第163話 クーデレ眼鏡ドSメイド(想像)


 数日後、喫茶店の予定だった有志連合の出し物は、いつの間にかメイド喫茶へと進化――いえ、突然変異していました。こちらからのアドバイスが妙な方向へ作用してしまったようです。


 会議の場である3-2組の教室に踏み入れると、そこは異様な熱気に包まれていました。


「だから、ネコミミはオプションにするべきなんだよ」

「追加料金を取るという考えはわからないでもない」

「しかし、耳の種類で料金を変えるのは許せん!」

「ケモミミのニーズは平坦ではない。ある統計ではネコミミこそが至高という結果が出ている」

「ふざけるな、ウサミミの方がいいだろうが」

「フン、あんなものはバニーガールの付属品だ」

「一緒にするんじゃねえ、そういうお前こそケモミミ自体を単なる付属品だと思っているだろう」

「ウサミミはなぁ、片耳がまっすぐ伸びて、もう一方がかくんと折れ曲がっている、あのアシンメトリーが最高なんだよ!」

「ネコミミとウサミミだけで盛り上がってるんじゃねえよ!」

「イヌミミを忘れないでください!」

「ゾウミミの良さも知らないくせに!」

「数の暴力でケモミミ自体の価値を貶めるのはやめろ!」

「そうだそうだ、ケモミミに貴賤はない!」


「うわぁ……」

「……これは」


 わたしと曜子はそろって顔を引きつらせます。


 男子たちは今にも取っ組み合いを始めんばかりの勢いで、自らの推すケモミミについて熱く語っており、それを女子たちは教室の後方から白い目で眺めています。


 物事を行うにあたって、熱意はもちろん重要です。しかし、熱量さえあればいいわけではありません。世の中には伝導しない種類の熱があり、それによって発生する温度差は、組織全体のバランスを崩してしまいます。

 料理を想像してみればわかるでしょう。全体に均一に火が通っていなければ、どんな高級食材も台無しになります。

 このクラスがまさにそれです。男女間の温度差が大きすぎて、分裂寸前です。差し出がましいとは思いつつも、わたしは教室の中心に踏み出します。


「男性陣の皆さんが想定しているメイド服は、ミニスカートにハイソックス、あちこちにフリルをつけてかわいらしさをアピールしつつ、大きく開けた胸元で色気を見せつける、あのメイド服のことでしょうか?」


「ぐっ、繭墨……、嫌な言い方をしやがる……、が、おおむねそんな感じだ」


 渋々といった顔でうなずくのは、ケモミミ議論の中心にいる赤木君です。

 ほどほどに声が大きく、サブカル的メイド文化への理解もあり、お互いの性格をある程度知っている、適切な話し相手です。わたしは彼に向けて、いつもより声を張って話を続けます。


「申し訳ありませんが、その出し物は承諾できません」

「お前が反対しても俺たちの情熱は――」

「情熱ではなくルールの問題です。文化祭では学生にふさわしくない、過剰な露出のあるコスチュームは禁止されていて、メイド服はその具体例に入っています」


 一瞬、目を丸くする赤木君。


「マジで?」

「マジです」


 わたしはゆっくりとうなずいて、1秒ほど〝溜め〟を作ります。今のやり取りを周囲に浸透させ、みなさんの理解を待つための時間です。


「噂が広まれば、そのうち生徒会が乗り込んできますよ。提出した報告書と、実際のイベント内容があまりにもかけ離れていると、最悪の場合、出し物そのものが取り止めになってしまう恐れもあります」


 ――今の生徒会がそこまでやるかはわかりませんが、わたしが生徒会長だったら確実にルールを適用して、中止させていたでしょう。


 消沈する男子たちと、それを冷笑する女子たち。ざまあ、という声も聞こえます。あの単語、完全に市民権を得たようですね。


 ただ、女子の中には困惑している子も何名かいるようです。彼女たちはメイド喫茶にそこまで否定的ではなかったのでしょう。かわいいけれど一般的ではない服を、大っぴらに着られるチャンスというのはなかなかありませんから。


 わたしと赤木君のやり取りに、皆さんの注目が集まっています。

 助け舟を出すならこのタイミングです。


「大丈夫ですよ。過剰な露出のないメイド服があるじゃないですか」


 そのわずかなヒントで気づいたのでしょう。

 赤木君がハッと顔を上げます。


「そうか――、確かに」

「おい赤木なに一人で納得してるんだよ」

「メイド服、クラシック、で画像検索してみてくれ」


 鋭く指示を飛ばす赤木君。


「どゆこと?」


 曜子が首をかしげつつスマートフォンを操作します。周囲を見ると他の生徒たちも同じく検索してくれているようです。


 現れたメイド服の画像は、深夜アニメ的なミニスカートではなく、世界名作劇場的なエプロンドレス。ロングスカートに胸元も閉じている、落ち着いたデザインです。


「こういうのならアリかな」

「えー、ちょっと野暮ったくない?」

「コーデ次第でしょ、ぜんぜんイケるって」


 女子側の空気は、反対一辺倒からは持ち直したようです。


「……ルールで禁止されている以上、こちらを採用するしかなさそうだな」

「この方向で進めるか」

「なんの耳が合うだろうか……」


 男子たちも顔を見合わせ、うなずき合っています。


「ねえヒメ、これを狙ってたの?」

「わたしはみんなに冷静になってほしかっただけよ」

「ふーん」


 方向性が決まり、その次に求められるのは、誰が給仕係になるのか。

 つまりはメイド服を着るのか、ということです。


「あのう、繭墨さんに、百代さん? ちょっと相談があるんだが……」


 赤木君が他の男子たちに背中を押され、揉み手をしながら近づいてきます。


「何? どしたの?」

「二人とも、フロア係をやってくれないか?」

「……メイド服を着ろってこと?」

「平たく言えばそうなる」


 赤木君の頼みに、曜子は人差し指を左右に振って、


「ノンノン、わかってないなぁ赤木君、あたしはともかくヒメは、こういう目立つことは――」

「いいですよ」

「「えっ?」」


 曜子と赤木君がそろってこちらを振り向きました。二人とも眼窩から飛び出さんばかりに目をいています。ちょっと失礼な驚きようです。


「え? ヒメ、いいの?」

「こちらの格好なら、わたしもやぶさかではないわ」

「……なんか、意外」

「ここは最後の一押しが必要な場面でしょ?」

「そういうことなら、まあ……、でも、うーん……」


 腕組みをして首をかしげ、唸り声を上げる曜子。

 違和感を覚えつつもうまく言葉にできない、といったところでしょうか。

 付き合いが長いぶん、さすがに鋭いですね。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「鏡一朗さん、ひとつ、ご報告があります」


 ひと足さきに帰り支度を終えた乙姫が声をかけてくる。

 僕はノートを取っていた手を止めて顔を上げた。


「何?」


 乙姫はおだやかな笑顔を浮かべていて、僕は平穏と不穏の両方を感じてしまう。

 単に機嫌がいいだけなのか、それとも裏で悪だくみを進めているのか、判断がつかない。今のところ確率は半々といったところか。


「有志連合の出し物が喫茶店とお伝えしていましたが、つい先日、紆余曲折があってメイド喫茶に変更されました」

「メイっ……?」変な声が出た。「メイド喫茶というと、いわゆる、あの……」

「はい。いらっしゃいませ、ご主人様、というアレです」


 全男子垂涎のそのセリフを、乙姫は平坦な口調で述べる。


「へえ……」


 僕は精神を落ち着けようと、背もたれに体重をあずけて間を取った。


 文化祭でメイド喫茶。ありきたりで使い古されたネタではあるが、もはや定番と言えるレベルで根強い人気があるのも事実だ。毎年いくつものクラスが被ってしまい、争奪合戦になっている。


 人気の理由はおそらく、メイド喫茶というものが内輪でも盛り上がる出し物だからだ。来場者の喜びよりも、クラスの気になる女子がメイド服を着ている姿に興味がある、そういう不届きな男子生徒たちによって、強烈にプッシュされる性質のイベントなのだ。


「ちなみに、乙姫はなんの担当を?」

「給仕係ですご主人様」

「ほう……、それはつまり、メイド服を着ちゃったりしちゃったり?」

「ふふふ、さあどうでしょうか。ただ、サンプルが届くので、衣装合わせをおこなう予定もあります」

「衣装を……、合わせちゃったりしちゃったり?」

「ふふふ、ご想像にお任せしますご主人様」


 乙姫は口元を手で隠して貞淑に笑う。

 なんて思わせぶりな態度だろう。

 さっきの予感は半分当たりで半分外れだったようだ。


 乙姫の微笑みの理由は、単に機嫌がいいだけでも、裏で悪だくみを進めているからでもない。その両方。機嫌よく悪だくみを進めていたのだ。


 乙姫がメイド服の衣装合わせをする(かもしれない)。

 そんな話を聞かされて興味が湧かないわけがない。


 しかし同時に、試されているのではないか、とも感じる。


 受験戦争――受験に対して戦争という接尾語はいささか大げさかもしれないが、そこには確かに敵が存在する。

 同じ大学の定員を争う受験生たち?

 違う。本当の敵は自分自身だ。

 勉強のさなかについ魔が差してしまった経験は、誰にだってあるだろう。

 ちょっと手を止めてマンガを読む、ゲームをプレイする、部屋の掃除に興が乗ってしまう――そんな誘惑に負けてしまう弱い自分こそが、受験戦争の妨げとなる最大の敵なのだ。


 乙姫は僕が誘惑に打ち勝てるかどうかを、試しているに違いない。

 クーデレ眼鏡ドSメイド(想像)という自らのメイド姿をおとりにして。


「どうしましたか? ご主人様」


 乙姫が首をかしげる。

 いつもよりも圧を抑えた、使用人チックな仕草に心が揺らぐ。なんという執拗な試練だろう。これで本当にメイド服を着用された日には……、日には……、いろいろ大変なことになりそうだ。


「……メイド喫茶の準備、頑張って。楽しみにしてるよ。うん、ホントに」

「あ……っ」


 僕はカバンに荷物を押し込んで立ち上がり、そそくさと教室を出る。後ろで乙姫がまだ何か言いたそうにしていたが、歩くスピードを上げて振り切った。


 少しだけ灰谷さんに感謝しなければならない。

 今日は彼女に勉強を教えることになっているのだ。その約束がなかったら誘惑に負けていただろう、間違いなく。危ないところだった。


 残念がってなんてない。

 僕はメイド服の誘惑を打ち破った勝者なのだから……。

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