第138話 態度の変化は意識の変化


 バレンタイン翌日の学校。

 目の前の席に赤木が座って、何やら熱心に語っていた。


「人はみな平等だと大人は言うよな」

「そうだね」

「だが、その実、この世界には間違いなく格差が存在している。社会を歪めて争いを引き起こす、人という種のサガが」

「そうだね」

「持つ者と持たざる者、と言い換えてもいい」

「そうだね」

「いや……、今はむしろ、貰える者と貰えざる者か」

「そうだね」

「あのう、阿山さん、もう少し興味を持っていただけると……」


 赤木の声が弱々しくなる。


「百代からチョコを貰ったことがうれしいのなら、素直にそう言えばいいんだよ」

「お、俺ぁ別にそんなことでいちいち浮かれたりしないって、いやマジで」

「そうだね」


 と適当に応じる。昨日、百代は僕と赤木と、あと直路にもチョコレートを配布していた。サイズや包装紙から見るに、中身は横並びで格差はない。あくまでも友達に渡す義理チョコだったのだろう。


 チョコブラウニーっていうんだよ、ととても自慢げに語っていた。

 手づくりってポイント高いでしょ、とも。


「ライバルは多いと思うけど頑張って」

「……そうだな」


 赤木はニヤケていた表情を引き締める。


 百代本人はたぶん自覚していないだろうけど、彼女は男子に人気がある。狙っているというほどの積極性はなくても、いいなと思っている男子は結構いるはずだ。


 ただ、ライバルと言ったのは学内の男子ではない。

 赤木はまだ知らないのだ。繭墨明という刺客の存在を。


 一応、警告をしておこうかとこちらが口を開くより先に、赤木が椅子を動かして接近し、肩に腕を回して絡んでくる。


「んなことより、お前はどうだったんだよ。昨日はお楽しみだったんじゃないのか? 連れ立って見せつけるように下校しやがって」


 昨日のことを思い出させられると、一瞬で気分が沈んでしまう。藁をもつかむ、というのは今の心境のことだろう。僕は愚かにも赤木に相談をしていた。


「……逃げられたぁ!?」

「声がデカい!」


 注意したところで音の波を止めることはできない。


「え、逃げられたって何」「阿山が? 会長に?」「どうせバレンタインにかこつけて妙なことしたんでしょ」「これだから盛りのついたオスは」「チャンスじゃね?」「ざまあ」


などと教室内にざわめきが広がる。やめて。


「逃げられたっていうか、避けられたっていうか」

「やっぱ妙なことをしたんだろ」

「いや、理由が本当にわからないんだよ」


 近づいたと思えば遠ざかる。わかったつもりになっていてもすぐにわからなくなる。乙姫との付き合いはそれの繰り返しだ。……妙なことをしようとしたのは間違いないんだけど。


 そんな話をしていると、ガラリと戸が開き、クラスは一瞬で静まり返った。

 繭墨乙姫のお成りである。


 彼女はいつものように教室内を悠々と横切っていく。途中で僕の席に近づくと、

「おはようございます」と笑顔であいさつをし、そのまま自分の席へと向かった。


「いつもと変わらないぞ、むしろ上機嫌に見えるが」

「繭墨の外面は鉄壁だから」


 あんなに動揺して逃げ帰った翌日に、こんな普段どおりの態度をとっていることが、もう明らかに異常なのだ。そうとう頑なになっていらっしゃる。


「ここはもうパイセンに聞くしかねえな」


 赤木がわけのわからないことを言う。


「パイセンて誰」

「おーい進藤パイセーン、ちょっと来てくださいよぉ」

「ん、どうした赤木」


 先輩パイセン呼ばわりをスルーして直路がやってくる。


「朝から精が出るね」


 と僕は声をかけた。直路は朝練を終えたばかりらしく、冬場なのにうっすら額に汗が残っていた。


「ああ、昨日は余計なカロリーを摂ったからな、消費しねえと」

「さすがパイセン、サラッとバレンタイン自慢っすか」


「で、どうしたんだ」赤木の謎キャラをサラッと流す直路。


「こいつの話、聞いてやってくださいよ」

「いや、いいよ、聞かなくていいから」


 やんわり断ったが、赤木は余計な気を利かせて、直路にコトの成り行きを耳打ちしてしまう。


「そうか……」


 直路は事情を理解したのか、生温かい視線をこちらに向けてくる。その達観したようなノリに若干イラッときたが、しかし、その意見には傾聴の価値があった。


 前後がわからないからはっきりしたことは言えないが、と前置きして、


「態度の変化は意識の変化だってことだ」

「というと」


「野球でもそうだが、大きい当たりを狙ってたバッターが、急にバントに切り替えたりしたら、すぐに気づくだろ」


「そうだね」と僕。

「そうなのか?」と赤木。

「うん、バントを狙うときは内野の守備位置とか、あとベンチのサインを気にして、動きがせわしなくなることが多いからね」


「それだ。何かのサインがあって、繭墨の意識が変わったから、お前への態度もおかしくなったんだろう。要するに、警戒された」


「警戒、ねえ」


「言い換えると、強打者、あるいはエース級のピッチャーとして見られるようになった、ってことじゃないのか」


「強打者?」と僕。

「エースピッチャー?」と赤木。


「つまり、男扱いだよ」


 直路に断言されて、少し鳥肌が立った。


 乙姫にとって僕はずっと草食系男子だった。それが彼女の中でいつの間にか狼に格上げされていて、だからあんな風に動揺したのだろうか。男扱い。うれしいと言えばうれしいが、ああまで激しく避けられるのなら、それも善し悪しだ。


 それに、肝心のきっかけ――サインの正体は、わからずじまいだ。


「あの繭墨が男扱いとか、なんかエロいな」


 不届きなことを言う赤木はとりあえず腹パンしておいた。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


「3月いっぱいまで、勤務時間を増やせませんか」


 アルバイトの休憩中、僕は副店長の長谷川さんにそう切り出した。


「ああ、ちょうど就職や進学で人の入れ替わりが激しくなる時期だから、ありがたい申し出ではあるが。一応、理由を聞いてもいいかな」


「単純にお金が欲しいだけです」

「……プレゼントを奮発したいから?」

「はい、まあ、そういう感じです」


 正直に答えると、長谷川さんは笑顔でうなずいた。


「そうかそうか、前向きな理由ならばけっこう。休日前は夜間に入るかい? 時間給が少しアップするけど」


「あ、はい、助かります、それでお願いします」


 こちらの頼み以上の条件を出してくれる長谷川さんには感謝しかない。

 ひとつめの問題は、これでクリア。


「――それと、これは仕事とは関係ない相談なんですけど」

「ん? 何かな」

「ネックレスよりも上のランクのプレゼントと言ったら、何が思い浮かびますか」


 突拍子のない質問だ。

 長谷川さんは目をしばたき、こちらをまじまじと見ながら、


「……それは、アクセサリの縛りで?」

「まあ、はい……」

「ふぅん……、あくまで個人的な序列としては、ブレスレット、イヤリング、ネックレスときて、最上級は、指輪ということになるのかな」

「ですよね、やっぱり」

「ああ、贈られた相手が受けるであろう、インパクトの強さを考えるとね」

「ですよね」


 と僕は繰り返す。

 乙姫の変化の引き金になったサインはわからない。だが、もう一方――バレンタインチョコに込められたサインの方は理解しているつもりだ。


 ザッハトルテの出来について、乙姫は千都世さんのそれとの比較を求めていた。ホワイトデーのお返しにも、同じことを要求しているに違いない。


 そして、ネックレスよりもランクが上の贈り物となれば指輪しかない。

 ……ないのか? 本当に?


 さすがにちょっと、それは、意識しすぎというか、先走りすぎというか、重すぎなんじゃないだろうか。


 どう思いますか、と顔を上げたがすでに副店長の姿はなく、店内放送の有線の曲がいつのまにか『結婚しようよ』に切り替わっていた。髪の長いシンガーソングライターが、悠長なリズムで結婚の約束の歌を歌っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る