第174話 唯一の気遣い

 百代の行動は早かった。

 まずは帰ろうとしていた明君を呼び止めて、フォークダンスの誘いをはっきりと断った。そして、お付き合いはできない、という意思もはっきり伝えたという。


 赤木への対応は、一日目の終了後。

 今までの自分の気持ちや迷いを、すべて言葉にして赤木に伝え、その上で、あたしの自意識過剰かもしれないけど、と前置きして、「赤木君とは付き合えない」と頭を下げたそうだ。


 僕はその日の夜八時すぎまで、近くの公園で赤木の嘆きに付き合った。途中でちょっと面倒になってきたので直路も呼びつけて、三人で『酒で仕事のウサを晴らすサラリーマンごっこ』をして、赤木の長いこと拗らせてきた片思いを吐き出させた。まあ飲め飲め、今日はとことん飲もう、とコーラを紙コップに注いだ。


「百代のこと、嫌いになった?」

「下らないことを聞くな」


 別れ際に一つだけ、真面目なやり取りを忍ばせて。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 翌日――文化祭二日目の朝、メンバーがそろったメイド喫茶にて。


「昨日は迷惑かけてごめんなさい。今日は通しでバリバリ働いて取り戻すから、どうぞよろしくお願いします!」


 百代はみんなの前で深々と頭を下げていた。

 その動きにはケガの影響は見られなかったし、表情や言葉からは二人の男子をフッた落ち込みは感じられない。少なくとも表向きは、いつもの百代に戻っていた。


 基本的に百代は感情が表に出やすい、いわゆる〝わかりやすい〟女の子だが、今は落ち着いて見えるからといって、昨日のことを軽く考えているわけではないだろう。


 開店準備で慌ただしい教室のなかで、百代に声をかける。


「大丈夫?」

「どう見える?」

「いつもどおりに」


「ならよかった」百代はそう言って笑う。今が自然体ではないのだということがわかった。「心配させたくないのなら、それなりの外面を演じてみせなさい。それが、あなたがフッた男の子たちにできる、唯一の気遣いよ」


 百代は肩にかかった髪の毛をふぁさっ、とかきあげ、顔をかたむけて尊大なお嬢さまのようなポーズを作った。なるほど、うちの嫁のアドバイスらしい。


「乙姫はそんなことしない」

「あたしのイメージではこんな感じなのに」

「気遣いはいいけど、一日中働きづめって大変じゃないかな」

「忙しく動き回ってた方が、余計なこと考えなくていいし」

「……なるほど、確かに」


「それに、今日はヒメとキョウ君には文化祭デートを楽しんでもらいたいから」百代は机の位置を整えていた男子に声をかける。「ね、赤木君?」


「おっ? お、おお、そうだな」


 赤木の返事はぎこちない。百代が普段どおりに振る舞えているのとは対照的だ。こういうときの、女子の切り替えの早さはすごいと思う。


「でも、そこまでしてもらうのは逆に申し訳ないし」


 やんわりと遠慮をする。もともと僕は今日もこちらの手伝いに入るつもりだった。赤木や百代の調子が心配だったからだ。


「ところがどっこい、これはキョウ君たちのためだけじゃないんだよ」


 百代はなぜか、待ってましたと言わんばかりのドヤ顔で首を振る。


「……どういうこと?」

「お前と繭墨のカップルは、この喫茶店の輪を乱す存在になっている……」


 と赤木がのっかってくる。


「――それは聞き捨てなりませんね」教室机にテーブルクロスをかけていた乙姫が、作業の手を止めてこちらへやってくる。僕のとなりに立つと眼鏡を指で持ち上げながら赤木を見据え、「説明をお願いします」


 切れ味の鋭い視線に、赤木は口元を引きつらせる。しかし今日の赤木はいつもと違った。おびえながらも退くことなく乙姫を見返す。「い、いいのか、そんなことを言って」


「ええ、いわれなき非難には相応の対処が必要ですから」


「それではただいまより、阿山鏡一朗、繭墨乙姫の両名りょーめーへの、罪状認否ざいじょーにんぴを行いまーす!」


 大きな声で百代が宣言する。明らかに言葉の意味がわかっていない口調だ。しかし人目を集める効果は十分。周りの連中もざわつきだし、とりかかっていた作業をいったん止めて、こちらに注目している。


 なんだろうこの流れは。あらかじめ用意されていた〝策〟の気配を感じる。


「えー、まずキョウ君、昨日はあたしの代わりにお店を手伝ってくれてありがとう。……それについては感謝感激なんだけど、なんだかんだ言ってキョウ君もお楽しみだったよね?」


「お楽しみ……?」


 こちらの手助けに対して、そのような揶揄を返されると、温厚な僕でも多少の反感を覚えないでもない。


「恩を着せるつもりじゃないけど、昨日の午後から僕は裏方として働いて、材料が足りなくなったら外へ買い出しにダッシュしたりと駆けずり回ったよ」


「乙姫がウエイトレスをして、僕が飲み物を用意して……、こういうのって、なんだか喫茶店を経営してる夫婦みたいだね――」


 百代が鼻持ちならないキザ男のように気取った口調でそんなことを言った。


「――という、聞いたコッチが恥ずかしくなるようなセリフを耳にしたっていう人が、たくさんいるみたいなんだけど」


「うっ……」


 言葉に詰まる僕に、ニヤニヤと赤木が続ける。


「撮影はお断りしています、って不埒な客に注意するのも、繭墨が狙われたときばっかりだったよなぁ……」


「お客さんつながりだと、どのメニューを注文したらメイドさんが叩いてくれるんですか、っていう変なお客さんが来るようになって困るって」


「それは客の質の問題でしょう」


 乙姫の冷静な反論。


「あと、ヒメの淹れるコーヒーはちょっと苦すぎ」


「それは個人の味覚の問題で……」


「8割の人が苦かったって答えてても?」


「うっ……」


 追撃の鋭さに、乙姫も思わず言葉に詰まる。


「ヒメの淹れたコーヒーは影でドS《エス》プレッソって呼ばれてるんだよ、知ってる?


「どえすぷれっそ……、わたし、そんなつもりじゃ……」


「落ち込んでもへーきでしょ? ヒメは接客のあとバックヤードに戻ると、男性客からの視線はなかなかに露骨ですね……、あら、鏡一朗さん、どうしたんですかそんな不機嫌そうな顔をして。妬いてくれているんですか?」


 百代は乙姫の口調と仕草を真似る。


「――っていう、こっちが恥ずかしくなるセリフを聞いた人がたくさんいるみたいだけど」


「き、気のせいじゃないかしら」しらばっくれる乙姫。


「じゃあそのあとのやり取りも?」


「妬いてるってほどじゃないけど、いい気分じゃないのは確かかな」と赤木。

「あら、ずいぶん素直なんですね」と百代。

「いくら気取っても乙姫にはどうせお見通しだろうしね」と赤木。

「そんなにわたしのことを理解してくれているなんて……」


 百代の目が吊り上がる。


「――ってそういうの! 人前で! やられると! なんとも言えないもにょっ・・・・とした気分になるの! このバカップル! ラブテロリスト!」


 怒涛の糾弾が収まると、しん、と教室内が静けさに包まれる。


「何か言い訳は?」


 百代のトドメに、僕たちはそろって頭を下げた。


「……ありません、ごめんなさい」

「……反省しているわ」


「やめろとは言わないけど、密室でやられると甘い空気がこもっちゃうから、せめて外でまき散らしてきてね?」


「はい、おっしゃるとおり」

「……そうするわ」


 僕たちは肩を並べて教室を出た。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 メイド喫茶はまだ準備中だったが、あんな風につるし上げられた直後に平然と作業を続けられるほど、僕も乙姫も面の皮は厚くない。


「先ほどの流れは、前もって用意されていましたね」


 乙姫が顎に手をやって思案中のポーズを取る。


「赤木君に根回しをしておき、わたしがやってきて人物がそろったところで、大きな声で処刑宣言。クラスの注目を集めたうえで、わたしたちの行状をひとつひとつ公開していく……。事前にみんなからヒアリングを行っているあたり、念入りな下準備があったのは間違いないでしょう」


 そうやって淡々とした口調で、冷静に状況を分析している風をよそおっているが、乙姫の顔は耳まで赤くなっている。僕も身体のあちこちに汗をかいていた。


「喫茶店経営の夫婦とか――あなたが変なことを言うからですよ、他の人がいるの、気づいてなかったんですか。あれのせいで、こちらまで羞恥心がマヒしてしまったんじゃないですか」


 それは露骨な責任転嫁だったけれど、僕もまた照れ隠しのために屁理屈をこねたい気分だった。


「なんていうのかな……、人と人の間には引力がある。だけど同時に、斥力もある。反発しあう力。他者へ無遠慮に近づいてはいけないと自制する心、理性とも言い換えることができる……」


 隣の小顔をのぞき込む。


「恋人同士の雰囲気は、その斥力を取り払う。関係性が理性を溶かす。そして、周囲の目を省みないバカップルが出現してしまうんだよ」


 隣の小顔が見上げてくる。


「……まあ、わたしたちは馬鹿ップルそこまでではないはずですが」

「ああ、自分たちを客観的に見られてるはずだ」

「ええ、理性が消えているというほどではなかったはずです」


 互いに言い訳を繰り返しながらうなずき合っているうちに、ぶつん、とスピーカーからノイズが聞こえた。


『それでは伯鳴高校文化祭、二日目を開催します――』

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