第131話 この上ない言い訳


 クリスマスイブはバイト先で照り焼きチキンのパック詰めばかりしていた。


 副店長からの電話は、クリスマスから年末にかけての、バイト時間延長の依頼だった。なんでもパートさんが何人かインフルエンザに罹ってしまい、人手が不足しているのだという。いいですよ、と僕は反射的にOKしていた。


 いつもと違う部署の仕事での長時間労働に疲れ果てて部屋へ戻ると、鍵を差し込む前にドアノブを回して、開いていないか確認してしまう。勝手に合鍵をくすねた彼女が、いつものように忍び込んでいやしないかと期待してしまう。


 しかしドアノブは回らない。

 わかっていたさと強がって、鍵を開けて真っ暗な部屋へ入る。

 ベッドに倒れ込んで最初にやることは、スマホのメッセージのチェックだ。


 乙姫からの連絡はなかった。

 真っ暗な部屋で彼女が待ち伏せしていることもなかった。


 あんな風に突き放しておきながら、僕は心のどこかで期待しているのだ。


 修学旅行のときのように、乙姫が家族を避けて僕の部屋へ逃げ込んでくるのではないかと。もしそうなれば、僕は前言撤回してあっさりと彼女を受け入れていただろう。帰れだなんて言えなかっただろう。歯止めなんて利かなかっただろう。それはあまりにも格好が悪いことだ。


 だから、これでよかったのだ。家族になったばかりなんだから、そちらを優先すべきだ。それが正しいあり方なのだから。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 クリスマスが終わると、その先は年末の買い込み客が増えて、一気に忙しくなる。連日の残業と年末手当のおかげで、バイト代をがっぽり稼ぐことができた。


 通路を歩くことすら困難な混雑っぷりは、時間の感覚を加速させる。家に帰れば疲労でぐったり、風呂に入って眠るだけという、そんな数日間が過ぎて、気がつけばあっという間に12月31日になっていた。


 大みそかはお客様の引きが早い。昼頃までは目の回るような忙しさだったものの、そこから先はだんだんと客足が減ってくる。平日ならばピークのはずの午後6時前後は、閉店まぎわのように閑散としていた。棚の商品もあちこち空っぽになって、それがまた年の瀬のわびしさを感じさせる。


 僕は一足先に上がらせてもらい、世界の終わりのように人のいない商店街を歩いていく。みんな家族でこたつを囲んで、普段より豪華な料理を食べながら、年末特番を見ているのだろうか。


 紅白とか、乙姫は興味なさそうだな、とふと思う。彼女が見るとすればお笑いだろうか、それとも格闘技か。どれもありそうだし、どれもなさそうな気もする。僕は彼女が好むテレビ番組すら知らなかった。


 まだ高校生に過ぎない僕だが、社会人のすれ違いが恋愛ドラマの主題であり続ける理由が、この数日でよくわかった。仕事の忙しさはプライベートな時間を押し流し、溜まりに溜まった疲労感は、連絡を取ることすら億劫にさせる。相手への引け目があればなおさらだ。


 仕事という責務には強い強制力がある。必要とされているのだから裏切るわけにはいかない。給料をもらっているのだからサボるわけにはいかない。


 ――その手の責任感は、〝どんな顔をして会えばいいのかわからない相手〟を避けるための、この上ない言い訳になるのだ。


 いったんアパートへ戻って服を着替えて、準備しておいた旅行鞄を持って、その足で伯鳴駅へ向かう。最終便で実家へ帰るためだ。去年は体調不良で帰省できなかったので、今年はさすがにちゃんと帰らないと。


 大晦日までバイトだと家に連絡を入れたとき、帰省ラッシュを避けられるから、と言い訳をしたのを思い出す。


 ギリギリまでこちらに残って、乙姫に連絡するタイミングを探していた。


 ……いや、それも半分は嘘だ。

 本当は乙姫からの連絡を期待していた。


 クリスマスは終わったのだから、その成果くらい教えてくれてもよさそうなものなのに、相変わらず冷たいやつだ。やはりこちらから連絡するわけにはいかない――そんな意地も、少しはあった。


 それがこの変わりよう。


 付き合う前は常にこちらからアプローチをかけていたのに、付き合い始めた途端に手を抜くのか。


 押して駄目なら引いてみろだなんて、持てる者だけに許された、贅沢かつ傲慢な戦い方だ。それに対して、持たざる者の戦術はシンプルだ。彼女の視界に入るように、他者よりも目を引くように、ひたすらアピールするしかなかったというのに。


 もしかすると、僕は自分で思っている以上に薄情な人間なのかもしれない。少なくとも遠距離恋愛はできないだろう。好きだった人への思いは、物理的な距離に反比例するように薄れていき、この街で僕は別の女の子を好きになった。その実績がある。


 そして今また、好きな女の子から離れようとしている。


 駅のホームへ降りるのと同時に、下り列車が入ってきた。ドアが開いて人がぞろぞろと降りていく。旅行鞄を持った親子連れの姿がほとんどだ。乗客のほとんどがここで下車してしまう。中身の大半を吐き出した4両編成の普通列車は、大みそかの街と同様に閑散としていた。


 踏み入れた車両はきれいさっぱり無人だった。僕は憚ることなく4人掛けのボックス席に腰かける。しかし気分は落ち着くどころか、焦燥感ばかりが増していく。


 あと数分で列車が出てしまう。この街を離れる。彼女から離れる。あくまで物理的なことだが、今の僕にとってはそれが最も不安なことだった。


 気まずかった別れ際から、たった数日会わなかっただけで、乙姫に連絡をしない言い訳ばかりが増えていった。この上、さらに物理的に離れてしまったら、今まで全力で詰めてきた心の距離が、また、遠ざかってしまうのではないか。


 ポケットからスマホを取り出して、メッセージアプリではなく、電話機能を開いた。少ない通話履歴の中から、千都世さんの名前を探し出す。


 実家の最寄り駅まで迎えに来てもらうことになっているのだ。それに断りの電話を入れようとしたところで、ふと、視界の端を何かが横切った。


 ホームへ降りる階段を、駆け下りてくる黒髪の女の子の姿。


 僕はスマホを仕舞って立ち上がり、列車の入口へ向かう。


「鏡一朗さん」


 白線の向こうに、彼女はいた。

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