第184話 1月―顔を上げて、前を向け。
3学期が幕を開けた。
間もなくセンター試験をひかえた受験組の中には、登下校の時間すら惜しんで塾や図書館で自習に励んでいる者もいる。しかし多くの生徒は、結局は学校がいちばん集中できる、あるいは、慣れ親しんだ生活リズムで過ごしたい、はたまた、友達と一緒に勉強したいなど、それぞれの理由から普通に登校していた。
3学期の初日、僕たちが校門をくぐったのはちょうど昼休みになる頃だった。午前中は乙姫の体調がよろしくなかったので、登校時間をずらしたのだ。いっそ休むことも考えたが、やはり報告は早めにしておきたい、というのが二人の共通認識だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
僕たちはまず進路指導室に向かった。妊娠の件を学校側にどう切り出すべきか考えた結果、進路の変更は確実なのだから、そこを伝えてから、あとは学校の反応次第で話をしようということになったのだ。
進路指導担当の堂上先生に伝えると、血相を変えてバタバタと部屋を出ていった。その場で待たされること十数分、今度は放送で校長室へ呼び出される。
中に入ると、中央のソファに校長先生と堂上先生が並んで座っていた。
僕と乙姫は、その向かいに腰かけるよう促される。
壁際には僕たちのクラスの担任が心細そうに突っ立っていた。
教師3名と生徒2名。
改めて事情を説明すると、先生方はため息をついたり、左右に首を振ったり、顔をしかめたりと、明らかに非難するような反応を示した。
「退学させましょう」
堂上が言った。
「いやいや堂上先生、確かに彼らのしたことは重大だが、一度の違反で退学というのは、さすがに……」
校長がフォローを入れるが、その言葉はどこか上っ面だけの軽い響きだった。結論は決まっているけれど、一応の流れとしてしゃべっているだけのような。
「一度ではありません」と堂上が返す。「この二人は過去にもやらかしてます。去年の夏休みの同棲の件に、修学旅行でのルール違反。そこへ来て今回のこれですから。だいたい、自分は春先にも一度警告をしている。それにまったく効果がなかったことは残念の極みだ」
「ええと、退学の条件ってありましたよね……」
担任がおそるおそる、メモを読み上げるように発言する。
「性行不良で改善の見込みがないと認められる者。
学力劣等で成業の見込みがないと認められる者。
正当の理由がなくて出席常でない者。
学校の秩序を乱し、その他生徒としての本分に反した者――」
担任の話を受けて、堂上がうなずいた。
「この二人の行いは、性行不良に当たりますし、特に今回の妊娠などは、ほかの生徒に知れれば学校の秩序を大いに乱す。不純異性交遊――そのあげくに妊娠など、生徒の本分に著しく反している」
「しかし、自分たちから打ち明けた点は、評価すべきじゃないかね」
「その方が罪が軽くなるという打算でしょうな」
校長の話をさえぎるように堂上が吐き捨てる。歪んだ顔でこちらを見下ろし、
「どうせ停学までで、退学はないだろうって考えだろうが、そんな簡単に行くと思うなよ。人生を舐めてるのか」
「――いえ、今がいちばん、人生に対して真剣に向き合っています」
堂上はチッ、と舌打ちをする。
テーブルに身を乗り出して僕をにらみつけること数秒。
ソファの背もたれに背中をあずけ、これ見よがしに大きなため息をつく。
「どうですか、反省の色がない」
校長に向かって両腕を広げるジェスチャ。
「それにな、学校はそういう場所じゃないんだよ。妊婦の面倒を見れるようにはできていない。不純異性交遊の結果、無責任に子供をこさえて、それに対してなんの罰もないとなれば、他の生徒に示しがつかない」
横暴ともとれる態度から一転して、居住まいを正し、静かな口調で乙姫に語りかけてくる。
「生徒会長だった繭墨ならわかるだろう。秩序を乱す者が、全体にとってどれだけ邪魔になるか。そいつを放置することで、他の生徒がどう思うか。
学校は不純異性交遊を取り締まるつもりがなく、校則違反者を見逃すような、甘っちょろい組織なのだと勘違いされてしまう。
それに、だ。立場のある者がルールを破れば、その下につく人間がルールを守るわけがない。元会長の繭墨が違反してるんだから、自分たちのような一般の生徒が守る必要はないと、そういう風に考えてしまう。
楽ができるなら、いくらでも理由をつけてそちらへ流れる。生徒ってのは水だ。低い方へ流れていくものだ。それを堰き止めるためにルールがあるんだよ」
僕たちは堂上のご高説を静かに聞いた。物言いこそ偉そうだが、その内容は決して間違っていない。むしろとても正しい、人間の弱さについて語ったものだった。
「もちろん、学校がとしてはいきなり懲戒退学をするわけじゃない。まずは自主退学を勧める――どう違うのかという顔をしているな。教えておいてやろう」
堂上は口元を歪めて、どこか愉しげに話を続けた。
だけどこちらも、退学への流れはある程度は知っている。
学校側は、これ以上は面倒を見られないと認めた生徒に、まずは自主退学を勧めてくる。こちらがやめさせる前に、自分でやめてくれませんか、という勧告だ。
それを受け入れたら自主退学となる。
断ればどうなるのか。
結論から言うと、退学の判断が変わることはない。
学校だって思いつきで退学を勧めるわけではないのだ。問題行動が治まらない生徒に対して、考えに考えを重ねて、もう無理だと判断した上での勧告なのだから、生徒が反対したところで処分がくつがえりはしない。
自主退学を断れば、懲戒退学だ。
では、中身はどう違うのか?
自主退学の場合は、その理由は『一身上の都合』で済む。
しかし懲戒退学ならば、それが指導要録――通信簿の元になる書類みたいなものだ――にもはっきりと記される。こいつは何か大変なことをやらかした問題児なのだということが、ひと目でわかってしまう。
懲戒退学というのは、進学や就職のハンデになるレベルの傷なのだ。
自分から〝やめる〟ことと、学校によって〝やめさせられる〟こと、その違いはとても大きい。
――という認識とほぼ同じことを、堂上は得意げに語った。ところどころ専門的な用語を用いていて、普通の生徒には少々わかりにくい説明だった。
前々から思っていたが、この先生はとても楽しそうに説教をする。自分の考えを語るのが大好きなのだろう。持論の押し付けを仕事として行える教職は、この人にとって天職なのかもしれない。教えを受ける生徒にとってはたまったものではないが。
「どうだ、わかったか?」
締めの確認の問いかけで、話が終わったのだとわかる。
僕たちはうなずいた。
それを見て、堂上は嬉しそうに口元を上げる。そして、
「社会人的に言うなら、懲戒解雇と自己都合退職のような違いだな」
そんな解説を付け加えた。高校生に対して社会人的な違いなどというものを語る、アンフェアで気持ちの悪いマウンティングだった。
「つまり、自主退学を勧めるのは、我々の温情なんだよ。お前たちの将来を考えての処分なんだ。わかるな?」
堂上の語りが途切れ、しん、と校長室に静けさが下りる。
やっとだ。
やっと静かになった。
こちらの話を、向こうが待っている。
この状態になるまでにずいぶんかかった。
いきなり退学を突きつけられたときは、ひどく驚いた。
僕たちが校則違反――少なくとも不純異性交遊を破った、その証拠もある。だから謹慎処分は避けられないと思っていた。とはいえ、それが停学をすっ飛ばしていきなり退学なのだから、まさかと最初は動揺してしまった。
だけど、冷静に考えれば、この勧告は異常だ。
将来を心配していると言うくせに、僕たちがどうするつもりなのか尋ねてこない。出産予定日すら聞こうとしない。
「ひとつ、質問してもいいですか」
「なんだ」
「退学の理由は、妊娠したからですか。それとも、不純異性交遊をした――校則違反によるものですか」
「両方だ。さっきも言ったが、学校は妊娠した者を受け入れるようにできていないし、周りの生徒も動揺する。こちらとしては、面倒を見れないから、来られても迷惑だってことだ」
駄々をこねる子供の頭を押さえつけるような、上からの言葉。見下ろすような視線。そこに奇妙な光が宿った。
「だが、今ならまだ
「それはどういう……」
「センター試験のあと、前期日程まではひと月以上ある。その間に手術ができるだろう」
内容の重さに対してひどく軽い口調で堂上は言った。
手術。何の。聞くまでもない。
「なあ阿山」堂上の声はやわらかい。「わざわざつらい道を選ぶことはないんだ。お前たちは親になるにはまだ若すぎる。こうして向き合っているだけで、真剣さはよくわかる。立派な考えだと思う。でもな、そういうことは、大学を卒業して、就職して、きちんと子供を養える年齢になってからでもかまわないんじゃないか?」
――本命は、これか。
堂上は進路指導担当の教師だ。
この
「繭墨も、お前の決心はすごいと思う。だが、母親になるってのはお前たちが思っているよりもずっと大変なことなんだ。自分の身体に起こった変化にとまどって、冷静な判断ができなくなっているんじゃないか?」
堂上は続いて僕の方を向いた。
「阿山も、父親になると心に決めているのかもしれんが、大丈夫か? ドラマチックな出来事に酔ってないと言い切れるか?」
大人が子供を思いやる言葉の数々。
それはどこまでも正しいが、同時にどうしようもない欺瞞でもある。
言葉の内容ではなく、この状況がそれを証明していた。
そもそも、生徒を退学させるかどうかの判断には、職員会議を開かなければならない。最終決定権を持っているのは堂上ではなく学校長だ。決まった内容を伝えるにしても、保護者の同席が必須である。
退学勧告というのは、この場ですぐに答えが出せるような、簡単なものではないのだ。
だから、堂上はこの場では説得に留めている。
退学をチラつかせて僕たちを揺さぶっている。
不安をあおって心変わりをうながしている。
踏み外そうとしている生徒を、まっとうな道へ戻そうとしている。
〝不純異性交遊のすえ在学中に妊娠した問題児〟を――
〝優秀な成績で卒業し有名大学に進んだ優等生〟へ修正しようとしている。
堂上だけではなく、担任も同じ考えなのだろう。
校長もだ。いち教師の脅しめいた発言を、ほとんど黙認し続けている。
僕たちを呼びつける前に、口裏を合わせたのかどうかはわからない。
だけど
すなわち――さっさと堕ろして普通の生徒に戻れ。
それに気づいて血の気が引いた。
感情が乱れて視界がゆらぐ。
口汚い言葉が心の中で次々に浮かび上がる。それらを目の前の大人たちにぶつけてやりたい衝動に駆られる。
――視線を、隣へ。
冷静になれ。
乙姫がいる。
彼女はまっすぐ前を見ている。
乙姫はもっと早くから、この場の意図を察していただろう。
それなのに、何も言わずに待ってくれているのだ。
膝に追いた手を強く握り、太ももに爪を立てる。
舌の端を犬歯で噛んだ。
顔を上げて、前を向け。
「――ご心配くださってありがとうございます」
やわらかな表情を意識して、口元を軽く上げる。
「でも、もう決めましたから」
そう伝えると、堂上はあっさり仮面を手放した。
「子供が粋がるなよ、お前だけの問題じゃないだろう」
そう。僕たちは子供で、妊娠は僕だけの問題ではない。むしろ母体である乙姫にとってこそより深刻な問題なのだ。
わかっている。
堂上の言葉はすべて建前。
なのに正しい。
上っ面の、その正しさに吐き気がした。
切れてはいけない。
不安を抑える心構えを。
謙虚さを思い出せ。
深呼吸。
感情を整える。
これは敵意で歯向かってはいけない問題だから。
僕たちの意思で立ち向かわなくてはならない問題だから。
「はい、だから乙姫とも、その家族とも、話し合って決めたんです」
なおも堂上は何か言おうとしている。口元が震えている。
「逃げ切れると思っているんじゃないかと――さっき先生はそう言いましたよね」
その前にこちらの言葉をすべり込ませた。
「卒業までに、乙姫の身体に外見からわかる変化は現れないでしょう。出産はまだ先です。つわりなどの体調不良だって、この時期の3年生なら、学校に来ないようにしていくらでもやり過ごせる。だから、今日、この話をしなければ、たぶん逃げ切ることは難しくなかったと思います」
「あ? だったらどうして」
「それでも、僕たちがある種のルールを破ったことは間違いないので、正直に伝えると決めました。子供ができたのは、悪いことじゃないし、恥ずかしいことじゃない。だけど、学校に隠せば、それが後ろめたいと認めることになってしまう」
「偉そうなことを言うな。だったら、他の生徒たちにも妊娠を明かすのか? お前たちがどう考えようが、後ろ指をさす者は絶対にいるぞ」
「はい、そう思います。だから卒業までは黙っているつもりです」
僕は静かにうなずいた。
堂上はあざ笑うように口元を上げる。
「結局、その程度の決意ということか」
「保身のためではありません。同じ学校の生徒が妊娠したと知れば、動揺する者が出てくると思ったからです。
堂上と学校長の二人を視界に入れながらそう伝える。
「口ばかり達者なガキが。覚悟しておくんだな」
堂上は舌打ちとともに立ち上がり、ひどい捨て台詞を吐いて校長室を出ていく。
扉が大きな音を立てて閉じられると、一転、耳が痛くなるような静寂が訪れる。
それが続くこと数十秒。
「今日はもう、帰りなさい……」
校長が面倒な客を追い出そうとする店主のような、くたびれた口調で告げた。
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