2年次3学期

第134話 バレンタイン戦線

「もうすぐバレンタインですね」


 休み時間の教室で、僕の席に近づいてきた乙姫が唐突にそんなことを口にした。


 草木も凍える2月の第一週。確かにそろそろ、この手の話題で持ちきりになる時期ではある。しかし、それは主に男子同士、あるいは女子同士――どちらにしても同性間で語られることが多いものだ。


 いったいいくつのチョコをもらえるのか。義理に本命、気安い女子からお堅そうな女子まで、可能性のある相手の目星をつけて皮算用をしている男子たち。


 渡す相手は誰なのか。それは手作りなのか既製品なのか。義理に本命、友チョコもあるよと、互いの恋愛どころか友情までけん制し合う女子たち。


 情報を制する者は戦いを制す。

 バレンタイン戦線はすでに始まっているのだ。


 そんな中にあって、女子の方から男子にバレンタインの話題を振るのは、比較的めずらしいことではないだろうか。もっとも、繭墨乙姫という女の子がその手の常識をあまり気にしないのは、今に始まったことではないが。


「来週だね」


 僕は当たり障りのない返事をする。


「そんなに警戒しないでください。ヨーコのことなんですが」


 乙姫は共通の友人の名前を出しつつ、空席になっている隣の椅子に腰かけた。


「百代がどうしたの」

「今、ヨーコと一番距離の近い異性は誰だと思いますか。もちろん鏡一朗さんは除いてですが」

「じゃあたぶん……、赤木じゃないの」


 僕は少し考えて、友人の名前を出した。百代は誰とでも気さくに話すタイプで友達も多い。そのため、あくまでも僕の知る範囲で、という注釈はつくが。


「そうですよね」


 と同意する乙姫に問いかける。


「それとバレンタインがどう関係あるの」


 乙姫は人指し指で頬をなぞり、わずかに首を傾ける。


「今のうちから二人の距離を少しでも縮めることができれば、本番での盛り上がりも期待できますよね。あくまで、軽くセッティングをする程度に留めるつもりですが」


 やっぱりか、と内心でため息をつく。

 二人をくっつけるために、乙姫は裏で行動を起こすつもりなのだろう。僕としては、人の気持ちを誘導するようなことがあまり好きではない。


 ただ、赤木は百代が少しばかり気を許している異性ではある。それに、百代に好きな人ができるというのなら、それは僕たちにとってうれしいことだ。


 僕と乙姫は、百代曜子に借りがある。負い目と言ってもいい。


 僕には百代の告白を断ってしまった負い目が。

 乙姫には友達の想い人を奪ってしまった負い目が。


 幸せになってほしいだなんて、おこがましい考えなんだろう。だけど、バレンタインという露骨なイベントがそのきっかけになるのなら。ほんの少し、場のセッティングをする行為は、友達想いの範疇から外れてはいないはずだ。


「罪悪感から逃れたいがための、自己満足かもしれませんが」


 案の定、僕と同じようなことを考えていたらしい乙姫が、うつむき気味にそんなことをつぶやく。


「またそんなネガティブなことを言って」


「慎重なだけです」


「外野が感情まで操作できるわけじゃないしさ、きっかけ作り程度だよ」


「そうですね、何がきっかけで好意を持ったり付き合い始めたりするかはわかりませんから。わたしたちも去年の今ごろは全くの赤の他人でした」


 顔を上げた恋人のセリフに、今度はこっちが落ち込んでしまう。


「え、赤の他人? ……そう? 友達ですらなかった?」


「友達の友達、くらいでしょうか」


 そう言いながら首をかしげる乙姫。


「そんな薄っぺらだったのか……、あのときに知らなくてよかった」


 もし乙姫が僕のことを友達の友達――すなわちほぼ赤の他人ほどにしか思っていないとわかっていたら、僕はもう少し、彼女と距離を置いていたかもしれない。


「ちなみに鏡一朗さんはどうだったんですか? その言い方だと、少なくとも当時からわたしのことを友達以上に意識していたかのように聞こえますが」


「クリスマスパーティを一緒にやったり、バレンタインにチョコをもらったりしたら、勘違いしてしまうんだよ男子って生き物は」


 こちらのひねた答えを聞いて、乙姫は満足げに薄笑いを浮かべる。どちらがより相手を意識していたかで優越を感じるだなんて、相変わらずのマウント取りたがり系女子である。


「では、ヨーコと赤木君の距離を縮めるための手段ですが」


「あまり露骨なのはバレるし、うっとうしがられる」


「それとなく誘導するような状況づくりですね」


「そうそう、乙姫が得意なやつだよ」


 乙姫は刃物のようにすらりと形の良い眉をピクリと微動させる。


「……コミュニケーションを円滑にするには、共通の話題を持つことが有効であるとされていますね」


「共通の話題ねえ、百代の趣味って音楽くらいしか知らないけど」


「ヨーコはウインドウショッピングが好きですよ。わたしもよく付き合わされます。服装も年齢相応に華やかでセンスもいいですし、私服は季節ごとに買い替えていますし。あと、買い物と一緒に話題の映画などはよく見に行きますね」


 乙姫はすらすらと百代の私生活を語っていく。


「ホント超仲いいよねふたり……」少し妬けてしまうレベル。


「では、赤木君の趣味は?」


「サブカル的なやつ……、特にアニメかな。普段は隠してるけど、わかる相手と察したら、ネットスラングもどしどし使ってくる」


「やはり、それですね」


 乙姫の眼鏡が光ったような気がした。


「何が」


「相反する性質のキャラクターが、互いの特徴をぶつけあってストーリーを盛り上げていく、というのは物語の定番でしょう」


「確かに。トムとジェリー、ホームズとワトソン、タカとユージ……」


「ことごとく古典ですね」


「それくらい一般的だと言いたかったんだよ」


「もう少し現代的なものを期待したんですが」


 現代的という単語と、そして話題に上っている百代と赤木、2人の個性を考えると、出てくるキャラ付けはおのずと明らかになる。


「――ああ、ギャルとオタク、か」

「イエス」


 乙姫は手をピストルの形にして、人指し指の銃口をこちらに向ける。何そのアクション。ハードボイルドにはまるで足りない、背伸びしたようなキャラ付けにどう反応すればいいのか迷ったが、ここはスルーを選択しておこう。


「サブカルに興味を持ったギャルがオタクに接近していく、という物語の始まりを演出するわけ?」


「ギャルが不得意な勉強を教わろうとするパターンもありますが」


「それはちょっと厳しいな。赤木もそんなに成績良くないから。むしろ最近じゃ百代の方が上位だよ」


「ではやはり、趣味のフィールドで戦ってもらうしかありませんね」


「赤木の側から百代を同じ趣味に染めさせようっての? それはハードルが高いんじゃないかな」


 かといって、逆に百代がオタク趣味に興味を持つように仕向けるとなれば……。


「乙姫がさりげなくゲームやアニメの話題を出したら、百代も興味を持つようになるかもしれない。友達の趣味は気になるものだろ」


「そして、その手の趣味に造詣の深い赤木君を頼る、というわけですか。なるほど、引っ込み思案のオタクにとっては夢のような展開ですね」


 乙姫はなるほどと深くうなずいた。ちょっとやめてほしい。僕も割とそれに近いタイプの人種なので、中学の頃の古傷が疼いてしまう。


「しかし……、ゲームやアニメの話題と言っても、どのレベルのものを振ればいいのでしょうか」


「広く浅くでいいんじゃない、エヴァとかガンダムとか」


「そういえば、百代と百式って字面が似てると思いませんか?」


「浅くないからねその疑問」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 赤木君は自分の席でスマホをぽちぽちいじっていたけど、あたしが近づくと画面を切り替えて顔を上げた。


「どうしたんだ」

「ゲームはいいの?」

「ああ、いつでもできるやつだからな。で、どうしたんだ」

「ん」


 とあたしは返事の代わりにキョウ君の席の方へと視線を向ける。そこではヒメとキョウ君が真剣な顔で向かい合って、なんだか議論ギロンを戦わせているような、実はただベタベタしているだけのような、2人だけの世界を作り上げていた。


「ヒメとキョウ君がイチャつきすぎてて近寄ることもできないからこっちへ流れてきたの」

「……あいつら最近まったく隠さなくなってきたな」

「ほんとそれ」


 生徒会長であるヒメ――繭墨乙姫と、自称凡人のキョウ君――阿山鏡一朗。傍目には釣り合っていないなんて言われることもある二人のお付き合いは、年明け辺りから本格的に他人の入る隙がなくなったみたいに見える。


「どうせ小難しい話で盛り上がってるんだろうな」

「世界情勢とか?」

「前は宇宙の話とかしてたぜ」

「ふぅん……」


 あたしと赤木君はそろって呆れ顔で二人を眺めていた。あたしたちには理解しがたい、お高い話をしているんだろうなあ、とちょっとだけ寂しさを感じながら。

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