第171話 恋路を舗装する
僕と青柳さんは教室を抜け出して、ひと気の少ない廊下の端へやってきた。
「話って、赤木のこと?」
先手を打ってそう切り出すと、青柳さんは照れ隠しの苦笑いを浮かべた。
「やっぱりわかる?」
「まあ、ここ最近の二人を見てたらね」
「でもあっちはぜんぜん気づいてくれないっていうか」
青柳さんは不服そうだ。彼女なりに自分を意識させようと行動を起こしているのに、それが報われないことが不満なのだろう。しかし、それくらいで非モテ男子を振り向かせようなんて、僕から言わせればまだまだ努力が足りない。
「それは仕方ないよ。非モテ男子はね、自分が女子から好意を向けられることに気づけないんだ。元からそんな可能性は有り得ないという悲観的な思い込みを、深く深く刷り込まれてしまっているから」
「刷り込み? 昔に何かあったの?」
鋭い質問である。
「赤木の過去は知らないけど、たぶん……、中学の頃とかに、誰に対しても分け隔てなく接する優しい女子がいたりしたら、こいつ俺に気があるんじゃないかって勘違いして、勢いあまって告白して、向こうはまったくそんなつもりはないからあっさりフラれて、しかも告ったことがどこからともなく流出して、身の程知らず、みたいな噂をされる……、そういう過去があったんだよ、たぶん……」
「えっと、阿山君の話?」
「……まあ、そういう経験は置いといても、今のあいつはひとつのものしか見えてないから、よっぽど強く当たらないと気づいてもらえない」
「それって、百代さんのこと……、だよね」
「わかりやすいよね」
「百代さんも気づいてるの? 赤木君の気持ち」
「たぶん」とうなずくと、青柳さんはうつむいて表情をくもらせる。
「気づいてるのに、はっきり断らないんだ……。百代さんって、いろんな男子と仲いいよね。それこそ、さっき言ってた〝誰にでも分け隔てなく接する優しい女子〟って感じで。でも本命はいないんでしょ? それってちょっと、ズルいっていうか……」
「――ヨーコがどうかしましたか?」
背後からの声に青柳さんの肩がびくりと跳ねた。
僕は思わず〝気をつけ〟の姿勢になる。
「ま、繭墨さん? あのね、これは違うっていうか、繭墨さんのご主人様をどうこうしようとしたわけじゃなくて……」
あわてて首を振って釈明をする青柳さん。対する乙姫は「ご主人様……」と絶句していた。僕らの関係がそういう風に揶揄されていたのかと思うと、いろいろ居たたまれない。廊下とか胸を張って歩けなくなりそうだ。
「今はきょ……阿山君のことはどうでもいいです」
「どうでもいいのか」
「構ってほしいのはわかりますが、いちいち落ち込むふりをしないでください」
時間が惜しいのかいつも以上に辛辣な乙姫である。
「厳しいメイドさんと駄目なご主人様……、やっぱりそういう関係かぁ……」
ちょっと青柳さんも変な納得の仕方やめて?
場がバタつき始めると、乙姫は話を変えるために「んんっ」とわざとらしく咳払いをする。
「先ほど少しだけ話をしてからここへ来たんですが、ヨーコはたぶん、青柳さんの気持ちに気づいていますよ」
「え……、百代さん、どんな感じだったの?」
「特に慌てている様子はなかったですね」
「余裕、ってこと、なのかな」
「どうでしょうか。うちのヨーコはとてもモテますから」
乙姫は出来のよい娘を自慢するような晴れやかな顔をしている。
「あちこちから文化祭デートのお誘いがかかっていても、おかしくはありません」
「阿山君から見て、赤木君は行くと思う?」
「まあ、卒業までのことを考えると、ここで行かずにいつ行くのかってタイミングではあるけどね」
「繭墨さんから見て、百代さんは受けると思う?」
「どのみちヨーコの恋路はわたしが舗装するつもりなので」
ずいぶんと自信ありげな発言だが、青柳さんはきょとんと首をかしげていた。僕もだ。何を言っているんだろう。
「――そもそも青柳さんは、他人の恋愛の成否によって、行動を変えるつもりなんですか?」
と、乙姫は挑発的なことを言った。
対する青柳さんはニヤリと口元を上げる。
挑むように、あるいは自らを鼓舞するように。
「うん、そのつもり。それがあたしの恋愛戦略だから」
こっちもまたわけのわからないことを……。
「……どういう意味ですか」
乙姫が食いついてしまった。
人さし指で眼鏡を持ち上げ、目を細めて青柳さんを見据える。
「あたしにとっての最悪は、赤木君が百代さんと付き合ってしまうこと。それには二つのパターンがあって――」
「――告白はどちらがするのか、でしょう」
乙姫が青柳さんの話を奪うように引き継いだ。相変わらず、人の話を先取りするのが好きなやつだ。
「あたしが見る限りでは、百代さんが誰かを誘うことはなくて……、でも、このままいけばたぶん赤木君が、百代さんを誘っちゃうと思う」
青柳さんは静かに語る。
確かに、その可能性は高い。
文化祭最終日のキャンプファイヤー。そこでのフォークダンスに異性を誘うことは、告白と同じ行為として扱われるのが暗黙の了解だ。
しかし、ただ誘うだけなら直接の告白よりはよっぽどハードルが低い。冗談めかして誘うこともできるので、断られたとしてもダメージは少なくて済む。そんなお手軽さのせいか、ここ数日、カップル成立あるいは不成立の話題がやたらと増えている。
次は自分の番じゃないかしらとソワソワしている女子や、次は俺の番だやってやるぜとギラギラしている男子の多いこと。
赤木もまたその流れに乗ろうとすることは十分に考えられる。
「赤木君の告白を、百代さんが受けてしまうのが最悪のパターン。……これを阻止するには、赤木君に告白させないことが重要なの」
「そのために何をするの。まさか拉致監禁を?」
乙姫特有の物騒な発想である。
青柳さんは口元を引きつらせつつ、左右に首を振った。
「先制攻撃。――あたしから赤木君に告白する。ケース1だね。そこからいくつかルートが枝分かれするんだけど、返事がOKの場合はハッピーエンドで何も言うことはなくて。駄目だった場合――っていうか、こっちの方の可能性がずっと高くて辛いんだけど……」
「あなたの告白を、赤木君が
乙姫が冷徹な意見を述べるが、僕と青柳さんは否定に回る。
「……それはないんじゃないかな」
「うん、あたしも多分ないと思う。赤木君って、マンガの感想とか聞いてるとわかるんだけど、ちょっと潔癖なところがあるから。そういうズルいことは好きじゃないんじゃないかな」
「なるほど。赤木君の性格については二人の方がよく知っているでしょうから、その線はナシで考えましょうか」
乙姫はあっさり意見を取り下げた。
否定的な意見を言う人間には二種類いる。とにかく自分の主張を広めたい者と、あえて嫌われ役を演じる者だ。乙姫は後者。みんなが避けたがる問題をするどく突いて、場の空気が安易な方へ流れないように調整しているのだ。
「……じゃあ、あたしやっぱり、きれいさっぱり振られちゃうのかな」
「あいつの性格を考えると、女の子を振ったあとで、別の誰かに告白しようなんて気分にはなれなくなる……、かもしれない」
その場合は、一時的な妨害ができるとしても、後のことはわからない。むしろ、フったフラれたで気まずくなり、元の友達関係にすら戻れなくなる可能性だってある。
「青柳さんが告白した場合の流れは、一旦保留しておきましょう。ケース2は?」
「赤木君がフラれた場合」青柳さんは苦笑いだ。「これがあたしにとっては一番うれしいパターンっていうか……、文化祭ではこれ以上悩まなくていいし、ずっと近くで友達関係を続けているうちに、向こうもだんだんあたしに情がわいてくるのを狙った、持久戦のプラン。今は細かいところを考える必要はないっていうか」
「確かに、最も勝率の高いケースですね。そのための前提条件が想い人の
その発言じたいが皮肉だということに気づいていないらしい乙姫は、あごに手をやってうなずいている。特殊な訓練を受けている僕と違って、青柳さんは普通の女の子だ。乙姫の鋭利な言葉には不慣れなんだから、もう少し抑えてやってほしい。
雰囲気を和らげる意図もあって、僕は口をはさんだ。
「――ケース3を忘れてない?」
「え?」
「なんですか?」
女子二人は本気でわかっていない様子だ。
「赤木が別の誰かに告白される可能性を」
「えー、それはないと思うなぁ」
と青柳さんは首を振り、
「統計学上、あまりに低い確率はゼロとみなされるんですよ」
と乙姫も冷たく否定する。
乙姫はともかく青柳さんは自分の好きな男子がそんなのでもかまわないのだろうか。好きな人の良さは自分だけが理解していればいい、というタイプなのかもしれない。けなげ。
「というわけで、どういう流れになるとしても、一番重要なポイントは、赤木君が百代さんをフォークダンスに誘うかどうか、なんだけど……」青柳さんが上目遣いでこちらをうかがってくる。「阿山君から見て、どうなりそう?」
あまり人の恋路をイジるのもなぁ、と思いつつ、あくまで誰でも知っていそうな情報だけで、僕の考えを伝える。
「百代はそれなりに競争率の高い相手だし、普通に考えて文化祭が始まる前には誘いをかけるんじゃないかな。ただし赤木はヘタレだから、ギリギリまで決心がつかなかったり、別の誰かに先を越されてからじゃないと動き出せないかもしれない」
「うーん、そっかぁ……、その情報も加味して考えてみるね」
◆◇◆◇◆◇◆◇
ありがとう、と頭を下げて青柳さんは教室へ戻っていく。
その背中を見送りながら乙姫が言った。
「鏡一朗さんは、ヨーコと赤木君が付き合うことに反対なんですか?」
「そう思った?」
「青柳さんに肩入れしているように感じましたが」
「そんな大層な話はしてないよ。ただ……、青柳さんが行動を起こせば、百代も何かしら反応するんじゃないか、という期待は少しだけしてる」
「つまり青柳さんは当て馬というわけですか」
当て馬。そんなつもりはなかったが、言われてみればそのとおりだ。乙姫の歯に衣着せぬ物言いが、罪悪感を刺激する。
「……そっちはどう? 明君は百代のこと、もうあきらめたの?」
「夏休み中、ヨーコが何度かうちに遊びに来たことがあるんですけど、その日は決まって明も家にいました。そして、普段は寄りつかない義姉の部屋へ、何度も様子を見に来るんです」
「ほう。あちらもまた持久戦だったか」
「虎視眈々というイメージですね」
「じゃあ、文化祭当日に動きがある?」
「おそらくは」
二人して高みの見物のようなやり取りになってしまう。いけない。こんなつもりじゃなかったのに。場を白けさせるのを承知で僕は話を変えた。
「……ノリノリで話した後にこんなことを言っても、説得力がないかもしれないけどさ。僕はもう、この件はそっとしておこうと思ってるから」
「どうしてですか?」
乙姫の問いかけは、反感ではなく、ただ純粋に僕がそう考える理由を知りたいだけ、というトーンだった。
「どっちと付き合うべきだと決めつけたり、うまくいくように応援したりするのは、いくら相手のことを考えていたとしても、やっぱり余計なお世話だと思って」
だから、と少し間をおいて続ける。
「乙姫も見守ってやりなよ。恋路を舗装するとか恐ろしいことは言わないで」
「あれは冗談です」
声のトーンからして三割くらいは本気だったみたいだ。
「そう? まだ負い目があるのかと思ったけど」
「この気持ちはヨーコが幸せになるまでなくなりません。……鏡一朗さんは、もうないんですか?」
「あったとしても見せない気遣い、ってやつだよ」
「鼻持ちならないですね……」
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