第173話 メイドさんが転んだ

 グラウンドの特設ステージでは、音楽系の出し物をまとめて開催している。校内のみならず、他校の軽音部やインディーズバンドなども引っ張ってきて、ちょっとした野外ライブの様相である。


 その運営に追われつつも、僕は合間を見てスマホを取り出しては、『♯伯鳴高校文化祭』で検索をかけて流れてくる情報をこまめにチェックする。


 そして〝3年のメイド喫茶のクオリティが高い〟とか〝元会長の淹れるコーヒーがむちゃくちゃ苦い〟という乙姫の面影を見つけてはニヤニヤしていた。


「スマホ見ながらニヤついてるの、ちょいキモイぞ」


 無遠慮な声をかけてくるのは元生徒会副会長の近森だ。彼女もまた勝手知ったる舞台裏ということで、ステージ運営に駆り出されている。


「メイド喫茶の評判が気になってさ。ほら」


 スマホの画面を見せると同時に、新しい通知がいくつも流れてくる。


「――なんかタイムラインざわついてるな」近森も自分のスマホを取り出して確認する。「ええと……? メイドに公開告白する勇者現る?」


「こっちはメイドによる暴行って出てるけど」


「おいおいどうなってるんだよ」


「まさか……、そんなオプションがあるなんて聞いてない」


「心配の仕方がおかしいな」


 メイド喫茶が妙なことになっているらしい。気がかりだったが、あいにくこちらにも仕事がある。いま出ているバンドの演奏も終わりが近い。僕たちは今の組の撤収と、次の組の登場をスムーズにつなぐべく準備を始める。


 次のバンドはひどいものだった。

 野太い男性ボーカルの歌詞はろくに聞き取ることができず、テクニックに走りすぎたギターは複雑なコードを連発するくせにテンポがズレていて、リズムだけは堅実なベースは弦が錆びているのかというほどに音がぼやけており、乱暴であればロックであると勘違いしたドラムスは折れたスティックでシンバルを叩き続けた。控えめに言っても最低なステージだったが、演奏を終えた彼らはみな一様に『音を楽しむと書いて音楽――だろ?』とでも言いだしそうな晴れやかな表情を浮かべていた。


「まあ本人たちが楽しければいいか」

「ステージ裏にいても頭痛くなりそうな騒音をあたしは許せないけどな」


 その次のグループはのんびりした曲を奏でるフォークデュオだった。声も演奏も上々で、僕はおだやかな気分になる。顔を上げて観客席や行き交う人々を眺め、そして、おおぜいの生徒の熱気を内包している校舎を見つめた。やさしい曲調に乗せて紡がれる切ない歌詞のせいで、ついセンチメンタルになってしまう。この場にいるすべての人に物語があるのだ。仲睦まじい男女二人連れや、バカ笑いをしている男子グループ、子供の居場所を探しているらしい保護者夫婦、そして人混みを走り抜けていくメイド――


「メイド?」

「ん? メイドがどうかしたのか?」

「いや、ほらあそこ」


 と僕は数十メートルほど向こうに立ち並ぶ、模擬店の通りを指さした。


 人目を避けているのだろうか。メイド服を着た女子がテントの裏を駆け抜けていく。それはかなりのスピードで、何かから逃げているような必死さがあった。しかもあのデザインとスカート丈の長さは、3年の有志連合のメイド服だ。じっくり見たことがあるので間違いない。髪の長さからして乙姫ではないだろう。


 誰なのかはともかく、引っかかって転ばなきゃいいけど、と思っていると案の定だった。何かにつまずいて足を取られ、花壇の植え込みにけっこうな勢いで頭から突っ込んでしまう。


「あ、メイドさんが転んだ」ぽつりと近森が言った。


「大丈夫かなあれ……」


 遠くから見守っていると、メイドさんは足をばたつかせ、植え込みに突っ込んでいた頭を引き抜き、天に向かって叫んだ。


「……あー、なんなのよもー!」


 百代の声だった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「……で、いったい何があったの」


 あのまま放置しては悪目立ちすることこの上ない。

 僕はステージ運営をほかの人に頼んで、百代を保健室へ連れていった。

 今はパイプ椅子に大人しく腰かけて、保健委員に診てもらっているところだ。


 ちなみに近森にはメイド喫茶へ直に行って、百代のことを伝えてもらうように頼んだ。乙姫と連絡を取るにしても、シフトに穴が開いた状態でスマホを見る余裕なんてないだろう。それに、近森がいては百代も事情を話しにくいかもしれない。


 さいわい百代の顔にケガはなかったものの、膝や腕を擦りむいており、メイド服もあちこち汚れが目立つ。ちょっとはたいたところで取れそうになかった。ドジっ子メイドも悪くはないが、血を見せてはいけない。


「……逃げてきたの。教室の中、居心地悪くて」


 介抱が終わって保健委員が離れてから、ようやく百代は口を開いた。

 膝の上に置いた手でスカートを握り、表情を見せたくないのかうつむいて、ぽつりぽつりと事情を語っていく。


 ひととおり事情を聞き終えると、僕は何とも言えない気持ちになる。


「これが若さか……」


「明君は悪くないよ。ううん、全く悪くないわけじゃないけど……、でも、あたしがはっきりしなかったから、追いつめちゃったわけで」


「しかもその場に赤木もいたっていう」


「うぅ……」


 百代はさらに背中を丸める。


「責めてるわけじゃなくて、単純な心配というか興味なんだけど」

「なに?」

「……どっちを選ぶつもりなの」


 僕はひざを折ってしゃがみ、百代を見上げた。

 ずっと聞きたくて、でも聞けずにいた質問だった。


「キョウ君もやっぱりそういう風に考えるんだね」


 百代らしからぬ、冷めた口調でつぶやく。

 声に乗った感情は、あきらめ、だった。


「赤木君は署名活動のあたりからで、明君はバレンタインの頃から……、かな。あの二人に、好かれてるかもって思い始めたのは。それから、ずっと試してたの。二人じゃなくて、自分の気持ちを」


 百代は天井を見上げて話を続ける。表情は見えない。


「あたしのことを好きな人なら、あたしも好きになれるんじゃないかって、期待してたの。赤木君はそこそこノリが合うし、明君のちょっと生意気なところもカワイイと思うし、だから、そういう相手が好きって気持ちを向けてくれるなら、あたしもいつか、その人を好きになれるんじゃないかと思ってたの」


「……でも、ダメだった」


 僕の端的な問いに、百代は上を向いていた顔を戻してうなずきを返した。


「あたし、もしかしたら恋愛が下手なのかも」


 数年間交際していた男性と別れたアラサーOLが、行きつけのバーでカクテル片手につぶやくようなセリフを、百代は言った。


「進藤君と付き合ってた頃からそうだったんだよねぇ……、好きだからっていうより、みんなからの評判がいい男子だから、っていう理由で声かけたりしてたし。これじゃいけないって思って、そういう計算とか周りの声とか無視して自分の気持ちに従ってみたら……」


 百代はほんの一瞬、ちらと目を動かしてこちらを見た。

 僕は何も答えられない。

 目はすぐに逸らされた。

 甘えるような視線は気のせいだと思うことにした。


「……自分を好きになってくれる人を、好きになれたらいいのに」


 女性シンガーソングライターが歌う、女の子の気持ちを代弁した失恋ソングのようなセリフを、百代は言った。


 僕はとっさに返事ができない。


 こうするのが正しい恋愛だとか、その考え方は間違っているだとか、そんなことを言えるほど恋愛経験が豊富ではないから――ではない・・・・


 自分のアドバイスどおりに百代が動いて、それでうまくいくならいい。だけど、逆に彼女を苦しめることになるとしたら。そう考えたら怖くなって、何も言えなかったのだ。


 長谷川さんすごいなと改めて思う。あの人のアドバイスはいつも的確だった。


 僕は人にアドバイスができるほど大それた人間じゃない。それに、僕の言葉は百代にはけっこう影響力があるらしいので、なおさら尻込みしてしまう。


 彼女の考え方を左右してしまうような、無責任でいて耳触りのいい言葉は使えない。だからシンプルに、今やるべきと思うことだけを告げた。


「まずは、この状況にケリをつけないとね」

「うん……、わかってるけど、怖いよ」

「そりゃそうさ。いろんなことが変わってしまう」

「あたし、赤木君のことも、明君のことも、嫌いなわけじゃなくて、むしろけっこう好きなんだよ?」

「わかってる」

「でも、恋愛って考えると、どうしても、うまく言えないけど、なんか違くて」

「そっか」

「こんな理由で断ったら、怒られちゃうかな」

「かもしれないね」

「嫌われちゃう、かな」

「嫌われるのが怖いから、現状維持してきたの?」

「違う。現状維持とかじゃなくて、ずっと、考え続けてたから……」


 僕は何も答えない。ただ百代の顔を見つめていた。


 窓の向こうから文化祭のとおい喧噪が聞こえる。嬌声と歓声、楽器の演奏、呼び込みの絶叫、たくさんの音が交じり合ったBGM。楽しそうな世界の音だ。そんな中で、誰かのことを考えて辛そうにしている女の子が、どんな結論を出したとしても嫌われるはずがないじゃないか――なんて、根拠のない言葉で背中を押すことはできない。


 ぬるま湯のようにぼやけた音の中から、唐突にスピーカーのハウリング。

 鋭く響いたその音に尻を叩かれたかのように、百代は立ち上がった。


「……キョウ君、あたし行ってくる。お店、ちょっとだけ見ててもらっていい?」

「ちょっとと言わずに一日でも」


 そう返事をすると、百代は戸惑いの色を浮かべる。僕と乙姫の午後の予定を、彼女も知っているからだ。だけど、迷いは一瞬。


「――ありがと」

「転ばないようにね」

「大丈夫!」


 百代は保健室の戸を勢いよく開けると、スカートのすそを持って走っていく。なるほどあれなら走りやすそうだ。


 遠ざかる足音を聞きながら、ずっとのしかかっていた肩の荷が、少し軽くなるのを感じていた。きっと百代が自覚的に、僕たちに迷惑をかけてくれたからだろう。

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