第133話 行けるところまで
実家へ向かう列車の中、僕たちの間には、ただひたすらに照れくさい空気が漂っていた。演出過剰はお互い様だった。顔を見合わせては頬を染め、相手の格好つけたセリフや仕草をあげつらって照れ隠しをした。
最寄り駅へ到着しても千都世さんの車は見当たらず、しばらく待ってもやってこなかった。寒さに耐えかねて電話をすると、千都世さんはべろんべろんに酔っぱらっていて、
『はあ? なんであの流れで帰ってきちゃってるんだよ、そこは途中下車してタクシー拾ってアパート直行だろ、草食系ここに極まれりだな、ったく』
とひどい罵倒を浴びてしまった。
「……なんであの流れを知ってるの」
『放送事故だよ』
どうやら乙姫が来る前に千都世さんに連絡を入れようとしたとき、スマホの画面に触れて通話状態になっていて……、つまりは全部筒抜けだったらしい。
代わりに迎えに来てくれた義母さんも、乙姫がいるのを見て目を丸くしていた。
その反応も当然だろう。夏休みの帰省とはわけが違う。年末に恋人を連れて帰るなんて、まるっきり家族ぐるみの付き合いである。
父さんもまた絶句して、ゆっくりしていきなさい、という言葉を絞り出すのがやっとだった。
その日は夜も遅かったし疲れていたし、何より千都世さんが酔いつぶれて眠っていたので静かだった。
問題は翌日である。
朝から居間でひたすら義母さんと千都世さんから質問攻めを受けた。
二人の馴れ初めから、相手の好きなところ・嫌いなところ、関係はどこまで進んでいるのか、エトセトラ、エトセトラ……。
やがて恥ずかしさに耐えかねて、僕たちは家を抜け出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
家を出てしばらく歩いたところで、唐突に乙姫が立ち止まった。
「改めて、あけましておめでとうございます」
「ああ、うん。あけましておめでとうございます、今年もよろしく」
二人して深々とお辞儀をする。
「はい、今後ともよろしくお願いしますね」
「そういう言い方をされると、なんかこう、不束者ですが的な、三つ指をつく的な貞淑さを感じて怖いよ」
「男の人はそういうのが大好きなはずでは? 怖いなんて心外です」
「その貞淑さが見かけどおりならね」
笑い飛ばしてまた歩き出す。
数歩うしろから聞こえる足音が、ざっざっざ、と足早になってすぐ隣に並んだ。そして、ポケットに突っ込んでいた手が引きずり出されて、ひと回り小さな手のひらが重なり、指が絡まる。
思わぬ積極性に身体が硬直するが、それは乙姫の望む反応ではなかったらしい。
「……リアクションが薄いですね」
上目遣いにジトッとした視線を向けてくる。
「そんなことはないよ。内心ドッキドキで心臓バックバクだよ」
「やはり鼻持ちならない余裕を感じますね……」
乙姫はまだ不服そうだった。
どうあっても男心を翻弄したいのだろうか。
「一年の始まりくらい心穏やかに行こうよ……、あ、そういえば秋浩さんはなんて言ってた?」
「今度ウチへ連れてきなさい、だそうです。ちょっと怒っていました」
「そりゃあね、再婚して最初の年の瀬に家族がそろってないんだから……」
駅での一幕を思い返す。
衝動的だったとはいえ、ちょっと申し訳ないことをしてしまった。
「わたしは、ここへ来られてよかったと思っていますよ」
「慰めてくれてる?」
「本心ですよ。ぜひ言いたいことがあったので」
意味深な言い方に、つないでいた手の握りが硬くなる。
「わたしは鏡一朗さんが好きです」
どんな爆弾発言にも耐えられるように身構えていたが、出てきたのはシンプル極まる告白だった。
「今まで面と向かって言ってなかったので、はっきり伝えておきたかったんです」
「それは……、どうも……」
「拍子抜けしたみたいな顔をしないでください」
「ちが、そうじゃなくて……、なんかもっとハードな話かと思ったから。っていうか、それなら昨日でもできたんじゃないの」
「一年の終わりの夜よりも、一年の始まりの朝の方が、こういうことにふさわしいと思ったんです」
「なるほど」
一理あるなとうなずきかけたが、
「大みそかには刹那的な快楽に溺れる猥雑淫靡なイメージがありますが、元日には中長期的な視野を持った前途洋々としたイメージがあります」
「……それたぶん108つの煩悩から来てるんだろうけど、大みそかはむしろ煩悩を清める日だから。濡れ衣だよ。大みそかに謝った方がいいよ」
「やけに煩悩の肩を持ちますね」
あまり煩悩煩悩と連呼しないでほしい。元日だからといって、こちらの煩悩がきれいに祓われているわけではない。むしろかつてないペースで湧き上がっている。
「……ちなみに、中長期的っていうのはどれくらいのスパンをお考えで?」
「行けるところまで、です」
乙姫らしからぬ大雑把な物言いに、思わず吹き出してしまう。
「本当は、死が二人を別つまで、と言えたらいいのですが」
「いいよ、重すぎるよ」
「では3か月ごとに更新しますか?」
「アルバイトの雇用契約みたいなのはちょっと」
「この売り手市場でさえ不採用なんて」
「え、永久就職という手も……」
「ほとんど死語ですよそれ」
僕たちはそんな風に言葉を交わしながら歩いていく。
目を合わさずとも確かに伝わってくる手のひらの熱から、気持ちが通じていることを感じ取りながら。
声のトーンや言葉の選び方や、沈黙の間合いからさえも、僕らは相手の意図や感情を読み取ることができる。ときには当てが外れてしまい、恥ずかしい勘違いや手痛いすれ違いをしてしまうこともあるけれど。
そうやって、同じ方向を向いて歩いていくのだ。
僕たちのような若輩者に、目的地なんて似合わない。
だから今は、行けるところまで。
それに、乙姫と一緒なら。
どこへでも、どこまででも行ける。
そんな根拠のない自信が湧いてくる、一年の始まりだった。
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