第154話 神対応ならぬ悪魔対応

 ゴールデンウイーク明けの放課後、僕は生徒会室へ顔を出した。


「あれ? どうした阿山」

「会長ならいないよー」


 中にいた副会長の近森と、会長補佐の遠藤が、それぞれ声をかけてくる。


「実はその隙を狙って来たんだ」

「なになにぃ、浮気?」


 とニヤニヤ笑いを浮かべる遠藤に首を振って、


「いや、そういうの即バレするんで」

「だろうねぇ」

「生徒総会の質疑応答だっけ、あれの練習が上手く行ってないんだって?」


 生徒会の内情を尋ねると、2人は顔を見合わせた。


「会長が言ったのか?」

「軽くぼやいてた程度だけどね」


 そう答えると、2人はまたも顔を見合わせる。


「ちょっと聞きましたか奥さん」


 近森は右手を口元にあて、左手で手招きをする。


「ええ、聞いたザマス」


 遠藤はエア眼鏡をくいっと持ち上げる仕草をする。


「何その小芝居」

「あの会長が弱みを見せるなんて……」しみじみと近森。

「彼の腕の中だと素直になっちゃうんだぁ」にやにやと遠藤。


「ねえダーリン聞いて? みんなが言うこと聞いてくれないの、みたいな?」

「へえ、近森はそうやって彼氏に甘えてるんだ」

「はぁ?」


 近森の声が裏返った。顔を赤くして首を振り、


「ちち違うって、あたしはそういうのしねーし」

「またまたぁ」


 と遠藤も加勢する。あっさり攻守交代してしまって少し悪い気もしたが、近森があまりに突っ込みやすいネタを振ってくるのがいけない。遠藤と一緒にひとしきりからかったあと、僕は話題を変えて助け舟を出した。マッチポンプである。


「それはともかく……、2年生のノリがあんまりよくないんでしょ」

「おっ、何かいい手があるのか?」


 窮地にあった近森は、案の定すぐにこちらの話題に飛びついた。


「2年生に入れ知恵するだけでいいんだ」

「なんて?」

「質疑応答のお手本を見せてください、って生徒会長に言ってやれば? って」


「2年生たちにも質問役をやらせてみるってこと?」

「うん、会長をへこませてやろうぜ、くらいの勢いで構わないと思う」

「あ、そっか。あたしたちも2年生側に回るのね」


 遠藤が僕の意図に気づいてちいさくうなずいた。


 おそらく2年生たちは、生徒会長・繭墨乙姫に対して、反感より委縮の気持ちの方が強いのだろう。今までバリバリ働いているところをそばで見続けてきたわけだから、その能力の高さを畏れているはずだ。上級生ふたりが味方につけば、そのあたりの引け目もいくらか解消される。


「それに、相手を言い負かそうとすれば、やっぱり弱点を狙うでしょ」

「――生徒会的に、どこを攻められたら嫌かをわからせるんだな」


 と今度は近森がニヤリと笑う。

 やはり乙姫の下にいたからか、2人とも理解が早い。


 弱点がわかれば、どこを守ればいいのかも見えてくる。どこもかしこも、ではなく、要所を見極めるということだ。


「あと、マトモとは思えない言いがかりみたいな意見もねじ込んで、それを会長がどう対応するのかを実演してもらうのもいいんじゃないかな」


 無礼者には容赦しない乙姫の、神対応ならぬ悪魔対応が見られるかもしれない。


「いいんじゃないかなってお前……、それで会長がホントに凹んじまったときはどうするんだ?」


 近森が不安げな顔をする。僕は少し考えて、


「そのときはこっちで慰めるからそれはそれで……」

「あ? なんて?」

「いやいや……、弟子が師匠を倒して先に進むんだからいいんじゃないの、萌える展開だよ」

「燃える?」

「うん」


 僕と近森のやり取りを横目に、遠藤はたぶんその言葉の食い違いに気づいていたのだろう。ジトッとした絡みつくような視線で僕を見ていた。……おっと、あまり長居していると乙姫が戻ってきてしまう。


「んじゃ、僕はこれで。会長には僕が来たことは黙っといてね」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「……なあ、さやか」

「なあに、あずさ」

「会長が割と動揺するかもしれない質問を思いついたんだけど」

「偶然だねぇ、あたしもだよ」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 首筋に悪寒を感じて、赤本をめくる手を止めます。

 なんでしょう、風邪は引いていないはずですが……。


 放課後、わたしは校舎の片隅にある進路指導室を訪れていました。伯鳴高校はそれなりの進学校ですので、やはりこの時期になると、そろそろ進路を決めなくては、という切羽詰まった表情の3年生が、ちらほらと見受けられます。


 ときおり、交際中と思しき、距離の近いカップルがやってくることも。頑張って勉強して同じ大学へ行こうね、などと仲睦まじく語らっています。


 まったく、お付き合いはけっこうですが、もう少し節度を持って、オンオフの切り替えをしっかりしてもらいたいものです。甘ったるい空気はすぐに充満します。自分たちがこの場においてどれだけ異質な存在なのかを、きちんと理解するべきです。客観的な視点を持たない者は、得てして周囲に迷惑をかけるもの。つまり、バカップルは罪悪です。迷惑行為として条例で取り締まるべきでしょう。いえ、まずは校則からでしょうか。


 咳ばらいをすると、ふたりはぎくりと肩を震わせ、あ、会長、どもっす、とぎこちないあいさつをし、そそくさと出ていってしまいました。


 目的は果たされましたが、そんなに怯えなくてもいいのに、と若干の切なさを感じます。小言のうるさい教師のような扱いは、正直、心外でした。


「会長こえー」

「なんか機嫌悪くなかった?」

「彼氏とうまく行ってないんじゃね?」


 廊下の外ではそんな失礼千万なやり取りが交わされていました。聞こえていますよ、と戸口から顔を出したくなりますが、節度、節度と心の中で繰り返して、どうにかそれを抑え込みます。


 任期はあとわずかとはいえ、生徒会長の立場にある人間が、むやみに周囲へ圧力をかけるような言動は控えるべきです。そうした態度がどういった結末を迎えるのかは、連日、テレビの中の反面教師たちが教えてくれていますから。


 幸いにしてサンドバッグ……、ではなく、不満のはけ口……、でもなく、そう、悩みを聞いてくれる当てはあるのです。少し我慢すればいいだけですから。


 口元が緩むのを感じつつ、ふたたび赤本をめくります。


 やがて、足音が近づいてきて、引き戸が遠慮のない勢いで開かれました。


「おお、繭墨。受験勉強の方は捗っているか」


 入ってきたのは進路指導担当の堂上先生です。


「はい、先日の模試でも判定は維持できています」

「そうか、それはよかった」


 先生は満足げにうなずくと、部屋の端にある教職員用のデスクに腰を下ろしました。何か作業を始める前に、こちらから告げることにします。


「先日、アドバイスをうかがった件について、わたしなりに考えてみました」

「アドバイス?」

「確実性を取るならば、もっと勉強に集中できる環境づくりが必要である。今の楽しさを優先したい気持ちは理解するが、時間の使い方には後悔のないように、というお話です」

「ああ、生徒会室での話だな」


 四月の頭の呼び出しのあと、鏡一朗さんはしばらく、険しい表情をすることが増えていました。ですが、先日の話を聞く限りでは、堂上先生に言われたことなど、もうすっかり吹っ切っている様子でした。


 しかし、わたしは〝攻撃〟されたことはなかなか忘れられません。


「考えて、どうなった?」

「別にいいかな、と」


 投げやりにも聞こえるであろう〝軽い〟返答に、先生は目を丸くしました。


 堂上先生は、ご自身のお言葉やご指導に自信がおありなのでしょう。生徒の成功は自分のアドバイスのおかげであり、生徒の失敗は自分のアドバイスを聞かなかったからだと、そういう風に考えているのではないでしょうか。


 それは結果論の良いとこ取りです。ご自身の言葉に酔っぱらってくだ・・を巻くのはけっこうですが、そんなものがわたしたちに影響を与えたなどと思われるのは、少々、気持ちの悪いこと。


 あなたのアドバイスは、わたしたちの将来とは無関係であるということを、はっきり宣言しておきたかったのです。


「わたしたちの成功も、……そして、失敗も、それは自分たちで選んだ道、自分たちの責任です。気持ちは定まりました。これ以上、先生のお手を煩わせては申し訳ないです」


 わたしは両手をそろえてゆっくりとお辞儀をします。

 顔を上げるときは、完ぺきな笑顔で決めて。


「堂上先生のご経験は、他の、まだ道を決め切れていない生徒たちに対して、使ってあげてください」


 相手の反応を見ることなく、わたしは踵を返して、進路指導室を出ていきます。

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