第152話 のんびり行くことに決めたから

 焚き火のポイントから川縁に沿って下流へと下っていく。

 百代は珍しく無口だったが、それで間が持たなくなることはなかった。自然というのは案外に騒々しいもので、流れの早い川の水音、どこからともなく野鳥の鳴き声、山の上からは波音めいた葉鳴りの音など、そこかしこから音が聞こえてくる。


「お肉おいしかったね、進藤君も来ればよかったのに」


 百代が小石を川へ蹴り飛ばしながら言った。


 今回の日帰りキャンプには、一応、直路も誘ってみたのだ。しかし、この時期の野球部はやはり多忙だった。強豪校にしか許されない県外遠征まで組まれているらしい。あっちはあっちで、ある意味キャンプといえる。


「あいつは県予選に向けて練習漬けだろうしね」


 残念がっている口調でそう答えてみたものの、僕としては直路が来なかったことに、少しホッとしているのも事実だ。


 もしあの場にあいつまで揃っていたら、と想像してみる。

 百代を振った男子が二人に、百代を好きな男子が二人という、修羅場とは言えないまでも、なんだか精神的にむにゃむにゃする、混沌とした状況になっていただろう。


 ……すごいな百代。大学行ったら無自覚にサークルクラッシュしちゃうんじゃないか、と行く末を案じつつその横顔を見やる。


 百代はまた黙り込んでいた。


 視線を落としてとぼとぼと歩きつつ、こちらをうかがうような雰囲気を醸し出している。話したいことがあるが言い出せないのだろう。それがなんなのか察しはついているが、こちらから聞き出すことはしない。できない。僕にできるのは待つことだけだ。


 数分ほど歩いただろうか、ふと百代が立ち止まり、川面の方を向いた。


「赤木君ってあたしのこと、好き……、なんだよね」

「割とわかりやすいよね」

「あと、明君も」

「ホワイトデーのあれは、ほとんど告白だったよ」

「モテモテじゃん、あたし」


 百代はまた小石を蹴って川面に落とした。波紋はすぐに押し流されてかき消えて、ぽちゃん、と水音だけが返ってくる。


「どうするの」

「どうもしない!」


 カラっとした笑顔でそう宣言すると、百代は両指を絡めて腕を前に突き出し、それを上へ伸ばして背伸びをした。んっ、と吐息をこぼす。その姿勢はどうしても胸が強調されるので、僕はモテモテの百代からそっと目を逸らした。


「少なくとも、あっちが告白とか、そういうのをしてこない限りは」

「態度を明らかにしてこない限りはってこと?」

「うん。……キョウ君もそうだったでしょ?」

「……だね」


 僕は短く応じる。

 異性から好意を向けられていることに気づいたとして、こちらがやれることは多くない。自分のことが好きなのか? なんて問い詰めるなどありえないし、仮にそれが勘違いだったら恥ずかしいにもほどがある。はっきり告白されない限りは、なあなあ・・・・の関係を続けてしまうのではないだろうか。特に、恋愛に不慣れな人間ならなおさらだ。


 僕にはそうやって、曖昧な態度で先延ばしにしてしまった実績がある。


「あっ、別に責めてるわけじゃなくて」


 沈んだ気持ちが表に出てしまったのか、百代が慌てて言葉をつなぐ。


「なんていうか……、あのときのキョウ君の気持ちが、やっとホントの意味で理解できたっていうか」


「それは……、百代にも好きな人ができたってこと?」

「え? あ、そこまでは行ってないんだけど……」


 百代は手と首を振って大げさに否定する。


「あの二人が嫌いなわけじゃなくて。赤木君とは友達としてなら仲良くやれてると思うし、明君だって、見てるとなんかつい構っちゃいたくなるし……」


「でも付き合いたいかというと、ちょっと違うと」


「キョウ君とヒメが好き合ってるみたいな……、なんだろ、深い仲? そこまでの境地には達してないかなって」


「別に僕らを基準にしなくてもいいと思うけど」


「だよねぇ、キョウ君とヒメの付き合いってちょっと異常だもんね」


「異常!?」


 言葉の選択にショックを受けて、思わず大きな声を出してしまう。もう少し、こう……、特殊とか特別とか、違った言い方があるんじゃないでしょうか。


「話を聞いてると、ときどき重すぎて、うわぁ、ってなっちゃうときがあるもん」


 絶句してしまった。返事ができない。

 話を聞いてるとってどういうこと。乙姫がしゃべっちゃってんの? 僕たちの付き合いの、赤裸々なアレコレを? で、それを聞いた百代はうわぁってなってるの? そんなの僕の方がうわぁだよ。ちょっと勘弁してほしい。うわぁ。語彙が死にそう。


「どしたの、急にしゃがみこんで」

「心のダメージが身体に来てる」

「ふぅん」


 百代はどうでもよさそうにつぶやくと、三度小石を蹴り飛ばした。それは今まででいちばん綺麗な放物線を描いた。


「というわけで、あたしの恋路はもう少し、のんびり行くことに決めたから」

「そっか」


 僕は立ち上がってうなずいた。

 赤木には悪いが、そういうことならこれ以上の干渉はするまい。


 百代は赤木を嫌っているわけではない。むしろかなり近い位置にいるのだから、もう少し時間をかけた方がいいのかもしれない。


 友達は恋人にはなれないという話もあるが、友情から愛情に発展するという話もあるし、あとはもう時の運ということで。


「っていうか、あたしのことより、そっちは大丈夫なの?」

「僕らのこと?」

「最近ちょっと疎遠だったでしょ。このキャンプも半分はヒメとの仲直りを狙ってたんじゃないの?」

「確かに、まあ、ちょっと僕の都合で会う機会を減らしてたけど……、でも今日は普通に話せたし、思ってたほど距離は感じなかったかな」


 それは僕の中でひとつの答が出ているからなのかもしれない。


「距離っていえば、ヒメってキョウ君に対してずっと敬語だよね。でも明君には使ってないし。恋人になってまでそれってどうなの? ……あ、もしかして」


 百代は清純を売りにしているアイドルに同棲疑惑を問いただす芸能リポーターのような、歪んだ笑みを浮かべる。


「2人きりのときは違ってたりするの?」

「いや、ずっと敬語」

「またまたぁ」

「本当だって。それに、乙姫ってときどき、本当にごくたまにだけど、敬語じゃなくなる瞬間があって、そういうときって本当に焦ってるんだってわかって、余裕のないところがかわいいと思うし、流れ星を見つけたみたいに幸せな気分になるし」

「うわぁ……」


 歪んだ笑みのまま百代がつぶやく。


「うわぁって何」

「お腹いっぱいってこと」

「大丈夫? 餅の食べ過ぎじゃない?」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 焚き火のポイントまで戻ると、赤木と明君、そして乙姫から、三者三様の視線を向けられた。


 赤木はこちらの顔色をうかがうように。

 明君はこちらへ挑みかかるように。

 乙姫はこちらを試すように。


「お待たせ! あ、すごい片付いてる。赤木君がやってくれたの?」


 そんな面倒な沈黙を、百代があっさり打ち破る。空気を読まないのではない。しっかり読んだその上で、あえて読まないふりをして、あっけらかんと打ち破るのだ。


 赤木がそれに乗っかって、あれこれと知識を披露している。水で火を消すのは当たり前、焚き火の痕跡すら残さないように灰まで持って帰るのがエチケットだとかなんとか。


「ふーん、いろいろ気を遣ってるんだ……。おっ、明君、ちょー荷物持ってくれてる。ありがとね!」


 と今度は明君に向かって満面の笑顔。明君はそっぽを向いて、別にこれくらい、たいしたことないっす、とひねくれ少年な態度を見せる。


 そんなやり取りを横目に、僕と乙姫は視線を交わす。


 しょうがないですね、と。

 すべてを理解しているかのような、苦笑いを浮かべていた。

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