第140話 わたしたちの指輪物語 下


 禁煙ゾーンのボックス席に向かい合って腰かけると、コートを脱いだ乙姫の胸元に目が行った。これは決して性的な視線ではなくて、彼女が珍しくネックレスをかけていたからだ。黒のセーターに映えるシルバーのチェーンに、指輪を通したタイプのネックレスヘッド。指輪は今の僕にとって一番ホットなマストアイテム。どんな情報でもすぐさまゲットしたいわけで、アンテナは常に高く伸ばしているのだ。


「そういうネックレスって、リングは外せたりするの?」


 お冷を飲みながら自然な問いかけ。乙姫はリングをつまんで、


「これですか? 試したことはなかったですね……」


 そう言いながら首の後ろに両手を回し、チェーンを外してテーブルに置いた。外したリングを二つ指でつまみ、いろいろな角度から眺めたあと、おもむろに左手の薬指にはめる。装着感を確かめているのか、手を握ったり閉じたりして、


「ピッタリですね」


 とどうでもよさそうに言ってから、すぐにリングを外してネックレスに戻した。再び首につけるのが面倒なのか、ネックレスはコートの上に放置している。


 まさかこんなにあっさりと、欲してたデータが転がり出てくるとは思わなかった。あとはどうにかしてあの指輪を入手するだけだ。しかし、どうすればあれを自然に手に取ることができるだろうか。サイズを計ろうとつついていたら、また暴言を吐かれかねない。キモいはないよな、キモいは……。2度目はちょっと耐え切れないと思う。


「鏡一朗さん? 注文はどうしますか」

「え? ああ、どうしようか、ファミレスとか久しぶりだから目移りする」

「わたしは和風ハンバーグトリプルミックスチーズミラノ風、Bセットをプラスで」

「何それ和風なのミラノ風なのどっちなの?」

「和洋折衷という便利な言葉があります」

「折衷っていうか節操なし感がすごいけど」

「会話のネタにされた時点で、この名づけの目的は果たされていますね。……少し席を外しますので、決まったら一緒に注文しておいてください」


 乙姫はそっと席を立った。どうせ花摘みだろう。となると数分はかかるはずだ。

 僕は乙姫の姿がお手洗いへと消えたのを確認してから、置きっぱなしのネックレスに手を伸ばした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 お手洗いに用はないのですが、少しの間、席を外す必要がありました。

 洗面台の鏡を見ながら、胸元にないネックレスのことを考えます――




 バレンタイン当日の気まずい別れのあと、学校では表面上、ぎこちなさを取り繕うことはできています。しかし、あれから二人きりの状況になることは、意図的に避けてきました。


 ちょうど生徒会活動が忙しい時期ですので、それを言い訳にすれば鏡一朗さんは何も言えません。ですが、あちらはあちらで下校時刻になると、遊びの誘いを断ってさっさと帰宅している様子。


 学校では表面的なやりとりに終始し、放課後は一緒の時間が作れない。そんな現状に不満はないのでしょうか。彼が何をしているのかが気になって、わたしは今日、早めに下校をしました。もちろん生徒会業務を放り出してはいません。授業中に内職をして全て片付けた上でのことです。


 案の定、鏡一朗さんはアルバイトの時間を増やしていました。苦手なはずの作り笑いもそれなりに様になって、実に勤労少年しています。


「声をかけていかないのかい?」


 こちらに気づいた副店長さんに問われましたが、わたしは小さく首を振って、


「こういうのって、男子は見られたくないものですよね」

「ああ、君はよくわかっているね」

「男の子なんて単純明快ですから」

「その様子だと、阿山君の目的にも、目星がついている感じかな」

「実はさり気なく要求してたんです。メッセージが届いているみたいで何よりです」

「おねだり、ではなく?」

「はい。要求です」

「君はなんというか、北風のような女の子だね」

「どういう意味ですか」

「北風がバイキングを作った、ということわざ・・・・がある」

「北欧の海賊のことですね」

「そう。北極圏の厳しい環境があったからこそ、筋骨たくましいバイキングが育まれたという話さ。彼はきちんと成長しているよ」


 副店長さんは徐々に奇妙なことを言い残して立ち去りました。


 こちらのメッセージは届いています。それは間違いありません。しかし、彼のプレゼントがわたしの想定どおりのものなら、おそらく、ある情報が足りずに早晩つまずいてしまうことでしょう。


 それなら、こちらのやることは決まっています。鏡一朗さんの企てが上手くいくように、影ながら助力すること。そして、サプライズにきれいに騙されてあげることです。すべてはわたしたちの指輪物語のために。


 いちど帰宅してから、装飾品を身に着けていても違和感がないよう私服に着替え、アルバイト先のスーパーへ戻ってきました。そして、裏口で寒さにふるえながら彼を待ち続けます――。




 ――スマートフォンが鳴動して、手持ち無沙汰な10分が過ぎたことを教えてくれます。ファミレスまでの道中、あんなに必死になっていたのに比べたら、無防備なネックレスを手に取ることくらい、訳ないですよね。


 ここまで健気にお膳立てをするわたしのことを北風だなんて、有り得ない喩えです。鏡一朗さんはもちろん否定してくれるでしょう。……くれますよね?


 心の中で呼びかけながら、化粧室から出ていきます。

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