第151話 焼肉には個性が現れる


 木炭と木の枝と着火剤を組み合わせ、軽く風を送って種火を大きくしていく。点けてもすぐ消える火に悪戦苦闘すること十数分、ようやく焚き火が安定した。


 しかし、料理にこの焚き火は使わない。火力の調整が難しい上に、火の粉が飛んで食材を汚すこともあるからだ。


 赤熱した木炭を、底深の鍋のような入れ物へ移していく。素材は違うが七輪のようなものだ。その上に金網を置けば準備は完了。あとは食材を並べるだけ。


 本日のメニューはアウトドア料理の定番である焼肉だった。赤木はいろいろな凝った料理を提案していたが、手間がかかる、後始末も面倒、荷物がかさばる、という圧倒的正論に涙を飲んでいた。


 焼肉の最大の利点は、調理が一工程――焼くだけで済むことだ。好き嫌いも気にしなくていいし、味の失敗もない。それに、普段は煙のせいで家の中ではできない調理方法なので、屋外らしさや解放感を感じることもできる。


「肉や煙の臭いが服についてしまいますが、それはある程度、対処可能です」


 乙姫がファ〇リーズをこちらに吹きかける。


「ちょっとやめて、体臭がきつい人みたいな扱いやめて」

「鏡一朗さんは無味無臭っぽいので必要なかったですね」

「確かに存在感が薄いもんな」


 木炭の位置を整えながら笑う赤木許すまじ。


「ヒメもなんとなくそんな感じするよねー、透明感あるっていうか」


 百代の言葉に、そうかしら、と乙姫が首をかしげる。


 ほぼ同時に、透明な風が吹いて乙姫の黒髪をゆらした。その光景は確かに透きとおるような清涼感がある。見た目だけは涼やかな彼女の本性はしかし、そんな穏やかなものではない。無味無臭で無色透明。吸い込んだだけで意識を失ってしまう劇薬にはよくある特徴だ。


「何か失礼なことを考えていますね」

「そろそろ肉を並べようか」


 僕はクーラーボックスを開いてトレーに入った肉を取り出す。質より量のファミリー焼肉セット980円から、グラムでその半額近い高級和牛――ただし一人ひと口分――まで取り揃えている。


「あっ、ヒメー、あたしもファブ〇ーズお願い」


 百代が立ち上がって両腕を広げる。身体の前面への噴霧が終わると、半回転して背中側も。


「ありがと。あ、そうだ、赤木君もやる?」

「お、おう、よろしく……」

「よろしくじゃなくてほら立って、はい前~、次うしろ~、回れ右して~」


 百代はファブ〇ーズを受け取ると、シュッシュシュッシュと赤木に吹きつける。真新しい制服を着た子供と、その身の回りを整えている母親のような感じだった。


 しかし赤木は子供ではないし、百代も母親ではない。やめろよ母ちゃん、子ども扱いすんなよ、と振り払うこともできず、赤木はカカシのようにされるがままだった。まんざらでもなさそうだった。


「はいオッケー……、あ、明君戻ってきた。おーい」


 赤木だけでは飽き足らず、百代はファブ〇ーズを持ったまま明君に駆け寄っていく。そして拳銃を構えるみたいに霧吹きの銃口を向けるが、明君はそのノリについていけず困惑している様子だった。


「想像以上に仲がいいな……」


 百代と明君のやり取りを見ながら、赤木がぽつりとつぶやいた。


「そう? 百代って大体誰にでもあんな感じだと思うけど」


「そうですね」と乙姫が同意する。「あと、明だけが年下で少し居づらさを感じているのを察して、積極的に話しかけているんですよ。ヨーコはそういう気遣いが自然にできる子ですから」


「まあわかっちゃいるけどな……」


「男の嫉妬ってどう思いますか繭墨さん」


 僕は乙姫にエアマイクを向ける。


「そうですね、基本的には見苦しいものですが、自分のことで気を揉んでくれていると思うと、ほほえましくも感じますね」

「はいどうも悪魔的な返答をありがとうございます」

「小が抜けていますよ」


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 準備が完了すると、5人で網を囲んで焼肉タイムとなる。


 焼肉には個性が現れる。食の好みやその食べ方はもちろん、一つの網の上で食べ物を共有しているが故に、周囲への気遣いも重要なファクターとなる。自分で焼いた肉は絶対に渡さないという独善的な者がいれば、逆に肉の追加に気を取られて自分の食事がおろそかになってしまうお人好しもいるだろう。各個人のデータだけではなく、場の人間関係も見えてくる。下手なアンケートよりもよほど多くの個人情報が、知らぬ間につまびらかにされる灼熱の小宇宙。それが焼肉なのだ。


 例えば乙姫は肉をよく食べる。それもロースやカルビなどの定番的なものではなく、ハラミやミノといったホルモン系を好んで食していた。普通のスーパーではあまり見かけないラインナップは、精肉店で購入しましたとのこと。予想外のこだわりを垣間見た。そして、ほかの肉や野菜の補充は一切しない。ひたすらに臓物を焼いていた。ほかのメンバーはホルモン系にはあまり触れたがらない。そのため、自分で焼いて自分で食べるという、乙姫のところだけが一人焼き肉の様相を呈していた。もしかして、一人焼き肉によく行っているのだろうか。聞きたいけど聞くのが怖い。


 逆に百代は、王道のロースやカルビ、豚トロなど、万人が好む肉ばかりを食べていた。が、それ以上に、網の世話に甲斐甲斐しく動く姿が印象的だった。焼けた肉を明君の皿に放り込み、消し炭のようになった玉ねぎを赤木の皿に放り込み、その合間に自分が目をつけていた肉を口に放り込むことも忘れない。表情の変化が目まぐるしく、程よい焼け具合の肉を食べては目を輝かせ、焦げた肉を見つけては顔を曇らせていた。そして口元に肉片がくっついていた。


 明君はなんというか普通だった。大人しいと言ってもいい。肉も野菜もほどほどに食べ、空いたスペースには新たな肉をそっと置いていた。片面が焼けるときちんと裏返して、全体に目を配っている。そんなだから世話焼き状態の百代になんでもかんでも放り込まれるのだろう。


 赤木の食べ方もバランス型だったが、高級肉に塩コショウやニンニクを使って味付けを試みているのが玄人アピールのようで鼻についた。素材そのものの味を活かすんだよ……、などと知った風な口を利く割に、一番うまそうに食べていたのは味付け不要のフランクフルトだった。




「いつもは室内でやっていることを青空の下でやるのって、それだけで新鮮ですね」


 焼き肉が終われば、そのあとはもちろんコーヒーブレイクである。


 乙姫はエスプレッソ用ポットを取り出し、金網の上でお湯を沸かし始める。コーヒーを特殊な状況で淹れられることがうれしいらしく、乙姫は珍しくはっきりと笑顔を浮かべていた。しかし、その苦さをよく知る百代と明君は、対照的に顔をしかめている。


「そんなことよりマシュマロ焼こうぜ!」


 赤木が袋入りお徳用マシュマロを取り出すと、


「あたしはお餅を焼くよ!」


 と百代も負けじと丸餅を取り出した。

 お餅?

 たらふく肉を食ったあとで、さらに炭水化物を? シメっていうレベルじゃないぞ……。


 ほかのみんなも同様の衝撃を受けたのだろう、金網の上に碁石のごとく並べられていく白い餅に、視線が釘付けになる。


「……ヨーコ、まだ食べるの?」

「これはあんこ入りだから、スイーツみたいなもの。和スイーツだよ。別腹なの」

「そう、なら仕方ないわね」


 全員の疑問を代弁した乙姫もあっさり引き下がってしまう。別腹なら仕方ない。


「豪快に餅食ってる女子の横で、ちまちまマシュマロ食ってる俺って……」


 呆然と赤木がつぶやく。その横顔からは自信が失われていた。


 今日の赤木は荷物運びからチェアやテーブルの設営、火おこしにその番まで、いくつもの役割を果たしてきた。それらの働きによってワイルド(笑)な男としての自信が芽生えてきたところだったろうに、百代の食欲はそれをあっさりと摘み取ってしまったのだ。


 まあ、これは百代が悪いというより赤木が弱いだけなんだけど。


「ふぁ~、お腹いっぱい」


 ひとりの男のプライドが砕け散っていることなどつゆ知らず、百代はへその辺りをさすっている。チェアにもたれて思い切り手足を伸ばし、んーっ、と気持ちよさそうな声を出したあとで、よしっ、と気合を入れるような声とともに立ち上がる。


 それから、聞き捨てならないことを言った。


「ねえヒメ、ちょっとだけキョウ君借りるね」

「いいわよ」

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