第4話 臆病な僕と次回予告

「昼間は、申し訳ございませんでした」

 近くのファミリーレストランで毛羽毛現はテーブルにつきそうなくらい頭を垂れていた。多量の毛髪がバサッとテーブルに広がり、なんとなくホラー映画を髣髴させた。

「え、何で? 何で謝ってるんです? 僕何かされましたっけ?」

 怯えながら、頭を上げてもらうよう要請する。

「何も説明せずに、あなたをあの現場に向かわせてしまったから」

「あの現場…ああ、はいはい。あれね。事件の現場のことですよね」

「はい」

「そんな、別に気にしなくても良いのに。いきなり腕を掴まれて声をかけられたのはびっくりしたけど、事件に関わったのは別にあなたのせいじゃないし。僕が勝手にやっただけで」

 可能な限り明るい声で伝える。しかし毛羽毛現は納得行かないのか、頭を下げたままだ。非常に困る。このホラーテイストの光景もそうだが、女性に頭を下げられ続けるというのは居心地が悪い。咳払いして、何か話題を探す。話す事さえ見つかれば、姿勢を戻してくれるはずだ。

「その、何か僕に用があったんじゃないんですか?」

 話題も何も、本題を切り出せば良かった。問題解決だ。毛羽毛現も頭を上げ、それでも顔はよく見えない。彼女も僕と同じで猫背だからだ。

「助けて欲しいんです」

 再び、彼女は助けを求めた。だから、何で僕なんだ。そう問う前に、彼女は話を続けた。

「昼間の事件ですが、あれは仕組まれたものです」

「仕組まれたって、どういうことですか? あの男性の計画的犯行っていう意味ですか?」

 計画的犯行だと言うなら、やはり今警察で語っている男性の証言や様子については偽装の線が出てくる。だが、同時に違和感も残る。知能犯というのも少し違うが、計画的に犯行を企て実行したにしては、あまりに男性は感情を剥き出しにし過ぎていた。憎いから傷つける、壊す、殺す、そういう負の感情を叩き付けていた。そこに、計画なんて理性的な物は介在していないように思えたのだ。

「そうではないんです。男性の行動そのものが、別の人物によって仕組まれたものなんです」

「別の人物?」

 それは、刑事ドラマなどで見かける、家族を人質にとられて脅されていたとか、借金返済のためとか、そういう理由が合ったという事だろうか?

「違います。彼が犯行を行った背景に、そういった第三者からの要望や脅迫はありません。彼が率先して、そう行動したいと考え、行動に移した結果になります」

「え、と?」

 話が矛盾している。誰かが仕組んだと言いながら、犯行は男性の意思によるものだと言う。

「それじゃあ、誰かが仕組んだことにはならないんじゃ」

「いいえ、違うんです」

 弱々しく、彼女は首を振り、話の切り口を替えた。替えすぎて、関係あるのかと訝ったほどだ。

「イライラした事ってありますか?」

「え?」

「ですから、イライラした事です。満員電車で人に押し潰されそうになったりとか、急いでいるときに限って道幅を埋める学生の集団登下校に遭遇したときとか」

「あります。良くあります」

「そんな時どうします?」

「電車は、諦めて乗るか、気分が悪くなったり時間に余裕があったら降りて次の電車を待ちます。道については、そのまま後ろからついて行くか、道を替えるか、どうしても急いでいる時は声をかけます」

「声をかけると仰いましたけど、怒鳴ったり、押しのけたりは?」

「まさか。そんなことしません」

「では、あなたは満員電車で押し潰されそうになっても、道を通るのを妨害されても、暴力を振るうどころか、怒鳴ったり文句を言ったりする事も無いんですね」

「するわけ無いじゃないですか。これは、僕だけじゃなくて、大多数の、他の普通の人もしないと思いますよ。仕方ない事だって、理解しているから」

「そうでしょうね。私もそう思います」

 ですが、と彼女は続けた。

「心の中には、しこりは残ったままですよね。早くどいて欲しい。いなくなって欲しい。どうして人の邪魔をするのかなどなど、相手に対して嫌な感情を抱いたままですよね?」

「それは、まあ」

「もし、その感情が面に出たらどうなります?」

「感情が、面に出たら? どういう意味ですか?」

「そのままの意味です。目の前の相手に対して嫌な感情が、理性で押さえる事無く出てきたとしたら」

 少し考えて、もしもの話だとして、答えを出す。

「多分、相手を押しのけると思います。電車なら、自分の楽な空間を確保するでしょうし、道は人をかき分けて進むと思います」

「そうですよね。私も同意見です」

「あの、何が言いたいんですか? もしもの話をしても」

「そのもしもが、もしもじゃないとしたら?」

 彼女が顔を上げた。僕の顔を覗き込むようにして見上げている、と思うのだが、相変わらず彼女の顔は髪の毛で隠れて確認出来ない。

「事件を起こしたあの男性は、理性で押さえられないほどの感情が溢れていたんです。溢れさせられていたんです」

 溢れさせられていた。その言いかたはまるで、誰かの手によって感情が操られていたみたいじゃないか。そんな馬鹿な話が

「あるんです」

 僕の疑問を断ち切るように、彼女は断言した。

「人の感情を操り、悪意を増幅させる事の出来る人間がいます。その人間が、今回の件の首謀者です」

 

 軽快な音楽が流れ、他の客の喋り声が響く騒がしい店内のはずなのに、僕達の周りだけは無音だった。これが空気が固まるという現象か。空気が固まって振動を起こさないから、鼓膜が音を拾えないのだ。

「そんな、馬鹿な」

 笑い飛ばそうと椅子の背もたれに体を預けて仰け反る。しかし、笑いは起きない。冗談ですよ、なんて返答を期待したが、寒々しい沈黙が流れただけだった。

「本当なんです」

 机に身を乗り出すようにして毛羽毛現は言った。

「本当なんですなんて言われても、ねえ? やっぱり信じられないというか」

 人の感情を操る? 悪意を増幅させる? 一体どうやって、って話だ。感情なんてその人の物だ。そりゃ、素晴らしい景色とか、芸術とか、そういうので心動かされる事はあるだろう。卑劣な犯罪や痛ましい事故、災害で心痛める事もあるだろう。けれど、そういう外部刺激に対して心や感情がどう変化するかという話ではない。外部からの他人の意思によって心や感情を強制的に変化させられるという話だ。触れられないものをどうやって? 心理カウンセラーみたいな職種の人だって、本人の意思に反するようなことは出来ないはずだ。

 もしかして、あれか? 

 僕の中で疑惑が膨らんできた。これは、もしかして悪質な詐欺なんじゃないか。事件を利用して、不安な心境にある僕を言い包めて「心が操られないようにお守りを買うべきです、今なら一つ十万円、二つ目からは半額の五万円で!」みたいな。そういう話ならお断りだ。こちとら長時間の事情聴取でかなり疲れている。

 とはいえ、ここで話を打ち切って、さっさと出て行く行動に移せないのも僕だ。相手が嫌な思いをするんじゃないかとなぜか心配してしまう。この変の気の弱さも、何とかしたい、何とかしたいと思いながら何とも出来ずに長い事付き合っている。

「信じられないのも、無理はありません」

 勧誘かお金の話が出ると身構えていた僕に届いたのは、引き下がるためのセリフだった。悲しそうな声なのは無視する。無視するんだ。これは、同情を引くための物なんだ。ここで下手に声をかけたら、相手の思うつぼだ。はを食いしばるようにして、僕は彼女の次の言葉を待った。

「ですが、私が今言った事は本当です。そして、これからも起こります」

 毛羽毛現は立ち上がり、伝票をとった。

「あ、支払いは僕が」

 伸ばした手の隙間から伝票はすり抜けていく。

「きょうのごごにじゅうさんじにじゅうごふん、とうきゅうとうよこせんのしぶやえきさんばんほーむ」

「え、え?」

 矢継ぎ早に、彼女が何か言った。伝票に意識を向けていた僕は、ただの音として受け取った。信号を受け取った脳が言語に変換する。今日の午後二十三時二十五分、東急東横線渋谷駅三番ホーム、で良いのか?

「ここで、同じ事が起こります。感情を操られ、悪意に満ちた人間の凶行が」

「ちょ、待って、どういう事?」

 質問に答えず、彼女は去っていく。慌てて僕も身支度を整えて彼女の背中を追う。

「待ってって。どういう事なの? また事件が起こるの? というか、伝票ください。僕が払うから」

「いえ、大丈夫です。私がお誘いしたので」

 伝票を店員に渡してしまう。

「千円になります」

 店員の声に従い、彼女は財布を取り出して千円を出そうとする。僕は店員と彼女との間に割り込み、自分の財布を開いた。無理やりにでも自分で払う。その意思を見せつけようとして、固まった。六百八十円しかなかった。無くしたら怖いからと、いつも昼食分しか持たない自分を、これほど悔やんだ事はない。奥歯を強く噛み、ゆっくりと彼女に前を譲った。恥ずかしくて泣きそうだった。彼女は何も言わず、自分の財布から千円出して払った。チラッと見えたが、彼女の財布の中にはかなりの札束があった。

「御馳走様、です」

 店の外で、彼女に頭を下げる。顔を合わせられなかった。

「いえ、良いんです。さっきも言いましたが、私が誘ったので」

 それでは、と彼女は踵を返し雑踏の中にまぎれて行く。レジ前の羞恥心のインパクトが強すぎで、結局聞きそびれてしまった。言葉の意味も、彼女の名前すらも。

「今日の二十三時二十五分、東横線の渋谷三番ホーム、だっけか」

 同じ事件が起こると彼女は言った。時間も場所もかなり具体的だった。もしかして、本当に何か起こるのか?

「いや、そんなわけないし」

 頭を振って、意識をその件から遠ざける。詐欺師の手口だ。思わせぶりな事を言っておびき寄せるに違いない。渋谷の二十三時なんか、仕事帰りの酔っ払いとか柄の悪い連中とか腐るほどいる。大なり小なり何かが起こる要素が満載だ。そして何か起こったら「言った通りでしょう?」みたいな顔をして出てきて、信用させるんだ。そうに違いない。行かないぞ。僕は絶対に行かない。気になんかこれっぽっちもなってない。

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