第175話 メイド喫茶を追放された僕たちはのんびり文化祭を楽しむことにした
メイド喫茶を追放された僕たちはのんびり文化祭を楽しむことにした。
せめてもの手伝いとして、僕は宣伝用のプラカードを持ち、乙姫はメイド服を着たままで、広告塔となって校内を回っていく。
各クラスの出し物はありきたりのようでいて千差万別だ。
気合の入った本格的なお化け屋敷からは常に悲鳴が聞こえ、飛び入りOKのカラオケ喫茶は閑古鳥が鳴いている。細部までこだわった昭和風の駄菓子屋で年配の父兄が足を止め、校舎全体を使った宝探しの地図を手に駆け回っている子供がいる。
それらの喧騒の中にいながら、乙姫はどこか遠くを見るような目をしていた。早くも祭りの終わりに思いを馳せているのだろうか。
「このにぎわいも今日かぎりなのかと思うと、少しもったいない気がするね。みんな必死で準備してきただろうに」
「それは逆ですよ。文化祭の2日間限りだからこそ、思春期の行き場のない情熱を集中して燃やすことができたんじゃないですか?」
乙姫の口からは、思いのほか前向きな答えが返ってくる。
「日常あってのお祭り、ってことか」
「はい、何事もメリハリですよ」
「乙姫は常にハリばかりな気がするけど」
「そんなことはありません。最近は誰かさんのせいでメリの率が増えてますから」
「悪いやつもいたもんだ」
「まったくです。……あれは」乙姫はわざとらしく顔を上げてひとつの看板を指さした。「コーヒーわたあめ、なんてものがあるんですね」
「へえ」
「ちょっと気になりますね」
「色が違ってたりするのかな」
「150円ですか」
「高いな……」
わたあめの原価を知っている者としては、あまりの吹っ掛けっぷりに思わず声が出てしまう。
「せっかくのチャンスを棒に振る気ですか?」
隣のメイドさんが首をかしげる。
「安いね」
と訂正する僕。乙姫の興味を満たして、なおかつ財力のある彼氏面をするための経費と考えれば、あまりに良心的な価格設定だ。ポケットから財布を取り出して、ひとつだけ購入する。
「ありがとうございます。……色は普通のわたあめですが」
乙姫は白いわたあめに目を凝らしつつ、小さな口をひかえめに開けた。長い黒髪を邪魔にならないよう耳にかけて、ついばむように、あるいはキスをするように、白いふわふわに唇でふれる。その仕草を見られただけでコーヒーわたあめには存在価値があった。
「……ああ、なるほど。コーヒーパウダーがまぶしてあるのですね」
「どう?」
「アイデア商品と呼ぶのもおこがましい、その場の思いつきレベルです。まったく洗練されていません。コーヒーと冠していればわたしが飛びつくとでも思ったのでしょうか。浅はか過ぎます」
「いや実際に飛びついてたし、そもそも乙姫の好みをピンポイントで狙って模擬店をやってるクラスはないよ。どれだけ自意識過剰なのさ」
「鏡一朗さんはツッコミ過剰ですね。自分は金を出したのだから、何を言っても許される、などと考えていませんか?」
乙姫はメガネの奥の瞳を細めて、コーヒーわたあめをマイクのように僕の口元へ突きつけてくる。
「え、なに?」
「ひとつのものを二人で分ける、恋人同士がよくやるアレですよ。それをやりたいがために1本しか買わなかったんですよね?」
「いや、そういうわけじゃ……」もうバレた。
「素直に白状してください」
「ちょっとわたあめ押しつけないで」
わたあめは体温でも溶けてしまう繊細な食べ物なので、早くもほほや口元がベトつきだして気持ち悪い。あとコーヒーの匂いも強すぎる。しかし乙姫はなおも押しつけてくる。僕は仕方なく口を開けて白い悪魔を飲み込んだ。恋人同士がよくやるアレというより、味に飽きたから処分させているだけじゃないのかコレ。
「クーデレメイド……」
「バカップル……」
「いや、プラカードを持ってるってことは、そういう出し物なんじゃないのか」
「マジで? どこでやってるんだ?」
周りからそんな声が聞こえてきて、ハッと我に返った。このままではメイド喫茶のサービス内容にあらぬ誤解を与えてしまう。ウチの店はあくまでも飲食物の提供がメインであって、従業員とのふれあいなどはやっていないのだ。
これ以上おかしな話が広がらないよう、僕たちはコーヒーわたあめを一瞬で食べつくしてその場から立ち去った。
校内をひと回りしたあと、混雑を避けるために少し早めの昼食をとることにした。
グラウンドの屋台通りへ出て、適当な食べ物を買いそろえる。そして、長机とパイプ椅子を並べただけのフリースペースの端っこに陣取って、可も不可もない味のジャンクフードを品評した。食べ終わると、ペットボトルのお茶で一服した乙姫が先に立ち上がる。
「では、わたしはクラスに戻りますね」
「ああ、僕もそろそろ特設ステージに行かないと」
午後からは別行動だ。乙姫はメイド喫茶のフロア係が、僕は特設ステージの運営係があった。メイド服姿の乙姫がやたらと注目されていたことを除けば、ごくごくありきたりな文化祭デートだった――
「後夜祭のキャンプファイヤーですが」
――そんな感傷に、乙姫の問いかけが待ったをかける。
「どうしますか」
「踊ろう」
「即答ですね」
「せっかくの舞台なんだし」
「いいんですか? あんな人前で」
「薄暗いから大丈夫じゃない? キャンプファイヤーの逆光で、どれが誰だかわからないだろうし」
「確かにそうでしょうけど」
「乙姫が嫌なら無理にとは言わないよ」
そうフォローを入れる。こっちだってダンスが好きなわけじゃなくて、乙姫と一緒に何かをやるのが楽しいだけなのだから。嫌がっている相手と無理に踊る趣味なんてない。
乙姫は数秒ほど黙り込んでいたが、ふと何か嫌なことに気づいたように顔をしかめる。
「もしかして、わたしの意識しすぎなんでしょうか」
やけに沈んだ声であった。
「ミスコン一位や前生徒会長という肩書き、あと、それなりの回数、異性から告白されたという実績を、表向きはわずらわしく思いつつも、心の奥底では勲章のように感じていて、自分は目立つ女なのだという、鼻持ちならない思い込みに陥っていたのでは……」
事実だとしたら、なかなかの性悪女である。それを気にしてショックを受けているところがかわいいので僕としてはそのままでいてほしい。
「大丈夫大丈夫、どんな暗闇のなかでも僕は君を見つけ出すから」
「純愛系ライト文芸みたいなことを言って……」
◆◇◆◇◆◇◆◇
適当な約束を半分ほど破ってしまった。
薄暗いグラウンドでは数メートル先の相手を特定するにも難儀してしまい、乙姫と合流するころにはオクラホマミキサーは二週目に入っていた。アコーディオンののんびりした音色に合わせて、何十組ものペアが輪になって踊っている。その中央には煌々と人々を照らすキャンプファイヤーの炎。
「ウチの学校にもこんなにカップルがいたのか」
「どうせ文化祭の熱に浮かされた即席カップル、数か月後には半分以上が消滅していますよ」
「どうしたの乙姫、性悪女を隠す気がなくなった?」
「わたしは元来、この手の陽気なノリの対極にいる人間ですから」
「それを言ったら僕だってそうだよ」
「じゃあ日陰者ふたりでリア充を装いましょうか」
なんて誘い文句だろうかと思いつつ、肩越しに乙姫の手を取った。二人そろって前を向き、僕は彼女の半歩うしろ。右手と右手、左手と左手をつないで、輪の中に飛び入りする。
オクラホマミキサーなんて中学以来の僕は、振り付けをほとんど忘れてしまっていて、あらゆる動作がぎこちない。
対する乙姫は、脚運びや立ち止まるタイミングなどもしっかり記憶しているらしく、リズムに合わせてていねいに踊っていた。しかし相手役が不甲斐ないので、お互い足を蹴ったり踏まれたりの無様なダンスとなってしまう。
「痛っ、ちょっと、テンポが遅れてますよ」
「ああごめん」
「腕が遠いです、恥ずかしがってるんですか」
「勝手がわからなくて」
「痛っ、もう、今度は動き出しが速すぎます」
「誠に申し訳ない……」
こちらのミスを注意する乙姫の声はとてもうれしそうだ。
「さすが、ダンスをやってる子は違うね」
「ちょっと踊れるくらいで大げさですよ」
「前から思ってたけど多芸だよね」
「中学のころ、父がわたしとの接しかたに悩んでいるらしい時期があって、いろいろな習い事をさせられました。たぶんコミュニケーションのつもりだったんでしょう。ピアノに生け花、書道に絵画……、社交ダンスもその一つです」
「ああ、道理で」
ずいぶんと金満で不器用なコミュニケーションだ。父親というのも大変である。それとも、娘が乙姫だったことが大変なのか。
「こちらも、気になっていたんですが」
「ん、何?」
乙姫の声が小さいのと、ダンスの曲のせいで聞こえづらい。顔を近づける。
「ヨーコをどうやって慰めたんですか?」
「なんて誤解を招く言い方」
「昨日あんなに動揺していたのに、今朝にはもうすっかり元気だったじゃないですか」
「立ち直ったみたいで良かったよ」
「それが鏡一朗さんのアドバイスによるものだと思うと、ちょっと……」
乙姫はほんの一秒ほど、首をひねってこちらを睨んだ。
親友が困っているときに何もできなかったことが悔しいのだろう。それと、百代を助ける役目を僕に取られたことも。相変わらずの独占欲である。
「僕は何もしてないよ。ぜんぶ、百代が自分で決めて立ち上がって、行動したことだから」
「でも、なにかしらのやり取りはあったはずです」
「あったとしても、それは僕と百代の間でのことだから。百代の知らないところで勝手にべらべらしゃべっていいものじゃない」
たとえその相手が乙姫だったとしてもだ。
きっぱり断言すると、乙姫はこちらの反抗的な態度に面食らったのか、ステップのタイミングを外した。
「……ふぅん、そうですか、二人だけの秘密というわけですか。まあ、あとで本人からじっくり聞きだせばいいだけです」
ヨーコはわたしに隠し事なんかしません、とでも言いたげな、自信のあふれる口ぶりだった。
揺らめく炎に照らされながらフォークダンスをしているのに、どうしてこう僕たちはムードのない話ばかりなのだろうか。
「ちょっとお二人さーん、暗くてよく見えないからって密着しすぎじゃないの?」
自分のことが話題にされていると感じたわけでもないだろうが、曲の途中で百代が近づいてきた。
「え、そう?」
「これくらい普通じゃないかしら」
「普通じゃないよぉ、他のペアは高校生らしく手だけつないで、ぎこちなーい、初々しーい感じなのに」
「じゃあヨーコ、わたしと踊る?」
え、なんでそういう話になるの? もしかして僕と踊るのあんまり乗り気じゃなかった? ――と声に出さなかっただけ立派だと思う。
「いいの?」
百代は気遣わしげにこちらを見るが、
「ええ、鏡一朗さんは壁のシミになるから」
乙姫は勝手にそう答え、あっさり僕の手を離してしまう。
〝壁のシミ〟というのは、踊る相手がいない男性、を意味する社交ダンスのスラングだ。女性の場合は〝壁の花〟という。
壁のないグラウンドで、僕は壁のシミならぬ地を這う影となって、フォークダンスの輪を少し離れたところから眺めていた。
百代のステップはめちゃくちゃだった。僕のようにたどたどしいのともまた違う、最初からテンポを無視している暴れ馬。乙姫はそれをなんとかフォローしてリズムを保っている。楽しそうで何よりだ。
ほかのペアに目を向けてみる。
ぎこちない足取りで進んでいるペアや、互いのペースが合わずにぶつかってばかりのペア、一糸乱れぬ見事なダンスを踊っているペアなど、遠目にもそれぞれ個性がある。彼らはみな、少なくとも今この瞬間だけは、相手と自分のつり合いなど気にせず楽しんでいるように見える。
一年前の後夜祭では、この輪の外にいた僕と乙姫も、今年はおおぜいの影のひとつに過ぎない。
その変化は何を意味しているのだろう。
後退であると、あるいは埋没であると、口の悪い者は言うかもしれない。
繭墨乙姫は、誰もが認める高嶺の花ではなくなったのだと。
それでもいいと僕は思う。
少なくとも僕にとって乙姫はずっと特別なままだ。
では、本人はどう思うだろう。
基本的には目立ちたくない性分のはずだけど、実はなかなかの負けず嫌いだ。それに、地位や名声を利用して優位に立ちたがることもある。
だからきっと、使い分けてしまうのだろう。
穏やかでありたいときには、その他おおぜいに埋もれそうな〝普通〟を。
本気で勝負をかけるときには、高みから世界を見下ろすような〝特別〟を。
その変化に置いて行かれないように、僕もせいぜいがんばらないと。
――なんて決意を新たにしたタイミングで冷たい風が吹き抜けて、思わず肩をすくめてしまう。いつの間にかワイシャツだけでは夜風をしのげない季節になっていたらしい。
僕は腕をさすりながらキャンプファイヤーへ近づいていく。冷えた身体を温めるために、そして、恋人のダンスパートナーの座を取り返すために。
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