第162話 知ってしまったら、無視できなくなる


「だからぁ、勉強、教えてくれない?」


 ギャルっぽい女子は上目遣いで、あざといお願いを繰り返してくる。

 しかし僕は、そんなものに心揺らされはしない。揺らしてはいけない。乙姫の鋭い眼光を思い起こして、自制心を保つ。それは雪山で眠ってしまわないようナイフで腕を傷をつけるようなものだった。そして、淡々と断りを入れていく。


「悪いけどそんな時間はないから」

「えー、こんないい点取ってるんだから余裕っしょ?」

「地学だけよくても意味ないから。第一志望を目指すには、ほかの点数が全然足りない」

「別に毎日つきっきりでって言ってるわけじゃないし、三日……いや、五日に一回でいいからさぁ」


 ギャルっぽい女子は右手を広げ、左手の人指し指を立てて、五日に一回、をアピールしてくる。


「それにほら、人に教えることで自分も復習になるっていうじゃん」

「よく聞く話だけど、相手に言われても押しつけがましさしか感じないよ」


 断り続けていると、やがて彼女はため息をついた。そして口元をきゅっと結んで、乱暴な動きで横にスライドした。長椅子の上で遠ざかる距離。


「アンタ思ったより頑固だね。こんな近づいてんのにぜんぜんキョドんないし」


 もしかしてこっち系? と頬に手の甲を当てる。いつから存在しているのか不明だがおそらく全世代共通の、いわゆる男色のポーズ。ひどい言いがかりだった。


「同性には興味ないよ」

「じゃあ二次元オンリー?」


 この子はどうして僕がキョドらないことを自分のせいにしたがらないのか。


「愛は次元を超える」


 僕は適当なことを言ってその場を逃れようと、足腰に力を入れるが、


「あれ? アスミ? 何やってんだよこんなところで」


 という声で動きを止められる。

 それなりに人出のある予備校のロビーで、その声は明らかにこちらに向けられていた。厳密には、僕の隣のギャルっぽい女の子に呼びかけていた。


 声の主は他校の男子生徒だった。性別が違うが制服のデザインに共通点があるので、おそらく同じ学校なのだろう。


「あっ? あー、カズキじゃん、奇遇キグーだね」


 アスミは手早く前髪の乱れを整えると、にっこりと笑顔を作る。


「アタシは模試の結果、見に来てたの。そっちは?」

「オレもだよ」

「奇遇じゃん」アスミは同じ言葉を繰り返す。「どうだった?」

「んー、まあまあってとこ? そっちは?」

「アタシもまあまあ、かな」

「そっか、お互い頑張ろうぜ」

「うん!」


 そんな薄っぺらい(※あくまで個人の感想です)やり取りをしていた二人だが、


「ちょっとカズ君、早く行こーよ」


 カズキの隣にいた女子生徒が彼の制服の裾を引っ張り、甘えた声を上げると、あっさり中断されて気まずい沈黙が下りる。露骨なまでの割り込みと威嚇であった。女子同士のこういう雰囲気、ホント苦手。


「ああ、悪ぃ。んじゃまたなアスミ」

「ん、じゃーね」


 カズ君とその隣の女子は、ただの友人というには近すぎる距離で――具体的には肩が触れるくらいの距離で――並んで歩き去っていく。


 アスミはその後ろ姿が遠ざかっていくのを、しばらくの間――具体的には僕の存在を思い出すまでの間――さみしげに見つめていた。


「――ハッ」


 こちらの視線に気づいたアスミが我に返る。


「まさかアスミさん」

「な、なんだよ……」

「強引なまでの勉強教えろ攻勢は、今の女連れとなにか関係が?」

「別に……」


 目を合わそうとしないアスミだったが、僕が無言でその横顔を見つめ続けていると、ようやく白旗を上げた。


「……そうだよ。悪い? アタシはカズキと同じ大学へ行きたいんだよ」

「だけど現状じゃ厳しいから、成績のよさそうなやつに声をかけて教えを乞うていると?」

「ああ」

「特に、女子慣れしてなさそうなぼっち男子を狙って?」

「……そーだよ」


 アスミは投げやりに言いながら立ち上がる。ここまでバレてしまった以上、粘って頼み込んでも無駄だと判断したのだろう。


「でもさっきの男子、彼女持ちみたいだったけど」


 後ろ姿に声をかけると、アスミは振り返った。


「あの二人、進学先はたぶん別々になる。遠距離ってほどじゃないけど、距離が開いたら、どこかで険悪になるタイミングが来るかもしれない。そのときカズキのそばにアタシがいたら、ワンチャンあるかもしれないっしょ?」


 アスミは引きつったような笑い顔をしていた。

 自分のやろうとしていることのバカバカしさを自覚しつつ、それでもやめられないことを自嘲している、そんな顔をしていた。


 しまったな……、と僕は髪の毛をかきあげる。

 こんな話、聞くんじゃなかった。

 こんな顔、見るんじゃなかった。

 知ってしまったら、無視できなくなるじゃないか。


「……地学だけだよ」

「えっ?」

「僕が見れるのは地学だけだし、頻度だって週一回くらいだけど。それでもいいなら、教えるよ、勉強」


 アスミは身体をこちらに向けて、きょとんとした顔でつぶやく。


「え? マジで?」

「マジで」

「なんで?」

「人に教えることで自分も復習になるから」

「へー、ほー、ふーん……?」

「なんの鳴き真似?」

「現役JKの愛らしいつぶやきじゃんか!」


 アスミは目をつり上げてわめいたあと、ふっと表情をゆるめる。


「でも、あんがと。……ええと」

「阿山だよ、阿山鏡一朗。鏡と、漢数字の一と、ほがらかの方の朗で鏡一朗」

「あんがとな、キョーイチロー。アタシは灰谷アスミ。明日は美しいって書いて明日美ね。よろしく」


 アスミ改め灰谷は右手を差し出してくる。握手をしろということらしい。

 ギャルっぽい外見どおり、異性とのスキンシップにハードルの低い子みたいだ。……こういうことを考えている時点で、僕も、自分が見た目で判断されることに文句を言ってはいけないのかもしれない。


「よろしく」


 僕は平静を装って、彼女の手を軽く握り、すぐに離した。


「で、今日はどうするの」

「じゃあさっそく――」


「おお灰谷さん、こんなところにいたんだね」


 とまたしても横合いから男の声が割り込んでくる。千客万来だな。

 声をかけて来た相手は、髪の毛を七三分けにした眼鏡男子だった。僕とも灰谷とも違う学校の制服で、第一ボタンまで襟を閉じ、小脇には数学の参考書を抱えている。


「じゃあ今日の勉強を始めようか。……おや、君はいったい?」


 と眼鏡男子は眼鏡を持ち上げながら目を細める。


 これはまさか。


 事情を問いただすべく灰谷を見ると、彼女はそっと目を逸らした。

 その態度だけで十分だった。

 目の前のこの眼鏡男子はおそらく、数学担当・・・・だ。


「……もしかして、他の科目も?」


 短く問うと、灰谷はぎくりと肩を震わせた。

 唇を突き出して、鳴らない口笛を吹いている。


 スヒ~……じゃないよまったく。このサークルの姫め。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「結局こうなっちゃうんだね」


 机の対面に座った曜子が、頬杖をついて苦笑いを浮かべていました。


「……そうね。過去のイメージからは逃れられないということかしら」


 放課後、まだ西日が射し込むほどではない夕どきの教室で、わたしと曜子はそろってため息をつきました。


 現在、わたしの目の前には問題が山積しています。

 比喩ではありません。

 文書となって可視化された、達成しなければならない課題としてです。


 今回の文化祭での出し物について、わたしは積極的に関与していくつもりはありませんでした。


 人の上に立ってあれこれ指図する仕事は、去年1年、生徒会で十分にやりました。最後の文化祭ではもう少し穏やかに、与えられた、あるいは求められた役割をしっかりと果たしていくことだけに、専念するつもりだったのです。


 ところが、残念ながら、参加した有志連合はまとまりを欠いた集団でした。

 呼び名だけは大仰ですが、要は複数のクラスにまたがる寄せ集めです。何かをやりたいという気持ちだけで集まった生徒が、何をやりたいかをまとめ上げることもできず、あれやこれやと話し合いを続けて無為な時間を浪費していく。


 ――わたしはそういうことに我慢のできない性分だったようです。


「横で見ててヒメがいつブチ切れちゃうかハラハラしてたよ」

「わたしはそんな野蛮なことはしません。怒声の効果は一時的だし、時間を置いて反感というマイナスの作用が返ってくるだけ。お勧めできないわ」


 まずは各集団の代表者らしい生徒を集めて話し合いの場を開き、少数で話をまとめる。その結果、有志連合の出し物は『喫茶店』に決まりました。


「そしたら次は、衣装とかメニューでモメちゃうんだもんね」

「その衣装にかかるお金や、料理を作るときの手間くらい、考慮してほしいものだわ。ちょっと反対するだけで取り下げてしまう意見には何の重みもないのに」


「ヒメに反論されたらびっくりしちゃうんだよやっぱり。ほら、元生徒会長っていう肩書があるし」

「びっくりというより怯えられていた気がするわ……」

「キョウ君に相談してみる?」

「それはダメよ。受験勉強の邪魔はできないわ」

「そう? 息抜きとか言ってすぐ協力してくれそうだけどなぁ」


 まあいっか、と軽い口調でつぶやきつつ、曜子はメモ帳を取り出します。


「どうしたの?」

「ヒメの威を借るあたしが、みんなにヒメの考えをやんわり伝えてきてあげる」

「ヨーコ……」

「イヤ?」


 顔をかたむけて問うてくる曜子に、わたしは首を左右に振ります。


「ううん、お願い。今回は、わたしとしては、あまり表に出て旗を振りたくはないの」

「そうした方が早くまとまるのに?」

「それは生徒会のときのやり方よ。信任された長として先頭に立つのとは違う。今回はみんなの総意としての出し物をやりたいわ」

「そっか」

「それに、わたし主導だと責任が重くなるし」

「だよね」


 今は先頭に立ちたくない。

 それは生徒会長を終えての実感でした。


 政治家という仕事は、とても疲れるものなのでしょう。上手くやって当然、失敗すれば叩かれる。大勢からの注目の中で、些細なミスでもあげつらわれる。

 高校という小さな世界の頂点で、ほんの1年、似たような業務をこなしただけのわたしですが、それを実感していました。端的に言って、とてもストレスが多い仕事なのです。


 だからアメリカの大統領は、任期が終わると田舎へ引っ込むのですね。畑を耕したり趣味に時間を費やしたりして、政治の表舞台からきれいさっぱり引退する。

 ……おや、ということは日本の政治家は、さほど大変なお仕事ではないのでしょうか。よくわかりません。


「じゃあヒメのご意見をどうぞ」

「そうね……、なんであれ、提案をするときは、それが実現できるのかどうかをきちんと考えてほしいわ。熱意が込められていれば、なおいいけど」

「ヒメが熱意とか語るんだ」

「意外?」

「ちょっとだけ」

「やる気って意外と伝わるものよ。特にこの有志連合は、最初からやる気のある人たちが集まっているから、伝わり方も早いと思うの……って、何をニヤニヤしているのヨーコ」


「そういうことをちゃんと話したら、それだけでみんなやる気マシマシだと思うけどなぁ」

「嫌よ恥ずかしい」

「えー」


「ほら口よりも手を動かして、ちゃんとメモしてね。……パッと思いついた机上の空論を口に出すことを提案とは言わない。例えば、料理なら実際に作ってみて、かかる費用と時間を計算すること。衣装だったらいくつ借りれるのか、あるいは作れるのか。とにかく数を集めればいいのか、高いクオリティで揃えたいのか。なぜそういう提案をしようと思ったのか、という理由も欲しいわね。方向性やコンセプトは重要だわ。身内の意思統一だけじゃない、外部へのPRの意味でも――」

「ヒメ、ちょっとストップー! 早いってもう」


 音を上げる曜子の悲鳴を聞いて、少しだけ気持ちが落ち着きました。


 本当は鏡一朗さんの声が聞きたいのですが。

 ……なんて、我ながら笑えるくらい健気なことを考えながら、夕焼けに赤くなっていく窓の外を眺めます。

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