第156話 誘われなかったから

 不快指数を増加させる人混みのなかを、鏡一朗さんはわたしの手を引いて先導してくれました。人波をかきわけて、少しずつ前へ進んでいきます。


 道中、粉ものや串ものを適当に購入してお行儀の悪い立ち食いをし、喉が渇けばお祭り料金のペットボトル飲料を購入してラッパ飲み。


 腹ごしらえが終わると、再び人混みの中へ飛び込んで、遊戯系の屋台を回ります。二人並んでヨーヨー釣りをし、互いの釣果――という言葉が正しいのかはわかりませんが――を競い合いました。


 射的でライフル銃を構える鏡一朗さんの、視線の鋭さに目を奪われて、だけど的に全然当たらないものだから、そのギャップについ声を上げて笑ってしまいます。


 アニメキャラのお面の再現度の低さに文句を言いつつ、買ったものをお互いにかぶせ合ったりもしました。


 風鈴を売っている屋台で足を止めますが、数百と折り重なった音色は、涼やかさとは無縁の騒々しさで、とても購入する気にはなれませんでした。


 対照的だったのが、風車かざぐるまを扱っている屋台です。無数の風車が風を受けて一斉に回り出す様子は、どれだけ眺めていても飽きのこない、不思議な中毒性がありました。ところが、それをひとつ手に取ってみると、子供だましのようなチープな作りなのです。


「ひとつだけの方がいい物もあれば――」

「――たくさん集まることで良さが出てくる物もあるんですね」


 鏡一朗さんの言葉をさえぎって続きを述べ、わたしたちは顔を見合わせます。


「それくらいの考えはお見通しです」

「……そこは、同じことを考えてたんですね、素敵、ってなるところじゃないの?」

「前々から思ってたんですが、鏡一朗さんってロマンチスト(笑)ですよね」

「そういう乙姫は相当なリアリスト(氷)だよね」

「現実を冷たいと感じるのは軟弱さの表れですよ」

「ロマンをあざ笑うのは余裕のない証拠じゃないかな」


 見つめ合うことしばし、やがてお互い、薄い笑みを浮かべます。

 一時休戦の合図です。


 人波に酔って少し疲れてしまいました。

 周囲の騒々しさのせいで、声を張らないと相手に聞こえません。わたしも鏡一朗さんも声があまり大きい方ではないので、こういう場所では会話をするだけで体力を消耗してしまいます。


 そもそも、こんな平凡な夏祭りの、ありきたりな屋台を巡り歩くこと自体、わたしには極めてレアな行動なのです。不経済で栄養の偏った屋台の料理も、翌日になれば持て余してしまうような意味不明なおもちゃも、しらふ・・・のわたしなら素通りしています。そこのところ、鏡一朗さんはわかっているんでしょうか。


 やがて、風を切るような音が細く長く響き、続いてカラフルな光が世界の陰影を浮き彫りにします。少し遅れて、降り注ぐ破裂音。誰も彼もが顔を上げ、夜空を指さし、玉屋、鍵屋とはやし立てます。


「騒々しいですね」

「ちょっと乙姫、顔が怖いよ」

「花火の光のせいでしょう。影のある女性というものですよ」

「影というか闇というか……」


 失礼な物言いにも、この場ではノーコメント。夜空に咲き乱れる大輪を見上げながら、鏡一朗さんはきっと心の中でポエミーなことを考えているのでしょう。その内容について根掘り葉掘り問いただして身悶えさせるシーンを思い浮かべつつ、今のところは花火を楽しむ素直な女子を演じておきます。少しくらい我慢した方が、後々の楽しみも大きくなるというものです。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「……そんなにお楽しみだったのにぃ、どうしてヒメはぁ、彼の部屋じゃなくてぇ、あたしん家に来てるのぉ?」


 こんなに愉快なことはない、と言わんばかりのニヤニヤ顔の曜子が、わたしの右頬を指で何度も突いてきます。


 わたしは今、百代の家にお邪魔しています。

 中庭に面した縁側に腰かけて、歩き疲れた身体を休めているところです。風鈴の音の玲瓏とした響きと、扇風機のモーター音。生ぬるい風に乗って香る蚊取り線香の匂い。わたしと曜子の間には、お盆に乗った大皿が置かれており、三角形にカットされたスイカが盛られています。夏休みの夜そのもののような光景がここにあります。


 ――30分ほど前のことです。


 わたしと鏡一朗さんは、帰りの混雑に巻き込まれないよう、早めにお祭りの会場を後にしました。人の流れから一歩外れたら、そこは街灯もまばらな薄暗い夜道です。遠い花火の音を聞きながら、口数少なく歩いていきます。


 やがて、ある三叉路で鏡一朗さんが立ち止まりました。


 一方は、鏡一朗さんのアパートへと向かう道。

 もう一方は、バスのターミナルがある伯鳴駅へと続く道です。


『今日は楽しかったよ。じゃあ、また』


 思い返すのも忌々しい、あからさまな〝お開き〟の言葉。


「……誘われなかったからよ」

「あらら」

「何よ、その反応は」

「ヒメのことだから、てっきりカマトトぶって断ったのかと思って」


 曜子はスイカをひと切れ手に取ると、その頂点にかぶりつきました。上半身を前のめりにして、滴るスイカ汁は地面を受け皿にしています。人目を気にする必要がないとはいえ、なかなか豪快な食べ方です。


 仮に声をかけられていたら、もちろん上がっていたでしょう。実際、わたしは商店街の一角にあるコインロッカーに、宿泊用の荷物を忍び込ませていましたから。


 ですが、ああも明らかに一日の終わりを宣言されては、それを無視するのは難しいことです。お祭りのジャンクフードで満腹になった状態では、晩ご飯を作るという口実も使えませんし。


「誘われてもないのに部屋へ上がろうとするなんて、はしたないでしょう」

「気にしなくてもいいんじゃないの? キムスメじゃないんだし」


 口をすぼめてスイカの種を飛ばしながら、曜子はそんなことを言います。


「きむ……ッ!? どこでそんな言葉を……。というか、気づいてたの?」

「少なくともあたしと倉橋は、ヒメたちの様子が変わったなー、って話したことがあるよ。こりゃあナニかがあったに違いない、ヒメくらい細身だと最初は大変だろうな、とか言ってたっけ」

「そう……」

「ちなみにあたしは安産型だから大丈夫だって。失礼しちゃうよね」


 唇を尖らせる曜子をよそに、わたしは頬が熱くなるのを感じます。人の秘密を握るのは気分の良いものですが、その逆は御免です。知らないうちに自分のことを把握され、噂されているというのは、とても居心地の悪いことです。


「何か狙いがあったのかしら」

「わざと部屋に上げなかったってこと? キョウ君が?」

「小賢しい駆け引きだと思うけど」

「そうかなぁ……、ただの断食系じゃないの」

「断食……? 絶食系のこと?」

「そうそれ、惜しい」


 曜子は舌を出して笑っています。断食と絶食。字面こそ近しいですがその意味は異なっており、断食はもともと宗教的な行為です。まさか草食と僧職をかけているのでしょうか。だとすればなかなか小癪なミステイクではありませんか。


 それはともかく、いくら考えても鏡一朗さんの意図はわかりません。いくつか候補はあるのですが、これだという確信が持てないのです。


「ズバッと聞いちゃえばいいじゃん。いつもみたいに」

「隠し事をされているのなら、容赦なくそうするわ」

「今回は違うの?」

「問いかけのような、相談のような……、どちらにしても、試されている感じがするのよ。そういうものにはきちんと応じるべきでしょう?」

「なぁんだ、いつもと同じやつかぁ……」


 曜子はため息をつきつつスイカに手を伸ばします。


「いつもと同じって?」

「イチャイチャしてるだけってこと」

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