第128話 この、眩しいほどの笑顔を
テスト結果がすべて出そろってしまうと、残りの授業など消化試合のようなものだった。
クリスマスに大晦日にお正月と、立て続けのイベントに目がくらんだ生徒たちに、集中力を求めるのは無駄というもの。先生方も経験則でそれを知っているのだろう、授業中の浮ついた雰囲気を注意することもなく、小春日和のようなゆるやかさで終業式までの日々は過ぎていった。
その、終業式が終わった放課後。
僕と乙姫は一緒に教室を出てそのまま下校した。
これまで僕たちはあまり校内で一緒にいることがなかったけれど、周囲の視線を気にするのも今さらだし、修学旅行の
向かう先は近場の複合型商業施設
「クリスマスツリーがありますね」
入口ホールの吹き抜けに鎮座している、2階ほどの高さのある巨大なクリスマスツリーをにらみ上げて乙姫が言う。
「哀れな姿だと思いませんか」
さっそくアクセル全開である。
「
「あるいは磔にされたイエス・キリストの姿の再現かもしれない。ほら、あのリースとか
僕は話に合わせてそんな宗教的ニヒリズムを語ってみる。
「なるほど、そう来ますか……」
乙姫は眼鏡の位置を直しつつ、頬を指でなぞる。
「でも、クリスマスツリーはもともとキリスト教とあまり関係ないらしいですよ」
「え、そうなんだ」
「わたしも詳しくは知りませんが、中世の宗教劇あたりが発祥と言われています」
「キリスト教の起源からはだいぶ時期がズレるね」
「いわゆる、後付けの設定なのでしょう」
「盤石な正史があれば、その空白にいくらでも外伝をねじ込めるからね」
スターダストメモリーとか08小隊とかポケットの中の戦争とか。
「ツリーもそうですが……、クリスマスにかこつけて浮かれすぎです。ああ、なんですかあのスカートの短さは」
乙姫はひとしきりクリスマスツリーに文句をつけたあと、今度はケーキの売り子をしている女性店員の格好に文句を言い始める。赤と白のコントラストが目に鮮やかなサンタクロースのコスチューム。もちろんミニスカである。
「PTA会長みたいなことを言って……。モンスターペアレンツ扱いされるよ」
「なっ……! もっ……? ……なっ!?」
乙姫が変なうめき声を上げる。
「どうしたの。喉になんか詰まった?」
心配になって問いかけてみるものの、乙姫は真っ赤になって顔を逸らし、すすっと水平移動で僕から距離を取る。奇妙な反応だった。
「い、いえ……、なんでもありません。……
まだ何かぼそぼそとつぶやいている。まさかとは思うが……、子供がいなければ親にはなれない、では子供はどこから来るのか、みたいな連想をしたんだろうか。そうだとすれば、その想像力の逞しさたるや思春期の男子レベルだ。
2学期が終わった解放感のせいか、あるいは、なんだかんだ言いつつもクリスマスのきらびやかな雰囲気に乗せられているのか、今日の乙姫はずいぶんと浮かれているように見える。
去年の今ごろも僕たちはこんな風に、クリスマスというイベントの商業的側面や、それに踊らされる人々の愚かしさに文句をつけていた。
だけど、今はその関係性がまるで違う。去年はぼっちの同志だったが、今年は恋人同士なのだ。一年前の自分に「お前、繭墨乙姫と付き合うことになるぞ」と教えても、きっと信じてはくれないだろう。
ようやく動揺から立ち直った乙姫は、そそくさとテナントを回っていく。入る店は雑貨店系が多かった。個人的にはあまりなじみのない店だ。僕は雑貨を買う金があればマンガや小説などに回したい派である。
それでも、この手の店は見ているだけで楽しいことは否定できない。特に今の時期は、どうしてもクリスマスプレゼントを意識してしまう。
去年のプレゼントはあまりに手抜きだったので、さすがに今年はもっと気合の入ったものを贈りたいと思っていた。しかし隣に相手がいる状況では、あまり露骨に選ぶそぶりは見せられない。
こっちがそんなことを気にしているのをよそに、乙姫はかなり積極的に商品を物色していた。彼女が食器のコーナーで立ち止まるだけでドキリとしてしまう。茶碗や箸や、ペアカップなどを手に取るたびに、僕の部屋でそれらが使われている情景を思い浮かべてしまう。我ながら重症だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
結局、僕たちは何も買わずにウインドウショッピングを終えた。
フードコートの片隅で、コーヒーをかたむけてひと息ついたところで、
「……わたしの勝ちだったわけですが」
と乙姫が切り出した。
なんのこと? などとすっとぼけはすまい。
期末テストの勝負の件だ。
テスト期間が終了して、結果がポツリポツリと返却されるようになっても、僕たちはお互い示し合わせたかのように、その話題を避けてきた。露骨なまでにテストの話をしなかった。
しかし、僕や乙姫が知らんぷりをしていても、勝負のことを知っている百代や赤木、直路たちの態度によって、間接的に、なんとはなしに、勝敗の行方は察してしまっていたわけで。
やはり無理な挑戦だったのだ、なんていうつもりはない。僕は本気で勝つつもりで、今までにないくらい真剣にテスト勉強をした。その結果として、軍配は乙姫に挙がっていた。
残念だったけど悔いはない。テストが返却されるとき、各教科の先生からお褒めの言葉をもらえるくらいには、努力の成果が表れていた。
それでも、負けは負けだ。
「煮るなり焼くなり、好きにしてよ」
僕は椅子に座ったまま両手を広げて降参の仕草をする。
「それでは……」
乙姫は目を細めて唇を上げる。いたずらっぽい笑顔だった。
「鏡一朗さんの願い事を教えてください」
彼女の笑顔につられてこちらも苦笑いをしてしまう。
なるほど、そうきたか。
なんでも言うことを聞く、という条件でもって下心まみれの男子の感情を散々ひっかきまわしておいて、最後にはそうやってイタズラの完成を喜んでいる。
いつも沈着冷静で大人びた繭墨乙姫の、年相応な笑顔がたまらなくかわいくて、上限だと思っていた好意がさらに込み上げてくる。さらに膨れ上がっていく。
だけど僕は。
この、眩しいほどの笑顔を、曇らせる返事をしなければならない。
「……鏡一朗さん?」
乙姫が首をかしげる。静かなトーンの問いかけは、こちらの反応の薄さを奇妙に思っているのだろうか。でも、仕方ないじゃないか。これ以上は笑えないんだ。
テスト明けに彼女と出かけることが、楽しくないはずがない。
ずっと笑い合って、ときどき意見が合わなくて、その衝突すらもおかしくて。
――その裏で何が起こっているのかなんて、考えたくもなかった。
だけど乙姫は結局、今日まで話してくれなかったから。
不自然に早い登校と、不自然に遅い帰宅をずっと続けている。
その理由を語ってはくれなかったから。
何を隠しているのかはわかっていても、
なぜ隠しているのかがわからない。
だから、こちらから踏み込むしかないのだ。
明の懇願と。
百代の信頼と。
何より僕の勝手なイメージが。
今の繭墨乙姫はおかしいと叫んでいる。
僕は温くなったコーヒーの残りをその苦みごと飲み干して、まっすぐに乙姫を見つめた。彼女の笑顔が冷え込んで、花のようにしおれていく。
「クリスマスイブは、僕じゃなく、
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