第3話 臆病な僕と事情聴取

 警察署から解放されたとき、辺りは既に暗くなっていた。

 あの後、誤解は簡単に解けた。決め手は周りの人々が撮影していた動画だと言うのだから笑うしかない。

 よくドラマで、警察が誤認逮捕しても大した謝罪も無くむしろ余計な事するなというような上から目線で釈放しているシーンがある。僕としてはそうなるんじゃないかと思って身構えていたが、意外、というのは失礼かもしれないが丁寧に謝罪と対応をしてもらった。ちょっとした事で騒ぐしネットに晒し上げたりする世の中だから、過敏になっているのかもしれない。どんな強固な壁も、少しの亀裂から崩壊するものだ。

 ただ、その後の事実確認のための事情聴取がかなり時間を食った。何故そこにいたのか、何故助けに入ったのかなど、助けに入った経緯や取り押さえた事に関する事などを確認された。特に格闘技経験だ。柔道や空手の有段者や、ボクシングやレスリングなどの経験者は、繰り出す技、それこそ拳や脚が凶器となるため、正当防衛が適応されにくいそうだ。過去に、家の近くに小さな古武術道場があって、そこに通っていたという話を正直にした。当時から気が弱く、体も小さくて体力も無かった僕は、そこに行けば自分が変われるのではないかと本気で信じ、門戸を叩いた。男子は正義のヒーローに憧れるものだ。強くてカッコ良いヒーローに。

 真面目に、サボる事なく通った結果、そこそこの力や技術は身についたとは思う。けれど、心の弱さだけはどうにもならなかった。殴ったり蹴ったりするのにどうしても躊躇してしまう。今も昔も変わらず、僕は弱いままだ。師範はそれで良いと言っていた。相手を殴る怖さを、傷つける怖さを知っている者こそが、強さを身に付けるべきだと。未だに意味は分からない。弱さが強さなんて、明らかに矛盾しているし。

 正義のヒーローにはなれそうも無いけど、今回はそれが幸いした。動画でも確認して貰ったが、僕が取った行動は相手を取り押さえたことと武器を取り上げた事だけで、過剰防衛や傷害には当たらなかった。逮捕された男性にも大きな怪我は無かったのもそれを裏付けた。

 その暴れた男性について、少しだけ教えて貰えた。刃物を持って暴れたわけだけど、実際に誰かが怪我を負ったなど、被害者が出たわけではないので、傷害罪は適応されるかわからないが、それでも迷惑行為、銃刀法違反などの罪に問われるらしい。法律の事はよくわからない僕にはそれが刑期何年だとかはピンと来ない。気になったのは別の事だ。逮捕された後、男性は素直に取り調べに応じているという。暴れる様子もなく、至って冷静に、というよりも憔悴し、怯えながら供述していると教えてくれた。多分、これも取り調べや裏づけの一環なのだろう。僕の反応を見て、男性の性格や心理を外部情報から推察しようとしているのだ。ただで教えてくれるほど、警察が情報の取り扱いがガバガバであるはずが無い。とにかく、警察の真意はどうあれ、教えて貰った話について考える。

 曰く、男性は、なぜ自分があんな事をしたのか自分でも理解出来ない、とのこと。

 正直、信じられなかった。僕は目の前で、彼が暴れる様子を見ていた。親の仇でも見るかのような憎しみに満ちた目で周囲を睥睨し、収まることの無い憎悪を燃料に暴力を振るっていたように見えたのだ。その男性が大人しくしている様子など、想像も出来ない。テンションが上がっているときに恥ずかしいセリフとか行動とか記録をとっておいて、年を取ってから見てしまい恥ずかしがるのとはわけが違う。

 

 警察署の玄関をくぐりながら、うん、と体を伸ばす。長時間椅子に座っていたため、体がカチコチになっていた。今日の予定は丸々潰れてしまったが、貴重な経験が出来たと諦めよう。ただし、二度とご免ではあるけれど。

 湿気を含んだぬるい風がまとわりつく。梅雨も開けて、本格的な夏が近付いている。大学生の夏休みは高校の時より長い。かといって、何か予定があるわけでもない。高校の時の数少ない友人は皆別々の大学に行ってしまい、付き合いが薄れていた。大学では、仲が良いどころか、話をする相手すらいない。いわゆるぼっちってやつだ。原因はわかっている。僕の容姿だ。

 生まれも育ちも日本だが、純粋な日本人というわけではない。父は日本だが、母が東欧出身だ。そのため地毛が既に白に近い金髪。個性尊重個性重視と言いながら人と同じである事を求められ、個性を出せば叩かれる矛盾した日本社会では一発で弾かれる素養を生まれながらに持っていた。髪から下へ行けば、次に気になるのは目だ。父譲りの三白眼で、目つきが悪い。加えて体は百八十センチ八十キロ。今もなお古武術道場で習ったトレーニングを惰性で続けている。細マッチョが女性の理想だって、モテるって聞いたから。けれど努力して手に入れた肉体の、数少ない友人からの総合評価は闇の組織のヒットマンだ。少なくとも堅気には見えないらしい。確かに思い当たる事が何度かあった。女子どころか男子にも避けられている節がある。これで母譲りのコミュニケーション能力も遺伝していれば、もしくは父の天性の人誑しの才能が遺伝していれば、まだ評価が変わっただろう。母のおっとりした優しげな垂れ目でも良い、父のセクシーな塗れ羽色の髪でも良い。でも無いものは仕方ないし、生まれながらに持っている素養だって手放す事が出来ないからどうにもならない。

 輝くような、夢のような大学生活なんて本当に夢だった。そんな物はない。幻想だ。漫画や小説が語るのは、『理想の』という修飾語が頭につくものばかりだ。現実にそんな物があってたまるか、というのが今の僕だ。真っ白なカレンダーが家で待っている。

 自分がぼっちな理由を考えていて悲しくなっていた時、ふと気づいた。あの毛羽毛現だ。彼女はそんな僕の腕を知り合いでもないのに掴んでいた。今思えば珍しい経験だった。

「いや、そもそも毛羽毛現の存在自体が稀有か」

 苦笑しながら警察署の門を出る。門番のように立っている警察官に一礼して、さて、バスで帰るか電車で帰るか。とりあえず、駅前の方へ歩くか。

「すみません」

 声をかけられる。聞き覚えのある声に振り返る。ああ、やっぱり。

「今、お時間宜しいでしょうか」

 全身を包むかのように伸びた髪の毛の隙間から声が聞こえる。毛羽毛現に再び遭遇した。二度目ともなると、もう驚かない。なぜ僕に付き纏うのかの謎は残るが、それも説明してくれると言うのなら。

「はい。大丈夫ですよ」

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