第126話 弟オーラ

 テスト勉強の日々はあっという間に過ぎ去り、期末テストが始まった。


 伯鳴高校の期末テストは五日間にわたって行われ、今日で三日目までが終了した。折り返し地点である。


 かなり力を入れて勉強したので、それなりに手ごたえはあるが、繭墨の牙城を崩せるほどかと問われると、正直言って心許ない。


 しかし、過去を振り返っている暇などない。家へ帰って軽く昼寝をしたらまた勉強だ。……ああ、ゲームや漫画や小説が恋しくなってきた。急に部屋を片付けたくなる病や、続き物の漫画を読みたくなる病が発症しなければいいんだけど。


 校舎から出ると、正午過ぎの陽射しのまぶしさに目を細める。明るいくせに気温は低い。まるで訪問販売員の営業スマイルのよう。


「あっ、キョウ君、いま帰り?」


 背後から明るい声で呼び止められる。振り返ると、明るいし熱量もある、朗らかな笑顔の百代が駆け寄ってきていた。


 僕の方は、笑顔を返せていたとしても、どこかぎこちなくなっていただろう。


 この前の一件で迷惑をかけてしまった上に、その迷惑の内容がまた個人的にとても申し訳ないものだったので、合わせる顔がないというかとにかく気まずい。


「……まあね、図書室は人が多いから、家でおとなしく勉強するよ」

「ひとりで? ヒメとは一緒じゃないの?」


 と言うのに百代はズケズケと質問を続けてくる。気まずいと思ってるのは僕だけなのだろうか。


「一緒に勉強する意味はあまりないから」


 隣に並んだ百代を横目でちらと見やり、当たり障りのない返事をする。

 百代はつまらなそうに唇を尖らせて、


「えー、並んで座ってイチャイチャしながらテスト勉強すればいいじゃん、こんなんじゃドキドキして勉強にならないよーって心のなかで叫んだらいいじゃん」


 僕と繭墨の関係に突っ込んだ話を投げつけて平然としている百代を、どう見たらいいのだろう。もう気にしていないのか、あるいは気を遣ってくれているのだろうか。前者ならば自意識過剰だし、後者だったら気にしすぎはかえって百代に悪い。


「そういう状況になったら困るんだよ。今回ばかりは勉強に集中しないといけないんだから」

「……それって例の、なんでも命令できるっていうやつ?」

「うん、まあ……」

「キョウ君……、下心が見え見えすぎてキモイよ……」


 百代は半歩ほど距離を取って声のトーンも低く、そして憐みの目でこちらを見ていた。本気で引いていた。


「それに繭墨って最近、下校時間ギリギリまで図書室で勉強してるし」

「それって避けられてるんじゃないの」

「え」

「あ、でも言われてみれば、朝も早く来てる気がする」


 百代も繭墨の生活リズムの変化を口にする。繭墨の朝は早くない。クラスの生徒が8割がた埋まった頃合いに悠然と登校してくるのが、今までのパターンだった。


 しかし、ここ最近はいつの間にか自分の席で文庫本を開いている。そして、いつからいるのか誰も知らない。

 この登下校時間の変化には、何か理由があるのだろうか。


 そんな疑問はすぐに頭の隅に追いやられることになる。

 正門のところが少しざわついていたのだ。


「どしたんだろ」


 百代が手のひらでひさしを作って正門の辺りを見やる。


「なんかね、他校の生徒がいるみたい。ブレザー着た男子」


 僕にはまだ性別や服装までは判別がつかなかったが、視力のいい百代が言うならそうなんだろう。


「制服がブレザーってだけで、なんかもういけ好かないね僕は」

「どこからくるのその偏見……」

「都会の学校を気取ってる感じがするよ」

「キョウ君の見苦しいヒガミはともかく、ウチの制服たしかに野暮ったいよね」


 百代は自分の着ているセーラー服を見ながらため息をつく。


 僕には彼女が言うほど野暮ったくは見えなかった。注意されない程度にあちこち着崩していて、今風の女子高生っぽいと思う。……この感想はたぶん今風じゃないんだろうな。


 やがて僕の目にも、他校の制服を着た男子が門柱にもたれているのが、はっきり見える距離になる。


「テスト期間中に出待ちなんて、どしたんだろ、あの子」


 百代が首をかしげる。

 あの子、という言い方が少し気になった。


「もしかして知り合い?」

「ううん。どうして?」

「他人のことを〝あの子〟なんて言わないんじゃないの」

「だって年下だから」

「……なんでわかるの。制服の色?」


 例えば伯鳴ウチがそうなのだけど、制服のスカーフや名札、または上履きの色などで学年が判断できるようにしているのは、よくあるデザインだ。


 しかし百代は首を振って、


「ううん、なんとなく」

「なんとなくって……」

「あの子からはね、弟オーラを感じるのよ」

「弟オーラ」と僕は繰り返す。「何それ」

「背伸びして強がってる男の子からにじみ出てる、余裕のない感じのこと」

「ほう」

「あたし、これでもお姉ちゃんですから」


 百代はお姉ちゃんどころかお姉サマ級はあろうかという胸をドヤっと張った。


 姉と対等になりたい一心から、背伸びをして強がって、そのせいで余裕をなくしてしまう、そんな必死さのことを、百代は〝弟オーラ〟と称したのか。なるほど、確かに姉の視点からだと、弟の態度がそういう風に見えるのだろう。


 僕には弟や妹がいないからよくわからないけど……、いや、ちょっと待て。僕には弟や妹はいないが、そもそも僕が義弟だった。それを意識すると、千都世さんに――義姉さんに対する強がった言動の数々が、一瞬で思い出されてしまう。


 瞬いては消える思春期の走馬燈、あるいは自意識の万華鏡。

 その記憶のひとつひとつが僕の羞恥心をえぐっていく。つらい。


「ぐぁ……」

「どしたのキョウ君、急に空を見上げたりして」

「そっとしておいてください……」


 震える声で答えると、百代は「わかった」とうなずいて、


「じゃあ、あたしちょっと声かけてくるね」


 何がじゃあなのかわからないが、百代は早足で先に行って、他校男子に声をかけていた。この積極性もまたお姉ちゃん気質のなせる業だろうか。


 百代がしゃべりかけて、他校男子が口数少なに答える、というやり取りが繰り返され、その間、百代はずっと笑顔を浮かべていた。


 しかし、何度目かの他校男子の言葉で、なぜか百代の笑顔が消えて、やがて困ったような顔でこちらを向いた。助けを求めている表情に見えたので、僕は駆け足で百代の元へ急ぐ。


「あ、キョウ君、なんかね」

「――あんたが阿山鏡一朗か」


 百代の言葉をさえぎって、他校男子が険のある声で言う。


 彼は僕を強くにらんでいた。あからさまな敵意を向けられる理由がわからない。自慢じゃないが人様の恨みを買うような生き方はしていないつもりだ。そもそも、そこまで他人と接していない。


 どう応じたものかと考えているうちに、さらに攻撃的な言葉が続く。


「いいご身分だな、彼女持ちのくせに影で別の女子といちゃつきやがって」

「いちゃついてるように見えちゃった? えへへ」


 えへへじゃないよ百代、と心の中でツッコミを入れるが、それで落ち着いてくれるほど気持ちの乱れは軽くない。


 彼女持ち。

 その揶揄に胸がざわついた。


 こいつの目当ては繭墨なのだろう。僕個人を知っているのではなく、〝繭墨乙姫の彼氏〟の名前を知っているに過ぎない。他校の有名な女子にちょっかいをかけにきた、というところか。


 ――そこまで考えて、ふと違和感を覚える。


 僕に向ける視線が、はっきりと敵対的だったからだ。普通、興味のない相手を〝敵〟とは認識しないだろう。


 僕の凡庸な見てくれは、特に初対面の相手に軽視されがちだ。

 有り体に言って舐められやすい。


 人は見知らぬ他人に道や探し物を尋ねるとき、自分より格下と思った相手に声をかける傾向があるという。エセ心理学めいた胡散くさい話だが、個人的には信ぴょう性がないとも言い切れない。


 その根拠と言えるのかはわからないが、僕はバイト中にお客様から声をかけられる頻度が、ほかの従業員よりも明らかに多いのだ。

 それは愛想がよくて親しみやすいからだよ、と副店長は言ってくれたが、それだけではない気がする。副店長が声をかけられる頻度もけっこう高いことが、先の説を補強している。


 他校男子は僕のことを、敵視しているのか、それとも舐めているのか。


「それで、きみはキョウ君になんの用なの? っていうか、きみの名前は?」


 百代は弟オーラの存在を確信しているらしく、生意気ざかりの下級生をたしなめるように問いかける。



向坂明さきさかあきら


 他校男子のぶっきらぼうな名乗りは、確かに幼さを感じさせる態度だった。

 その表情に、唐突に苦味が加わる。


「……今は、繭墨明」


 後出しされた情報に、僕たちは顔を見合わせる。


 百代はぽかんと口を開けていた。僕も同じような顔をしていただろう。

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