第16話 憶病な僕と長い一日の始まり

「至急集まって欲しい」

 千鳥からの呼び出しが入ったのは、深夜のファミレス集会から三日後の事だった。場所は以前集まったのと同じファミレス。ただ、今日は深夜ではなく夕方だった。僕が自動ドアを潜ったときには、既に芦原とS同盟の数人が集まっていた。

「すみません、遅くなりました」

「こんにちは」

「おう、お疲れさん」

 芦原が小さく会釈し、江田がこっちに向かって手を上げた。他のS同盟の皆もこっちに軽く手を上げたり声をかけてくれた。なんか、良いな。挨拶が交わせるって。

 今日は、この前よりも人数が少なかった。何かあったのかと問うと、江田が答えてくれた。

「今日の集まりはおめえさんで最後だ。他の連中はおめえさんと同じで学校や、仕事とかの都合で来れねえ。代わりに、後で全員に今日の集まりで話した事は共有しておく」

 当たり前と言えば当たり前か。皆自分の生活がある。僕が席に座ったところで、江田が前と同じようにスマートフォンをスピーカーに設定して電話をかける。三コール目で千鳥が出た。

「忙しい中、集まってくれて感謝する」

「いえ、お気になさらないでください。…それで、今日集まったのは」

「ああ。お察しの通り、悪意によるものと思われる事件が発生した。その報告だ」

 楽しいはずのファミレスの一角が、重苦しい空気に包まれた。とうとう事件が発生してしまった。芦原は悔しそうに顔を俯け、S同盟は互いに顔を見合わせて動揺している。

「はじめに言っておくが、芦原さん、あなたには何一つ落ち度はない。事件が発生したのは秋葉原だ。渋谷からは少し離れている。幾らあなたが意識を改変された人間を察知し、その後の行動を高確率で推測出来るとしても、その人間に会えなければ推測する事すら難しい。東京二十三区に住む人間は、縄張りではないが、他の区に行く事は少ない。元々仕事で移り住んできた人間は、職場の近くに住むし、遠方からの通勤組は職場の最寄駅周辺しか動かない。従って、渋谷を拠点として探索を行っているあなたに、秋葉原の事件を事前に察知するのはかなり困難だっただろう」

「で、でも…」

 何か出来たのではないか、もっと良い方法があったのではないか、捜索範囲を広げるべきだったのではないか、いくつものもしもが彼女の中で渦巻いているのが分かる。

「断言する。東京に来て、一日二日で二十三区をまわりきるのは不可能だ。既に起こってしまった事件は悲しい事だが、どうしようもない。私たちに出来るのは、これから起こる事件を止める事に尽力することだ。そうだろう?」

 千鳥の言葉をゆっくりと咀嚼して、芦原がはいと頷く。

「よろしい。では、早速事件の概要を伝える。事件が起きたのは今日の午後二時ごろ。秋葉原で、暴力事件が発生した」

「姐さん。もしかしてそれって、今度の選挙の」

「その通りだ江田君。被害を受けたのは中野部ツヨシ。今度の衆議院議員選挙の候補者だ。今もニュースではひっきりなしにその事件の事を報道している。ニュースの内容は、中野部氏が暴漢に襲われ重症とあるが、実際は鵜木君の時と同様に、演説を傍聴に来ていた聴衆や事務所のスタッフによるリンチが原因だ」

「その人、大丈夫なんでしょうか? 選挙の演説って、何百人も集まるんじゃ」

 言いながら、僕の頭にはニュース報道でよく映される、演説のシーンが思い返されていた。一人の候補者の周囲だけではなく、歩道橋にまで上がって見ている人もいた。

「大丈夫では、ないだろうな。三百六十度、全方向から人の波が押し寄せ、中野部氏を押し潰していた。死んでいてもおかしくない光景だ。本人は重症で、現在病院で治療中となっている」

「そんなの、ニュースで流れてましたっけ?」

「いや、これだけ悲惨な映像は、流石にニュースでは流せないだろう。それに、その映像はTVクルーのカメラによるもので、そのクルーは中野部氏の暴行に加わっている。マスメディアが、わざわざ自分たちの不利になるような映像を流さないだろうさ」

 そういう千鳥の口調は、どこか皮肉気で、マスコミを批難する響きを含んでいた。何か、マスコミやそういう業界に対して含むところがあるのだろうか。

「その時の映像を入手した。これから芦原さんのスマートフォンに転送する。衝撃的な映像だが、確認して欲しい」

「分かりました。お願いします」

 芦原が自分のスマートフォンを取り出す。ブブッと小さく振動し、画面のライトが点いた。早速動画が送られてきたようだ。彼女がスマートフォンを操作し、テーブルに置く。僕たちは小さな画面を、頭をつつきあうようにひっつけて覗き込んだ。

 カメラは少し高い場所から、中野部氏が演説しているところを撮影していた。中野部氏の話が現政権の批判へと移行していく場面から、聴衆の様子がおかしくなり始めた。それまでは、心酔するように見つめていたり、反対に批判的な態度を取っていたり、珍しさから興味本位で覗き込んでいたりと、人によって違う見方、聞き方をしていたのに、いつの間にか全員の瞳から色が失われ、ぼうっとした目で中野部氏を眺めていた。駅の時と同じだ。

「敵だ」

『…は?』

「敵だ」

「敵だ」

「敵だ」

「敵だ」

『な、何なんだ、何なんだよ』

「「「あいつは、敵だ」」」

『ひ』

「た、助け」

 中野部氏が聴衆に呑まれる瞬間は、思わず顔を背けてしまった。幸い、と言うのもおかしな話だが、映像もそこで途切れていた。

「操られています」

 絞り出すように芦原が言った。

「そうか…」

 ほぼ予想通りではあったが、千鳥の声は重い。僕らの纏う空気も重い。

「原因は追究出来るだろうか? どういうきっかけによって発症したか」

「…少し待ってください、もう一度確認します」

 そう言って、芦原は躊躇いなくあの映像を再生した。情けない話だが、僕も含めた男連中は引き気味で、ほとんど画面から目を背けて、横目でちらちらと見ている状況だ。ホラー映画苦手だけどちょっと気になって目元を塞いだ手のひらの隙間から見ちゃう感じ。中野部氏の悲鳴が再び途絶えて、画面が暗転した所で、芦原は一つ息を吐いた。憔悴しているように見える。そりゃそうだ。あんな悲惨な映像を繰り返し見るのは辛いに決まっている。それを押して、事件解決のために頑張っているのだ。

「きっかけになったのは、中野部という方が発した言葉のように見受けられます」

「言葉?」

「はい。駅の事件の時は自分の中で膨れ上がる悪意が起因となりました。今回は、何らかの言葉を耳にした場合、その言葉を発する人間が敵だと認識するように意識が変えられていると思われます」

「言葉、か。中々危険なトリガーを設定しているな。いつ誰がその言葉を発するのかわからないから、暴発する可能性があるのに」

「ええ。ですので、特定の人間しか言わないような言葉、例えば政治家の方が言いそうな言葉ではないかと思います」

「特定は出来そうかな?」

「…すみません、そこまでは」

「そうか。なら、スローで再生しながら聴衆の変化を見て、推測していくしかないな。後は…、ん? ちょっと待ってくれ」

 ガラガラと何かが転がる音がスピーカー越しに聞こえた。小さくカチャカチャと音がする。しばらくして、ガラガラ音と一緒に千鳥が戻ってきた。

「悪い知らせだ。赤羽、銀座でも同様の事件が起こった」

 全員が愕然とした面持ちでスピーカーを覗き込んだ。

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