第158話 大切な話
「おかえり、鏡一朗」
「ただいま義姉さん」
「いらっしゃいオトヒメちゃん」
「
僕たちは再び車上の人になっていた。
実家の最寄り駅で列車を降りて、千都世さんの運転する軽四に乗りかえたのだ。
車が発進してから、千都世さんはどこか落ち着かない様子だった。
後部座席に並んで座っている僕たちへ、バックミラー越しにちらちらと視線を送ってくる。
「ちょっと聞いていいか?」
「はい」
「なんで二人とも制服を着てるんだ?」
ああ、それで僕たちを見てたのか。
まあそりゃあ気になるよね。
千都世さんの言うとおり、僕たちは高校の夏服を着用していた。
乙姫の提案によるものだが、これには深い理由がある。
今回の帰郷に乙姫が同行しているのは、以前に話し合った、僕たちの進学先についての件が絡んでいる。
もともと県内で進学するつもりだった僕は、乙姫に合わせて県外へと志望校を変更した。もちろん養われの身なので一人で決めることはできず、両親にその話をしたのだ。
県外への進学となれば、学費に加えて家賃や生活費が上乗せされてしまう。僕と乙姫のわがままが、阿山家の経済的な負担を増やしてしまった形だ。
すると乙姫は両親と会って話をしたいと言い出した。直接、謝罪と説明をしたいと。律儀で結構、実に乙姫らしい行動だと思う。
彼女が
いざ里帰り前日となったとき、乙姫から連絡が入った。
『話し合いの場にはフォーマルな服装で臨むべきです』
「そっちはドレスの一つや二つ持ってるのかもしれないけど、こっちはスーツなんて持ってないよ」
『わかっています。そちらのクローゼットは把握していますから』
「え? 今なんて?」
『わたしたち高校生にとっての正装は学生服でしょう』
そういえば前に乙姫のご両親と会ったときも制服だった。あのときは服装に迷った末の苦肉の策だったが、案外、乙姫はあれを踏襲しているつもりなのかもしれない。
本来リラックスできるはずの里帰りに、制服という格式ばった装いで向かっているのはそういう理由だ。あまりにちぐはぐで、ちょっと笑ってしまいそうになる。
◆◇◆◇◆◇◆◇
玄関で出迎えてくれた義母さんは、やはりきょとんとしていた。
「本日はお世話になります、よろしくお願いします」
乙姫はゆっくりと頭を下げて、お土産の菓子折りを差し出した。
「いつもご丁寧に、どうもありがとう。さあさ上がって」
スリッパに履き替えて家へ上がる僕たちを、義母さんはじっと見つめている。
「どうかした?」
「ねえ繭墨さん」
義母さんは恐るおそるといった面持ちで乙姫に声をかけた。
「今日は、何か大切な話があるそうだけど……」
「はい。お時間を取らせてしまい申し訳ありません」
「それはいいのよ。気になっているのは、話の中身。もしかして、ウチの愚息が、大変なことをしでかしてしまったという話じゃ……」
「大変なこと?」
「嫁入り前の娘さんにあるまじき、あんなコトやこんなコトさ」
けけけ、と千都世さんが茶々を入れる。
乙姫はギギギと軋みを上げるロボットのようにぎこちなく振り返る。
「……鏡一朗さん? 今日のこと、ご家族にどういう説明をしたんですか」
「話せば長くなるけど、とにかく将来についての大切な話って」
「その言い方は……」
乙姫は額を押さえ、その指でメガネの位置を整えてから義母さんに向き直った。
「お義母さんは誤解されています」
「誤解って?」
「だから、その……、妊娠したとか、その手の話ではありませんから」
「本当? ああ……」
義母さんは胸に手を当てて大きなため息をつく。
「それならよかった。安心したわ。ああ、お義母さんもね? そういうことをするなと言ってるわけじゃないのよ。ただ、お互いまだ若いんだから節度を持って、特に男と違って女の子は大変だから、鏡一朗君にはエチケットはしっかり守りなさいと口を酸っぱくして言い聞かせていたの。そこへきて〝大切な話〟でしょう? わが家の性教育は無駄に終わってしまったのかと心配で心配で……、でもよかった。今日のお赤飯はキャンセルしておくわね」
べらべらと一方的にまくしたてると義母さんは台所へ引っ込んでしまう。
「あ……、ありがとうございます?」
残された乙姫は戸惑いがちに首をかしげている。
からかうチャンスだ。
「ところでさっき、ウチの義母さんのことお義母さんって言った?」
「再婚されているんですよね」
「うんまあそうなんだけど」
「将来的に少しややこしいかもしれませんね」
「おおぅ……」
「冗談ですよ」
なんて小悪魔的なことを言うのか。
からかうつもりが翻弄されてしまった……。
「いやあ、アレだな、2人とも、前よりさらに親密さが増したように見えるな」
千都世さんがニヤニヤしながら絡んでくる。悪魔系女子はもう間に合ってるんだけど。
「さっきはああ言ってたけど、実際どうなんだ? ん? おねーさんに話してみ?」
おねーさんというよりは酔っ払いのおっさんのような絡み方だ。
「……その節はお世話になりました」
乙姫は礼を言いながらも、口元は挑発的につり上げられている。
「どういう意味だ?」
千都世さんは首をかしげる。
僕もだ。その節というのはどの節だろう。
姉弟そろって顔をかたむける反応に、乙姫は目を見開いた。話が通じていないことにショックを受けているようだ。千都世さんの察しを期待していた乙姫からすれば、裏切られた形なのだろう。
「とぼけている……、わけでは、ないんですか?」
「話が見えない」
「実は、その……」
しばらく言いにくそうにしていた乙姫は、千都世さんを手招きすると、その耳元に顔を近づける。
「なになに、仕送りの箱のなかに……、ほうほう、そのようなモノが……、ふんふん、それを見たカレが……、獲物を狙う狼の顔に……」
「ちょっとなに話しちゃってんの!?」
「やるじゃん鏡一朗」
千都世さんが握ったこぶしの親指を立てる。家族にこの手の話をされたときはどう反応するのが正しいのだろう。誰か知っていたら教えてほしい。
こっちがワタワタしている間に、千都世さんは台所へ向けて大声を出した。
「お母さーん、やっぱ赤飯キャンセル取り消しで!」
◆◇◆◇◆◇◆◇
僕は乙姫を連れて二階へ上がった。避難したともいう。
「相変わらずにぎやかですね」
「義姉さんはいつもどおりだけど、義母さんの方は乙姫が来たからはしゃいでたんじゃないかな」
「受け入れてくれているようでうれしいです」
「文字どおり
ドアを開けて自室に入る。
アパートの部屋には何度も招いているが、実家の部屋に乙姫が立ち入るのは、それとはまた違った感慨がある。
ここは自分がいちばん多くの時間を過ごした場所で、いわば彼女と出会う前までの自分の歴史が積み重なっている空間だ。それを見せられたことが少しだけうれしく、そして大いに気恥ずかしい。
「ぎこちない顔ですね」
膝立ちで本棚を物色しながら乙姫が言った。
『本棚は持ち主の心を映し出すもの。だからわたしは人の部屋に入るとまず本棚の中身をチェックするようにしています』
以前そんなことを語っていたのを思い出す。
「そう見える?」
「わたしを部屋に入れたくなさそうな顔です」
「入れたくないってほどじゃないけどさ」
「鏡一朗さんはわたしの部屋を見たいと思いますか」
「そりゃまあ、それなりには」超見たいです。
「わたしも同じ気持ちですよ。だから大目に見てください」
乙姫は本を一冊抜き取って口元を覆いながら言う。素直な言葉と照れ隠しめいた仕草にくらくらした。そんな風に言われたら、こちらも受け入れないわけにはいかないじゃないか。
テンションの上がった僕は押入れを開けて、こういうときの定番アイテムを探し出す。
「中学のアルバムとか見る? 冴えない小僧が写ってるだけだけど」
「その提案は、いつかわたしの部屋へ押し入ってアルバムを暴いてやるという、遠回しな犯行予告ですか?」
「同じ気持ちとはいったい……」
ソファなどないのでベッドに並んで腰かけて、アルバムは二人の間。ゆっくりとめくっていく。
「確かに冴えない表情が多いですね」
「このころは内向的な子だったんだよ」
「家庭環境の急激な変化のせいで?」
「ご存知のとおり」
乙姫にはその辺りの事情は説明済みなので、我が家の事情をよく知っている。だからいちいち大げさに悲しそうな顔をしたり、気遣いの言葉をかけてこない。
うわべだけの共感ではない、静かな理解者がいることの心地よさを感じつつ、僕はページをめくっていく。
アルバムが中ほどまで進んだあたりで、乙姫が言った。
「ずっとこんな調子が続くんですか?」
「恥ずかしながら」
「ではこのアルバムに用はありませんね」
「見切りが早い」
「確認ができたのでもう十分です」
「確認って?」
「
乙姫はいつも姿勢がいいが、このときはそれに輪をかけて背筋を伸ばし、胸を張っているように見えた。表情もドヤ顔だ。勝った、とか思ってるんだろうな。
「……なんですかニヤニヤして」
「乙姫ってホント、優劣とか上下とか勝敗にこだわるタイプだなと思って」
「そうですね。わたしは本質的に、上を取りたがる人間みたいです」
「あら素直」
「それに、優しさや思いやりといった情が足りていません」
「そうかな」
「去年の夏のことを覚えていますか?」
その問いかけに僕はうなずいた。どのエピソードのことを言っているのかはわからないが、どれもはっきりと覚えている。
「あなたの
「え?」
「ヨーコがそう言ったんです。恥ずかしながら、当時のわたしはそこにまったく思い至りませんでした。菓子折りは用意できても、故人に思いを馳せることを失念していた。あのとき、ヨーコに負けたと強く感じたんです」
もう一人のお母さん。それは僕の、亡くなった産みの親を指す言葉だ。
二人の間でそんなやり取りがあったなんて知らなかった。
「百代が優しいのは天然だから、計算高い誰かさんがそこで張り合うのは不利だと思うよ」
「言ってくれますね」
「普段は温存しておいて、ここぞというときに見せた方が効果的なこともあるし」
そして実際僕はそれにヤられたわけだし。
「ツンデレと言いたいんですか?」
「自覚あったんだ」
「周囲にどう見られているかは把握しています」
澄まし顔で立ち上がった乙姫は、ふと眉を寄せた。
「……でも、ご霊前に手を合わせたいという気持ちは、計算じゃありませんから」
「わかってるよ。うちの家族っていうのは、それも込みでの話なんでしょ」
僕も続いて立ち上がり、アルバムを押入れの奥深くに仕舞う。
そして、もう一人の母さんへの報告のために、二人そろって階段を下りていく。
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