ」
自分を見つめる聴衆の目を、恩田は見た。昆虫のような、無機質な瞳の中に自分の姿があった。
「「「あいつは敵だ」」」
そして、暴動が始まる。四方から聴衆だった者たちが恩田に襲いかかる。
「目を閉じろ!」
死を覚悟した恩田の前に誰かが体を滑り込ませた。その誰かは自分と聴衆の間に何かを放り投げた。何かは分からない。その前に恩田は、言われた通り目を瞑っていた。
ドン、ドンと何発も臓腑を押し上げる音が響き、瞑っていたはずの目を眩ませるほどの光が溢れた。
「逃げるぞ!」
声と共に、恩田は腕を引かれる。目を瞑っている恩田は当然足元がふらつき、蹴躓く。
「馬鹿野郎。目はもう開けていいんだよ!」
開けた視界に、ジャージの背中が映った。ガタイの良い男が、自分の腕を引いている。その前には、金や赤、青にピンクと様々な色の髪をした青年達が、怯んだ聴衆を押しのけたり、消火器の噴霧を浴びせたりして道を開いている。東急百貨店を抜け、バスロータリーを横切り、JR改札前を抜けて東口へ向かって走る。
「渋谷警察署へ行くのか?」
先を行くジャージの男に問いかける。異変は、大枠に当てはめれば警察事案だ。警察を頼るのはごく自然な流れだった。
「良くわかったな。その通りだ」
ちらと肩越しに男が振り向き、不敵な笑みを浮かべた。政治家は車ばかり乗っているんじゃなかったのかとその目が言っている。
「渋谷区はかなり歩きまわったからね。駅周辺の立地くらい覚えているさ」
靴をすり減らして歩き回るのは政治家として当然の勤めだ。そうやって人々の話を聞いて回って、何が必要なのかを探らなければならない。陳情されるのを椅子にふんぞり返って待っているわけにはいかないのだ。なるほどね、と男は言い、再び前を見据え警察署に行く理由を答えた。
「あそこなら襲ってくる暴徒を押さえられるだろ。鍛えられた警察官に、デカイ建物は要塞代わりだ」
「君は、君たちは何か知っているのか? この暴動の原因を」
「知っている、が、後にしてくれ。今は生き延びるのが先決だ。政治に賭けるはずの命をここで失いたくないだろ?」
「もっともだ」
動揺から立ち直った恩田は走るペースを上げた。
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