第8話 憶病な僕とファミリーレストラン
終電は大丈夫かと彼女に聞くと、そもそも彼女は東京に住んでいるわけではなかった。
「家は、山形です。なので、今日は東京に泊まるつもりで、渋谷にホテルを取っています」
「あ、そうなんだ…」
一瞬、考えた。始めに断っておくが、何の下心もない。一片のよこしまな感情も無い。極めて合理的な判断に至っただけだ。
「今日、悪いんだけど」
一緒に泊めてくれない? そう続けかけて、よく呑み込んだと思う。相手は年頃の女性だ。その女性に対して、よく知りもしない男が泊めてくれ? 部屋に入れてくれ? 頭の悪いナンパ文句よりなお酷い。
「…? なんでしょう?」
「いや、その…」
慌てて違う言葉を探す。悪いんだけど、から始まって違和感のない次の句を。
「昼の話の続きを、聞かせて欲しいんです」
「続き、ですか?」
「はい。正直、信じていませんでした。人を操る、だなんて。今も、まだ半信半疑です。けれど、あんなのを見た後では」
「…すみません」
なぜか、彼女が謝った。自分が責められているかのように俯いてしまう。
「違、違うんです。謝らなきゃいけないのは僕の方です。ごめん。信じなくて。後、言うの忘れてた。助けてくれて、ありがとうございます」
そうだ。まずはきちんと礼を言わないと。助けて貰っておいて礼も言わないなんて人として間違っている気がする。そして、改めて彼女に請う。
「きちんと話を聞かせてください。疑っておいてなんだ、と思うかもしれませんけど」
お願いしますと頭を下げた。
「もちろん、お話します。最初から。けれど、そちらのお時間は大丈夫ですか?」
さっきまで自分が一番焦っていた事を忘れているなんてどうかしていた。しかも、今の自分のセリフを思い出す。この時間に話を聞かせて欲しいなんて、部屋についていっても良いかと言っているようなものだ。頭の悪いナンパにしか聞こえないじゃないか。
「あ、別に今からじゃなくて、明日にでも、という意味で。ほら、僕終電なくなって、ファミレスでドリンクバーで過ごそうかとか思ってて、始発まで時間余ってるな、あ、そしたらその間に話聞けたらなとか自分本位の考え方しちゃっただけで、ごめん、そちらの都合を全然考えていませんでした」
焦って言葉を繋げれば繋げるほど、余計な誤解を生むような言葉に変換されるのはなんでだろうか。別に下心もやましい事も考えてませんよと伝えたい、ん? でも女性に直でそう言うのも失礼に当たるか? まるで魅力がないみたいじゃない云々、いや、別にそう言う事を言いたいのではなくて、こちらは何も後ろめたい事やあわよくば、みたいな事は考えてませんとだけ伝えたいのだがこれじゃ伝わる物も伝わらない。改めて自分のコミュニケーション能力に腹が立つ。
「じゃあ、そうしましょう」
僕の焦りとは対称的に、彼女はあっさりと了承した。
再び僕は、ファミリーレストランで彼女と相対していた。念のために用意しておいた一万円があるので、今度は彼女に払わせないつもりだ。
ファミリーレストランの中は、深夜なだけあってガラガラだ。僕達以外では、中央の席に既に潰れているサラリーマンしかいない。あの人、さっき駅前で見たような…気のせいかな。
棒読みの「いらっしゃいませー」で迎えてくれた店員に案内され、奥の四人席に向かい合って座る。「御注文決まりましたらボタンでお知らせください」と店員はサッサとキッチンの方へ消えていった。
「そう言えば、お互い名前も知りませんでしたね」
一緒に席についたものの、どう切り出したものか考えあぐねて、そういえば今更だけどこの人の名前知らないから、自己紹介から始めようと切り出した。
「え…」
「ほら、出会い方がインパクト強すぎて、その後もなんやかんやあって、自己紹介もしてなかったから」
警察の調書で名前は互いに出たが、間接的にではなく、改めて。これも会話の糸口になりそうだし。
「…あ、そうですね。確かに」
少しだけ寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。もしかして、どこかで会ってた? いや、こんなインパクトの強い外見、一度見たら絶対忘れない。
「え、と。じゃあ、僕から。僕は、溝口要といいます。十九歳で、今は大学生です」
なんだか、合コンみたいだなとふと思う。合コンなんかした事ないけど。
「芦原、結樹です。自営業です」
「自営業っ!」
思わず叫んだ。同じくらいの年齢かと思っていたのに、既に働いているっていうのか。もしかして年上なのか? 勝手なイメージだが、既に働いて自立している人は尊敬してしまう。確かに昼、不本意にも奢ってもらった時、財布の中身はお札がたんまり入っていた。
「あ、その、そんなに大げさなものじゃなくて。実家の家業を継いだだけで。年は同じです」
「そうなんですか。いや、それでも凄いですよ。もう働いてるなんて。どんなお仕事なんですか?」
「実家が神社なんです。ですから、親からそのまま受け継いだって感じですかね」
神社! レアな実家じゃないか。え、という事は。
「もしかして、巫女、さん?」
「は、はあ。一応、そういう事になりますね」
重要な確認のため体を乗り出して尋ねると、彼女は僕から体を遠ざけながらも正直に答えてくれた。
脳裏に、白衣に緋袴を纏う巫女姿が投影される。女性が男性のパイロットスーツや軍服などの制服に惹かれるように、男性は女性のナースやメイド、そして巫女服に惹かれるものなのだ。それはとても良い文明だ。夢とロマンが詰まっている。
おっと、まずい。夢とロマンに思いを馳せていたら、目の前の彼女がちょっと引いている。心の溝は中々修復できないのだ。急いで、かつ、何事も無かったかのように自然に話題を変える。
「とりあえず、注文しませんか」
メニューを取り出し、芦原が見やすいように開く。
「僕はドリンクバーと、ハンバーグセットにしようかな。芦原さんは?」
「私はトマトソースのスパゲティを。同じくドリンクバーで」
ボタンを押すと、意外にも店員はすぐに来た。少しだけタバコの匂いがした。慌てて消してきたのだろうか。注文を済ませると、店員はやはり制服のエプロンを翻してキッチンへ消えた。
「ドリンク、何が良いですか?」
芦原が立ち上がりながら尋ねる。
「そんな、悪いです。自分で行きますよ」
「遠慮しないでください。それに、荷物を置いているので、見張っていて頂けると」
荷物を指差され、そこまで言われたら、こちらも強くは言えず。ウーロン茶をお願いして、浮かせかけた腰を下ろす。彼女が長い髪の先を左右に揺らしながらドリンクバーに向かうのを見届ける。
「私たちの家系は、古くから少し珍しい能力を持って生まれます」
言葉を少し選ぶようにして、芦原は切り出した。
「主に、心とか感情とか思考とか、そういったものに関連する能力です。多いのは、心を読むことでしょうか。考えている事を読み取ったり、感情を共有したり」
心に関連する能力って、それくらいではないのかと思っていたが、実際はもっと細分化されているようだ。
「心を読む者の中で、もう少し能力の強い者だと、表層の意識だけでなく、その人が無意識に考えている事、思っている事、深層意識と言うのでしょうか。そこまで深く読み取れます」
「なる、ほど?」
出来ると言われても、それがどういうものなのか、何ができるのか、いまいち想像出来ない。僕の無知に気づいたか、「例えばですね」と彼女は具体例を出してくれた。
「高いところが苦手な方がいます。原因は、過去に高い所から落ちて怪我をしたせいです。本人はその事を覚えていませんが、体は覚えています。深層意識は、本人の意識が忘れているような、過去の経験を蓄積しておく表に出ないが表に影響を及ぼす貯蔵庫みたいなものです。その本人ですら忘れているような経験や知識にアクセスする事が出来ます。アクセスし、気づかせ、また克服するサポートを行うなどができます。そういう人の心のケアを仕事に選んだ親族がいます」
「カウンセラーの、催眠療法、みたいなものですか?」
「そうですね。催眠状態にしなくても、相手から話さなくても、相手の情報を読み取れると思って頂ければ」
「すごい」
素直にそう思った。そんな人がいるなら、トラウマ等で悩まされる人は激減する。心が起因となる病や問題は多いが、原因がいまいち分からないし、心が問題と気づかない場合もある。本人に意識がないというのも問題だ。それを気づかせてくれる存在はありがたい。原因が分かれば、対処の仕方は考えられるものだ。
「ありがとうございます。けれど、そんなに良い物ばかりじゃないんです」
苦笑しながら芦原は言った。
「心を読まれる事を、ほとんどの人は良しとしません。最初は喜んでくれても、後々気味悪がられます。考えている事を丸裸にされるというのは、考える事の多い人間に取っては不都合の方が多い。それに、人は、自分とは違うものに対して拒絶反応を示す傾向があるので」
確かに、今頭の中を覗かれたらまずい、ということは僕にもある。十八歳未満お断りの妄想、とかね。
「また、深層意識は、その人の倫理観や行動理念に強く結びついています。その深層意識にアクセスできると言う事は、影響を与え、書き変えられるという事でもあります。そしてそれを、本人の意思とは関係なく、人為的に行える者もいます」
「倫理観が変わる、ってこと?」
「そうです。…溝口さん。あなたは、人を殺せますか?」
何を突然。そんな事出来るわけがない。勢いよく首を振って否定する。
「何故ですか?」
「当たり前じゃないですか。悪い事ですよ。そもそも僕は、臆病なので、そんな恐ろしい事出来ません」
「それが、書きかえられます」
それこそナイフを突きつけるような真に迫った様子で、彼女は静かに告げる。
「殺人を悪と思わず、恐ろしいと思わず、実行できるようになります。その人を形作る深層意識を書き変えるとは、そういうことです」
喉がごくりと動いた。彼女から目を離せずにいる。
「じゃ、じゃあ。まさか、今日の事件の犯人って」
「はい。深層意識が書き変えられた方たちです」
重たいプロローグを経て、ようやく話が本題に入った。その本題も、やめときゃよかったと思うような、胃もたれしそうな重さである事は、想像に難くない。
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