銃の話

 朝の青空の下、焼け落ちた小屋の前に、テトは猟銃をぶら下げて立っていた。

「出て行ってくれ……」

 テトの背後で、男が呻いている。おそらくまだ、小屋に点いた火は完全には消えていないだろう。妙に乾いた血の匂いもする。

 ユリィはどこかに行ってしまった。猟銃だけを、テトの前に残して。そのことはきっと、昨晩小屋を抜け出したときから分かっていた。

「あなた達に、何か迷惑かけた?」

 テトは男に向き直った。すぐ近くの村の連中だろう。

「浮浪児とはいえお前みたいなガキに悪い商売されると、こっちもやっていけねえ。そんでも見逃してやってたと思えば、ついに芋まで盗みやがって」

 そううわごとのように言う男は、妙に震えていた。恐ろしがっているかのように、テトから目を背けながら。テトはただ、黙って男の言葉を聴いていた。

「本当なら……お前がガキじゃなきゃ、こんなもんじゃ済まさねえよ。分かったら、ここから出ていけ。それに……」

 そこで、男はなぜか言いよどんだ。

 テトは思う。貧しい村だ。誰も皆、生きるのに必死だ。助けを求めることなんて、できやしない。

「……いや。とにかく、早く、出ていけ」

「わかった。準備するから、あと半日待って」

 目を背けたまま言う男にテトはそう言い残して、燃えあとの小屋に入っていった。酷く煙が上っていたし、墨がまだ赤い火がついていたりするが、壁もほとんどなくなってしまったせいか、平気だ。

 皆燃えてしまった。藁も草も、草籠も食器も、僅かばかりの硬貨も。だけどそれだけだ。失うものなんて、テトはほとんど持ち合わせていなかった。

 どうしてだろう。失敗したのに。これまで村のものを盗んだりするような危険な真似なんてしたことなかったのに。この売り場を捨てなくちゃいけなくなった、草も採っていけるかわからない、これからどう生きていくかも決められていないのに。なぜか、少しも後悔していなかった。清々しいような気さえする。そんな自分が不思議だった。

 部屋の奥に、黒く焦げたものがあった。人間の死体のようだった。ユリィに違いなかった。テトが息を飲んで触れると、手には黒い血がついた。ユリィは死んだのか、とテトは思った。そう思うと、テトはなんだか嫌な気持ちになった。

 息を吸い込んで目線を移すと、死体の左手の下に、何かが挟まっていた。煙と焦げた黒ばっかりの中で、そこにある白さに目が留まった。

 それを摘まんで取り出した。黄ばんでいるけど白く硬い、紙の切れ端だった。何も書かれていなかった。だけど、白い紙なんて、テトは一つしか知らない。昔旅人にもらった図鑑しかなかった。

 テトはそれを投げ捨てた。

 結局持っていけるようなものもなく、もう一度外に出ると、さっきの男は居なくなっていた。きっと村に帰ったのだろう。

 それから、テトは遠い南を眺めて、そこにあるものに気が付いた。

 石礫の地面にぽつぽつと咲いた、花びらの六つある、朱い花。見たことがない花。いや、ある。あの図鑑の中で。それが、一本の道のように南へと点々と咲いていた。そしてやがて途切れる、昨日まで無かった花。

「……うそつき」

 テトは俯いた。ほとんど無意識に、口を開いていた。

「うそつき、うそつき、うそつき!」

 顔を上げて、今度は思い切り、テトは叫んだ。意味が分からない。自分が何を言いたいのか分からない。それにこんなところで大声を出したって、きっと誰も聞いていない。

「うそつき! うそつき!」

 それなのに、頭の中の自由じゃない部分が、テトにそうさせていた。

 ひとりぼっちで、生きていくつもりか。

 簡単に息が切れてしまった。テトはもう一度息を吸った。そのときだった。

「もう、うるさいなぁ」

 聞き覚えのない声がした。はっと前を見ると、一人の少女が、ゆっくりテトの方へ歩いてきていた。すっかり見慣れた赤頭巾を被っていた。もちろん、ユリィなんかじゃない。ずっと白い髪に、ユリィの水色と違う金色の目。少女は頭を掻きながら、テトの目の前で立ち止まった。

「あなたは……」

「この姿で会うのは、初めましてかな。僕が赤頭巾で、狼だよ。ちょっとだけ、『赤頭巾』っぽく姿を現してみた」

 そう言って、少女は微笑んだ。テトはこの状況に、動くことができなかった。少なくとも少女に殺意は感じないけれど。

「で、結局、君は僕を連れて行ってくれるの?」

 少女が続けた言葉に、ようやくテトは思い当たった。テトは頭を振った。意味はわからないけれど、その問いかけに答えられないことを本能で知っていた。

 テトは無意識のうちに、手に持っていた猟銃を抱え込んでいた。

「その形見。その銃はもう君のものだよ」

 少女は表情を変えずに言った。

 テトのものになった覚えはない。ユリィが勝手に置いていっただけだ。形見なんて知らない。ただの物だ。何かに使えるかもしれないから、持ってはきたけど。

「君もユリィみたいに、今の命を捨てて狼になりたいかい?」

 少女は何もかも当然のように話を進めていた。その速度に負けないように、テトは少女を睨む。

「……狼になったら、どうなるの」

「どうなりたい」

 少女の返答は淀みなく、追い打ちをかけるように続ける。

「小屋も草も、全部燃えて。残ったのは、君一人だ」

 念を押すように惑わせるように繰り返す。

「狼になるなんて、簡単なことだよ。赤頭巾を被って、一番殺したい奴を思い浮かべて、引き金を引くだけ。それだけで君は、ずっと楽に生きていける」

 テトはユリィのことを思い出す。きっと、少女は嘘を言っている。それでも、言い返す方法が分からない。テトが何も知らないからだ。

「ね」

 そう言ってもう一度、少女は笑った。そしてテトに手を伸ばす。テトはそれを、真っ直ぐに見返した。これが世界だ。ただの世界だ。そうするといつもテトには、あること全部、大したことじゃないって思える。だから。

「いらない」

 少女の指先が、額に届く寸前で止まる。

「あの空っぽな小屋の中に、燃えたものの中に、大事なものなんてなかった」

 必要なものなら、無かったわけじゃない。それでも生きられないわけじゃない。猟銃だって、結局盗まなかった。狼になる必要なんてないんだ。生きるために、生きる。それがテトの正解だ。

「殺したくなるくらい憎いなんて気持ち、全然わからないよ」

 そう言い終えて、テトは少女をもう一度見返す。テトより背の高い少女の表情は、影が落ちて消えている。そう思った次の瞬間には、少女はテトから離れて、腰に両手を当てていた。なんだか不満げに頬を膨らませている。

「殺したくなるくらい憎い、か。それ、本当にわからない?」

「うん」

「だけど君は、ユリィに殺されてもよかったんだろ」

「そんなことない」

「あるよ」

 本当に、そんな風に思ってたわけじゃない。首を横に振る。そんなテトを見て、少女はくるりと回る。

「いらないなんて聞いたら、あいつなら怒ったかな。まあ、僕は別にどうでもいいんだけどさ」

 そう言いつつ、少女は殊更にがっかりしたような素振りを見せながら言う。テトは黙って次の言葉を待った。

「君は、一人でも平気だって言うけど。愛がどうとか、可哀想だとか、そんな言葉に興味はないけど。だけど、君は人間だと思う」

「人間……」

 自分が人間。テトには当たり前のことだった。どうしてそんなことを言うんだろう。でもそれなら、目の前にいる、人間にしか見えない少女は、なんなのだろう。赤頭巾で、狼で。

「僕は、人間の言葉で言えば幽霊、なのかな。赤頭巾ちゃん、でどう。僕には名前なんて無いしね」

 テトにはよくわからない。

「名前、ないの」

「無いけど、別に困らないだろ。誰が決めたのか知らないけど、君だって」

 特別自分の名前を気にしたことなんてなかったけど、そう言われると、テトはどこかむっとした。

「……私、テト、だけど」

 それでもテトの呟くたどたどしい声に抑揚はない。少女は頷く。

「やっぱり、君は人間だよ。ユリィも、結局ユリィだった」

 そして、少女は変わらず意味のわからないことを言う。だけど、テトは嫌いではなかった。もっと、少女のことをわかりたいとも思う。そのとき、ふとテトの頭に浮かぶ音があった。

「……コエ」

 コエ。そうテトが繰り返すように言うと、少女は怪訝な顔をした。

「……どういう意味?」

「名前、なんとなく、あなたに似合う気がした」

 それはテトの本心だった。少女は目を丸くした。へえ、と背を向けて言う。

「僕には似合わないよ。でも嫌いじゃないよ、コエ、って」

 そして振り向いて、歯を見せて笑った。そこには獣の牙なんてなくて、ただの少女にしか見えなかった。それからもう一度テトを見返して、少女は続けた。

「それじゃあ、僕はしばらく寝てることにするよ」

 テトは目を見張る。自分のことを、諦めてくれたんだろうか。でもそうしたら、目の前の少女はどうなるんだろう。

「心配してくれてる? 平気、飢えるのには慣れてるから」

 そう返す少女の声は、あまりにもあっさりしていた。テトは何も言うことができなかった。少女は地面に寝転ぶ。そしてテトを見上げて言った。

「もし、僕がいらなくなくなることがあったら。もし君や、君じゃない人が、殺したいほど誰かを憎むようになったら」

 僕を呼べ。そう少女は続けた。

「いつだって、僕が喰ってやる」

 笑みの消えた少女の、刺すような金色の目が、綺麗だと思った。昨日の夜の満月と同じくらいに。これが、テトの見たことのない、狼という名の獣なのだろうか。それでも、テトは頷けなかった。そんなテトを見て、少女は微笑んだ。

 そして砂が攫われるように、テトの目の前で少女は消えた。

 おやすみ、テト。

 テトは結局、言葉を返すことができなかった。

「おやすみ……コエ」

 誰もいなくなってから、あてもなく呟く。少女が消えたあとの大地には、古びた赤い頭巾だけが残されていた。



 テトはもう一度、南へと続く血色の道を見た。咲くはずのない朱い花。血痕から生えたような跡。追っていくには、遅すぎて、遠すぎる。

 だってこんなに、空が綺麗だ。

 そのとき、テトの背後から、一際強い風が吹き抜けた。その風に乗るように、地に落ちていた赤頭巾がふわっと浮き上がった。そしてそのまま、テトの頭を超えて、赤頭巾は空へと揚がっていった。何処までも。何処までも高く。空の向こう側まで。

 テトはただ、青に消えていく赤を見上げていた。



 男は燃やした小屋から村への道を引き返して、テトのいた方へ戻るところだった。もう出て行ったのか、確かめたかった。その目の前に、走ってくる人影があった。おぼつかない足取りは、ワンピース一枚の小さな少女のものだった。硬そうな灰色の髪を振って。

「お前……」

 立ち竦む男に駆け寄ったテトは、膝小僧に手を触れて、肩で息をしていた。どうした、まだ何かあんのかと、口に出すこともできない。その手に持った古びた猟銃のせいなのか、別のもののせいなのか、自分のたった半分の背丈の浮浪児が怖かった。

 そんな男にテトは向き直り、草色の目で真っ直ぐに見上げた。それから少し、目を伏せた。

「盗んだこと、謝って、なかった。ごめん」

 それだけを確かめるように言って、一度、頭を深く下げた。男は何も言えなかった。

「……じゃあ、さよなら」

 テトは踵を返して、歩き出した。返事もなかった。追ってもこない。元からこんなことで許されるとも思ってない。

 歩きながら、テトはふと立ち止まった。地平線が、視界を横一文字に切っている。いずれ途切れる朱い花びらの道がある。 

 花はいつか、枯れて死ぬらしい。テトもいつかは、そうなるんだと思う。だけど今は、生きている。

 空が綺麗だ。

 ユリィになって、この下を、狼みたいに駆けていきたいとも思う。

「だけど私には、そんな足が無いから」

 テトは空へと猟銃を掲げて、撃つ真似をした。引き金を引いていないから、音は鳴らない。入道雲の隙間の青はただ一つ鮮やかで、吹き抜ける風には死の薫りが混じる。

 味方なんて居ないけど、私はここにいる。ひとりぼっちでも生きていけるみたいだ。今は、まだ。それでも。

 テトは目の前を見据えた。口の端に力を入れると、顔が歪むのが分かった。これが笑うってことかもしれない。うまくできてはいないかもしれない。だけど、こういうときに、笑いたいのかもしれない。

「……歩いて、たたかっていこうと思う」

 ぶら下げていた猟銃を両手でしっかりと持ち直してから、テトは右足を踏み出した。次に左足で踏む。地上は相変わらず石が裸足に食い込むし、冷たいし熱いし、これまでと少しも変わらないけど、これから、いくらでも踏んでいける。

 この世界が、好きだ。

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