第170話 あれからもうすぐ一年


 文化祭まで一週間を切った。

 ホームルーム前の教室はやはり、文化祭がらみの話題が多い。準備の進み具合や、他学年の注目の出し物、当日は誰と回るのか、といった話がちらほら聞こえてくる。


 赤木はそれらのノリになぜか顔をしかめていた。


「学校全体が浮ついてやがるな」

「祭りの前ってのはそういうものじゃないの」

「一番はオメーだよこのご主人様が」

「いやあハハハ申し開きのしようもない」

「余裕だなこの野郎……、恋愛相談とか持ち掛けられて調子に乗ってるんじゃないのか」


 赤木が般若のような顔で睨みつけてくる。赤木の言っていることは事実だ。ここ最近、恋愛相談なんていう冗談のような依頼を数人から受けていた。もっとも、


「あの難攻不落の生徒会長をどうやってオトしたんだ? みたいなしょうもない質問ばかりだよ。答えようがない」


「……やっぱりあれか? 後夜祭のキャンプファイヤー効果か?」


「皆無とは言えないけど」


 僕は適当に言葉をにごす。一年前の文化祭。あのときの僕たちは、そもそも後夜祭の会場であるグラウンドから抜け出していたのだ。それを大っぴらに言うのは、乙姫の生徒会長という立場上よろしくないだろう。


 しかし、赤木やほかの男子たちは、勝手に何か深読みしてしまったらしい。


「あやかりたい……」「もっとくわしく……」「教えろ……」


 などとブツブツ言いながら席を取り囲まれる。


「なんでそうなるの」

「後夜祭で一緒に踊った二人は永遠に結ばれる、って噂が流れてるんだよ」

「またベタな」

「たぶんこれ、お前と繭墨が出どころなんじゃないか」

「ああ……、それは確かに、そうかもしれない」


 去年の文化祭前後に成立したカップルの中で、僕と乙姫が、特に知名度が高いことは間違いない。主に乙姫のおかげだけれど。


「どうせすぐ別れると思ってたのに」「まさか一年も生きのびるとはな」「ひがむのはもうやめるぜ」「別れろと呪ったりしない」「だから、百パーセントOKをもらえるフォークダンスの誘い方を教えてくれ!」


 男子どもに取り囲まれ、両手を合わせて拝まれる。なんだろうこの状況。『救世主の誕生を喜ぶ人々』と題された宗教画みたいなシチュエーションだった。


「おはようございます。……なんですかこれ」


 悠然と教室に入ってきた乙姫が、僕たちを見て首をかしげる。


「ご本尊だ……」「拝め拝め」「ご利益があるぞ……」


 男子どもは乙姫の方を向いて両手を合わせる。ホント何この状況。


 乙姫は目をしばたきつつも、右手を胸の前で縦に伸ばし、親指と人差し指で輪っかを作った。仏様のポーズである。意外とノリがいい。そして男子どもが大人しくなると、軽く一礼をして自分の席へと向かう。三蔵法師が妖怪を退治しているような光景だった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「おはよう、阿山君、赤木君」


 男子どもがはけるのを見計らって、青柳あおやぎさんがやってきた。ショートボブのメガネっ娘であるが、その性質は乙姫とはまったく異なる。

 乙姫のメガネは紅縁の楕円形という作りで、その雰囲気は鋭利。

 青柳さんのメガネは縁なしの丸メガネで、その雰囲気は柔和。

 実に対極的だ。

 小柄で控え目、一見すると下級生のような、青柳さん本人のイメージによるところもあるのだろう。もちろんどちらも良いものだと思う。メガネに貴賤なし。


「おお青柳、どうだった」


 青柳さんはカバンの中から数冊のマンガ本を取り出して赤木に渡した。

 この二人は最近マンガの貸し借りをする間柄らしい。


「すごく面白かった。ずっと主人公が追いかけてきたお兄さんが、実は他人の空似だったことが判明するシーンなんて、斬新すぎてびっくりしたよ」


 奇抜だけど誰得なのその展開。

 危うく突っ込みそうになったけれど、赤木は「だろ?」とうれしそうに笑っているので、それでいいんだろう。笑いのツボが同じ人は貴重だ。外野が口出しするのは野暮というものだ。


 二人はしばらくマンガの感想を語り合っていた。意見が対立することはなく、たまに食い違ったとしても、そういう見方もあるんだ、とすぐに理解を示していた。ストーリー、キャラクター、作画、どれをとっても互いの好みは似通っているようだった。僕はぼんやりと二人の話を聞き流していた。


 チャイムが鳴って、青柳さんが自分の席に戻ると、赤木にそれとなく彼女との関係について尋ねてみた。


「あー、そりゃ、あれだ、夏休みに本屋のマンガコーナーで見かけたんだよ」

「それで声をかけたの? 赤木から?」


 女子に奥手ビビりな赤木にしては、ずいぶん積極的なことをしたものだ。


「普段だったらスルーしてたかもしれんが、あいつが持ってるマンガを見て、電流が走ったんだよ。こいつは同志だってな」


 それはドがつくほどマイナーな作品で、いくら友人に勧めても反応が悪かったのだという。そういえば僕も変なマンガを見せられた記憶がある。ただし内容は覚えていない。


 そんなこんなで理解者はいないと諦めていた赤木だが、同じマンガを手に取っている青柳さんを見て、衝動的に声をかけてしまった、ということらしい。


 そして今は、お互いの好みを確認するかのように、オススメのマイナー作品を貸し借りする日々を送っていると。

 なるほど。

 これは予想外の流れだった。

 赤木は純粋に青柳さんをマンガ好きの同志と思っているみたいだけど、果たして青柳さんの方はどう考えているのだろう。そして、あの日帰りキャンプからずいぶん経つけれど、百代への気持ちに変化はあったのか。


 いろいろ思うところはあったけど、余計な口出しはせずにそっと見守ることにしようと、このときは考えていたのだ。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 それはお昼休みのことでした。


「男子ちょっと騒ぎすぎだよね」


 朝のHRの件を言っているのでしょう。あっという間に弁当を平らげた曜子は、お茶を飲みながら、歳の離れた弟のやんちゃを見守るような表情を浮かべています。


「高3の文化祭、このメンバーと馬鹿をやれるのも最後だからと、意識的にはしゃいでいるんでしょ」


「ちょっとやめてよヒメ、なんか切なくなるじゃん……」


「あとは単純に、最後にひと花咲かせおんなのことつきあいたいという欲望があふれ出たのよ」


「キョウ君へのやっかみもあるよねぇ間違いなく」


 曜子が唇を三日月のようにつり上げます。

 それに笑みを返せるほどわたしは図太くはありません。


「……まあ、ええ、さすがにこの前のアレはちょっと、ごめんなさいとしか言いようがない不祥事というか、火遊びが過ぎたというか……」


「ヒメも変わったよねぇ。あれからもうすぐ一年だもんね」


 うれしそうに目を細める曜子に、わたしは無言でうなずきを返します。

 主語が省かれていても話は問題なく通じました。


 当時と今とを比較して、わたしは変わったと思います。

 身長体重や学業の成績といった数値に表れるような違いではないのに、わたしという人間は確かに変化していて、それをはっきり自覚できることが驚きでした。


 単にひとつ歳をとったという、時間の経過による惰性的な変化とは違います。この一年を共に過ごした誰かさんによって変えられたのです。


 それは大いに照れくさく、少しだけ悔しくて、だけど間違いなく喜ばしいことでした。


 自分のことはそれでよしとしましょう。

 では、曜子はどうなのでしょうか。

 かつて同じ人を好きになった、わたしの友達は――彼女の現在は、充実しているのでしょうか。


 その変化を確かめようと曜子の表情をうかがいます。彼女は昼食を共にしているわたしではなく、教室の片隅に視線を向けていました。その先には、ちょうど教室を出ていこうとする鏡一朗さんと、かたわらになぜか小柄な女子生徒の姿が。


「あの女は誰かしら」

「ヒメちょっと言い方! この泥棒猫、みたいな感じになってるから!」

「あの身長と髪型は、青柳さんのようだったわね」

「たぶんそうかも」

「舌の根も、乾かぬうちから、また浮気……」


「呪いの川柳コワイヤメテ」曜子は左右に首を振ったあと、苦笑いを浮かべて、「女子と会うだけでそんなこと言ってたら、キョウ君何もできなくなるじゃん」


「今はまだ保護観察中なの。不審な動きは警戒してしかるべきよ」

「じゃあいっそ首輪つけて部屋で飼う?」

「さすがにそれは……、でも、首輪だけなら、女を近寄らせないためのお守りとしては十分かもしれないわね。男除けにつける薬指の指輪のように」

「うん、それならきっとドン引きして近寄らないと思う」

「そして女子に見向きもされなくなった鏡一朗さんは、わたしへの依存を深めていくという仕組みね」

「猟奇的な彼女!」

「冗談よ、冗談」

「えー……」


 疑いのまなざしを向ける曜子でしたが、ふと何かに気づいてスマートフォンを取り出します。


「なんだろ、ライン来てる。……あ、キョウ君から。ほら、『浮気じゃないから心配しないで』だって。うひゃー、こんなことでいちいち連絡するんだ、すごいね、キョウ君こんなマメなキャラじゃなかったはずなのに」


 ニヤニヤと笑いながら画面を見せる曜子とは対照的に、わたしの心は徐々に冷えていきます。


「これは本来、わたしに送られてくるはずのメッセージよ。それがヨーコに届くなんて。浮気発覚のいちばんの原因が、SNSの送信ミスというのは、どうやら事実みたいね」


「ちょっとヒメ落ち着いて、まだお弁当残ってるから!」


 無自覚に立ち上がっていたらしいわたしは、曜子に制服の袖を引っ張られて、すとんと着席します。……いけません、少々、動揺が過ぎるようです。さすがに昼食を食べ残したまま席を立つのは、無作法にもほどがあります。


「いくらなんでも警戒しすぎだよ。青柳さんってそんな積極的なタイプじゃないし」

「青柳さんではなく鏡一朗さん側の問題なの。彼の特殊な性癖は知ってるでしょ」

「シスコンとメイドフェチ」即答する曜子。

「眼鏡フェチでもあるわ」


「それだったらやっぱり心配いらないと思うけど……」曜子は見えない眼鏡をくいっと持ち上げる仕草をしつつ、なおも言葉を連ねます。「それに、青柳さんがキョウ君に何か話があるとしたら、それはキョウ君を通じて、別の人の話を聞きたいだけだと思うから」


 曜子の口ぶりはめずしく迂遠でした。何かを確信しているのに、あえてそこに触れようとせず、輪郭をなぞるような話し方をする。ずいぶんと回りくどい物言いですが、いったい誰を真似しているのでしょうか。


 ともかく、鏡一朗さんへの疑いは和らぎましたが、すると今度は青柳さんへの疑問が湧いてきます。

 曜子は何か察しているようですが、ここで強く追及するのは良くないと感じます。踏み込んでほしくないからこその、遠回しな言い方なのでしょうし。


 となると、やはりあちらに踏み込むしかありませんね。

 壁掛け時計を確認し、いつもより箸を動かすスピードを速めて、昼食の残りを片付けていきます。

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