第172話 小生意気な義弟
文化祭までの日々は、穏やかに流れていきました。
メイド喫茶の準備こそ慌ただしかったものの、わたしの心配する――鏡一朗さんに言わせれば余計なお世話であるところの――人間関係については、平常運転そのものです。
曜子と距離を詰めようとする何名かの男子たちも、具体的な行動に出ることはなく、逆に曜子が特定の男子と特に親しくしている様子もありません。
赤木君と曜子の接点がいつも以上に増えていることもなく、彼もまたどう動いたものか考えあぐねているようでした。
変化らしい変化と言えば、青柳さんの行動くらいでしょうか。
恋愛戦略家を自称する彼女は、これまでよりも赤木君との接触が増えていました。ただし、常に鏡一朗さんも一緒にいるタイミングを選んで声をかけています。一対一の場面を狙って行くほどの勇気はないのでしょう。いろいろと理屈をこねながらも、あと一歩を踏み出せないでいる。きっと机上の空論を実行に移せずに自滅するタイプですね。
わたしと鏡一朗さんは、傍観者に徹していました。
曜子に向かって、どちらを選ぶつもりですか、と問うこともなく。
赤木君に対して、青柳さんのことどう思ってるの? と聞くこともありません。
どうするつもりなのか、曜子に問いただしたい衝動に駆られることもありましたが、わたしだけが先走ってしまうのは鏡一朗さんに負けたようで嫌なので、どうにか我慢していたのです。
それでも、表に出てしまう感情を完全にはシャットアウトできなかったようで、一度だけ、曜子に言われてしまいました。
――大丈夫だから、気にしないで、と。
それは曜子らしからぬ静かな声でした。文化祭の雰囲気に乗り切れていないのではないかと、こちらが逆に不安になるような、はかない響きでした。
思い返せば、曜子らしくない――という決めつけが敗因だったのだと思います。
敗因なんて大げさだよと、鏡一朗さんは言うかもしれません。でも、失
◆◇◆◇◆◇◆◇
生徒会の開会のあいさつとともに、文化祭1日目が始まりました。
3年生の有志連合によるメイド喫茶は、オープンから盛況でした。手作り感いっぱいの内装に、クラシックスタイルのメイドたちの動きはぎこちなく、それでもほとんどの席が埋まっています。客の増えてくる午後には行列ができそうです。
「最初からこんなに来るなんて思わなかったよー」
接客を終えた曜子がバックヤードへ戻ってきました。
「やっぱりヒメのおかげかな。あのお堅い元生徒会長がメイド服でお出迎え! なんてすっごく目立つ看板だもん」
看板、つまり平らな板――その負の連想からつい曜子の胸元に視線を向けてしまい、ため息がこぼれます。肌を見せないシックなメイド服ながら、隠しようもないボリューム感です。
「……
「キリキリ働けってことでしょ? わかってるってぇ」
曜子はオーダーを裏方の男子に手渡しながら、わたしの小言に笑顔で応じます。男子の方はそれを自分に笑いかけてくれたのだと勘違いして口元を奇妙にゆがめている――恐るべき罪作り、魔性の女っぷりです。
曜子の言うとおり、わたしの存在にはそれなりの知名度があるのでしょう。しかし、店内で多くの客の目を引いているのは、曜子の華やかな外見と、楽しそうに接客をおこなっている姿です。このところの曜子のおとなしさが気になっていましたが、今は心配ないようですね。
「ヒメはこのあとどうなってるの? キョウ君と回るんでしょ?」
「それはたぶん午後ね。鏡一朗さんは午前中いっぱい屋外ステージの運営係をやっているから」
「あーそれ去年ヒメが増やした仕事でしょ」
屋外ステージの増設とキャンプファイヤーの再開は、去年、わたしが生徒会長だったときに提案・実行したものです。
前者はステージの利用希望者の増加に対応するために。
後者はなんというか、個人的な目的のために。
どちらも思いのほか好評だったようで、今年も続けて行われることになったのですが、屋外ステージの運営は、実行委員会と生徒会だけでは手が回らず、3年生の先輩たちの力を借りるという奥の手を使いました。
受験をひかえた3年生であっても、何らかのかたちで文化祭に関わりたい人はいるはずだ、という鏡一朗さんの小賢しい発案によるものです。
それが回りまわって今年は自分がその役をやっているのですから、因果応報――というと言葉が強すぎるかもしれませんが、世の巡りは面白いものだと感じます。
「彼氏がこき使われてるのに嬉しそうにしてる」
「たとえそれが裏方でも、懸命な姿って魅力的だと思うから」
窓の外からグラウンドを見下ろします。もちろん鏡一朗さんの姿が見えるわけではありませんが、そこで頑張っている彼のことを想像すると、こちらも対抗心がわいてきます。
「うへぇ」
という曜子の失礼な反応をスルーし、カーテンを上げて店内へ踏み出します。
新たに入ってきたお客さんに、満面の笑みを作って、
「いらっしゃいませ、お席にご案内します」
「……相変わらずすげえ外面……」
現れたのは、曜子に思いを寄せる、小生意気な義弟でした。
「あら明、ずいぶん早いのね」
「これでも遅いくらいだ。でも、タイミングはもう今しかない」
明は強い意思を感じさせる口調でそう告げると、落ち着かない様子で店内を見回します。
「ヨーコを呼びましょうか?」
「……ん」
わたしたちは、あまり
とはいえ、相手が拒否すれば話は別です。バックヤードへ戻って曜子に声をかけると、彼女はかすかにぎこちない表情でうなずきました。
「ん、いいよ、わかった」
曜子はメイド服のすそを整え、ナチュラルな笑顔とともに店内へ出ました。わたしも二人の様子が気になったので曜子に続きます。
「いらっしゃいませお客様ー、来てくれたんだね明君」
「その服、すごく似合ってますよ」
そのときは義弟へのちょっとしたサービス、くらいに考えていたのです。
「……ん、ありがと。キミは相変わらずサラッとお世辞を言える男の子だね」
「あの、百代さん」
それがまさか、あんな先走ったことを考えていたなんて。
「なぁに? 注文決まった?」
「後夜祭のフォークダンス。一緒に、踊ってくれませんか」
突然の公開告白に店内がざわつきます。
「――ふぇ?」
遅れて戸惑いの声を上げる曜子をよそに、ざわめきは続き――
「ちーっす、ビラ配り隊ただいま帰還――ってなんだこの空気」
と非常に間の悪いタイミングで戻ってくる赤木君。
面白がったクラスメイトが、赤木君に近づいて耳打ちをします。それで事情を察した赤木君は、教室の中心になっている明の席を呆然と見つめます。
「……ご注文は?」
その平坦な声は曜子のものでした。明の誘いなどなかったかのように、マニュアルどおりのセリフを繰り返します。
さすがにその切り返しは想像してなかったのか、口を半開きにして、聞かれるがままに注文をする明。
「えっ……、と、あ、じゃあ、コーヒーを」
「はぁい、かしこまりました! ……返事はあとで、必ず、するから。ごめんね」
曜子は逃げるようにバックヤードへ引っ込むと、「オーダー入りまーす!」とヤケクソ気味の声が聞こえました。
曜子の精神状態が気がかりでしたが、いまは先に仕置きの必要な子がいます。
わたしは背後から明に近づき、その頭頂部を配膳用のトレーで引っ叩きました。パコン、と目の覚めるような快音が響いて、店内のざわめきが収まります。
「ぐあ……? な、何するんだよ姉貴」
「首を狙われなかっただけありがたく思いなさい」
にらみつけて黙らせると、腕をつかんで無理矢理に立ち上がらせます。
「ちょっと来て」
廊下の端まで愚弟を引っ張ってくると、壁に追い込んで説教の時間です。
「まさか公開
「……わかってるよ、バカバカしいことをしたって自覚はある」
「自覚なんて言葉を使うのは、自分のことしか考えていない証拠よ。あんなところで晒し者にされてヨーコがどう感じるかわからないの?」
「そりゃあ……、そう、だけど……」明はうつむいたまま声を絞り出します。「俺だって焦ってたんだよ。百代さん、こっちがいくらアピールしてもそういう感じにならないし、でも嫌われてるってわけじゃなさそうだし。俺は他校生で、年下で、接点少ないし……」
「だからはっきりさせたくて、あんな愚行に走ったというわけね」
明はわたしの目を見ることなく、無言でうなずきます。自分のやったことの意味を、じわじわと自覚しだしている様子でした。
「そう。あなたが焦って、追いつめられていたことはわかるわ。だからって、好きな人を追い詰めちゃダメでしょう」
「わかってるよ」
とふてくされたように吐き捨てる明。多少なりとも反省しているところに、これ以上は何を言っても効果はありません。このあたりで勘弁しておきましょうか。
「それで、どうするの? 中へ戻る?」
「……いや無理、帰る。あとで返事くれるって言ってたし」
「そう。じゃあお代もあとで請求するから」
「……百代さんには」
「恥を知って帰ったと伝えておくわ。謝罪はあなたの口から直接ね」
「わかってるよ」
とぼとぼと背中を丸めて去っていく明を見送り、教室に戻ると、思わぬ事態になっていました。曜子がいなくなったのです。
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