2年次2学期 12月
第124話 彼女としての威厳を取り戻す
修学旅行の日程変更に関する署名集めは、順調に進んでいました。
生徒会もその流れに追従して、次回の生徒総会で議題に上げる方向で検討していることを宣言。
面白
今回の一件で反省することが二つあります。
一つはもちろん自らの迂闊な行動について。
些細なルール違反であっても、破る者の立場や、発覚のタイミング、そしてそれを拡散しようとする悪意次第で、いくらでも物事は大きく、面倒になっていくのだということを思い知りました。
二つ目は、人の善性をもっと信じるべきだったのではないか、ということです。
わたしたちと同様の違反をした人は、自身の違反にお咎めがなく、しかしわたしたちのそれが必要以上にクローズアップされている状況に、多少なりとも罪悪感を覚えていたのです。
そういう人たちにとって、署名集めに協力することは、手軽に許しを得ることができる免罪符のようなものだったのではないでしょうか。
たとえ軽い罪であっても、それが大きく取り上げられれば、構うものかと無視できるほど人は強くはないのです。
その性質を理解していれば、もっと上手に立ち回れたかもしれません。
これは今後の課題ですね。
――と、ここまでは生徒会長としてのわたしの反省。
百代曜子の友達であるところのわたしの反省は、彼女とじっくり話をして、それなりに落ち着きました。
残された問題は、鏡一朗さんの恋人であるところのわたしの反省です。
あの失態を思い返すと未だに頬が熱くなり、羞恥に身悶えしてしまいます。
特にあの、生徒会室での醜態は、末代までの恥と言っても過言ではありません。タガが外れたように際限なく不安を垂れ流して、鏡一朗さんを大いに困惑させてしまいました。すでに認定されている面倒くさい女に加えて、重い女というレッテルが張られてしまったに違いありません。そのうえ胸もないという三重苦です。――という話を曜子にしたら、
「大丈夫だよ、面倒くさいのと重いのって大体似たようなものだし、だから実質は二重苦だよ」
そう言って笑顔で肩を叩かれました。胸のことに触れなかったのはなぜだったのでしょう。持てる者が持たざる者に向ける憐れみでしょうか。
それはともかく、今回は弱みを見せすぎてしまいました。このままではわたしと鏡一朗さんのパワーバランスが崩れてしまいます。はっきり言うと、彼に強く出られなくなるのです。
調子に乗っている鏡一朗さんの鼻っ柱にどんな辛辣な言葉を浴びせても、落ち込んでいる鏡一朗さんが思わず縋りたくなるような優しい言葉をかけても、どうせ三重苦の言うことだし……、で片づけられてしまいます。
由々しき事態です。
早急に彼女としての威厳を取り戻すべく、そして、小賢しく目端の利く鏡一朗さんが余計なことに気づかないようにするべく、わたしは計画を練り始めます。
◆◇◆◇◆◇◆◇
期末テストの範囲が発表されて、クラスの雰囲気がにわかに騒がしくなる12月上旬のことだった。
午後の休み時間に繭墨が僕の机に近づいてきた。
珍しいなと思いつつ顔を上げる。
僕と繭墨の交際はほとんど周知された感があり、最近ではいちいち人目を気にすることはなくなっていた。それでも、教室で話をしていると妙に注目を集めてしまうので、話は外でするのが基本だったからだ。
「鏡一朗さん」
ざわり、と教室の雑音にどよめきが混じる。
しかし繭墨は気にした様子もなく、
「次の期末テスト、自信はありますか? ……鏡一朗さん?」
「あ、ああ……、まあ、ぼちぼちじゃないかな」
「いつものとおり優秀な成績を収める気まんまんということですね」
「その言葉をそっくり返すよ」
成績最優秀者に向けて、つい皮肉めいた言葉を返してしまう。
テストの点数は僕だってそれなりのものだ。しかし、一番の得意科目でさえ彼女に勝てたことがないのだから、拗ねた態度を取ってしまうのも仕方が――なくはないか。優秀な彼女に嫉妬する器の小さい彼氏、それが僕だ。しかも衆人環視の教室内で弱音を吐いてしまった。クラスメイトも僕の哀れな姿をあざ笑っているのか、視線が集まっている――のは別に僕のせいじゃないな。繭墨の言動にひとつ明らかにおかしい点があるせいだ。
繭墨はしかし無自覚なのか、子供の駄々に付き合う両親のような、余裕のある笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます。わたしの力を認めてくれてうれしいです」
「あ、うん……?」
「こちらが上位であればこそ、立ち向かう鏡一朗さんの心の強さが試されますね」
「何を言っているのかよくわからないんだけど」
「期末テストの成績でわたしと勝負しましょう。報酬は……そうですね、勝者は敗者に、何か一つだけ命令ができる、というのはどうですか?」
世界を平和にする方法を見つけました、とでも言わんばかりの得意げな顔で繭墨は言う。
この手の賭けの対象となるのは、せいぜい学食のランチなど、金銭的負担の軽いものが一般的だろう。なんでも命令できる権利というのは破格だ。まるでマンガみたいな提案だった。
「なんでも……?」
尋ねる声が上ずってしまった。
「はい、なんでもです」
繭墨は笑顔を絶やさずゆっくりとうなずいた。
なんでも。
それは自由の言葉だ。
何を命じてもいい。何をさせてもいい。何を頼んでもいい。
その無制限はそのまま、命令者の性質を、本性を暴き出す。
善良な命令をする者は、その心根も善良だ。
邪悪な命令をする者は、その心根も邪である。
清廉な命令をする者は、その心根も清らかだ。
淫猥な命令をする者は、その心根も猥雑だ。
命令の難易度のバランスも考えなければならない。
あまりに過度な命令は相手に大きな負担を強いるし、場合によっては勝負という娯楽の枠を壊しかねない。〝それは無理〟と思われたら終わりだ。
かといって「コッペパン買って来い」のような子供のお使いレベルの命令は、相手の能力を軽視することに他ならない。命令者は相手の力量をしっかり見極めて、重すぎず軽すぎずの命令を下さなければならない。
相手との関係性も重要な要素だ。
本来なら命令するまでもなく行っている事柄に、敢えて命令を用いることは、相手とのつながりへの侮辱であり、最悪の場合、関係性の否定につながりかねない。
例えば、恋人に対して手をつなげと命じるのは、全く信用を欠いた命令だ。こんなことにすらいちいち相手の許可を取らなければならないのですか、それは律義ではなく卑屈と言うのですよ。と繭墨シミュレータの声が聞こえてくるほどだった。
ちなみに繭墨シミュレータとは僕の頭の中にある
「鏡一朗さん?」
かすかな笑顔はそのままなのに、妙な圧力を感じてしまう。
無言で急かされるくらいに考え込んでしまっていたらしい。しかし、どんな命令をするのか、それ自体はすぐに思いついていた。けっこう短絡で浅はかで、バレたらとても恥ずかしい命令を。
「いいよ、やろう」
「はい」
繭墨はわずかに顔をかたむけ、眼鏡の位置を整える。
「では、細かな決め事については、またのちほど」
繭墨はきびすを返し、悠然と教室を横切っていく。やたらと視線を集めていたが、本人はまったく気にしていない。誰もいなければ鼻歌を歌いつつスキップを始めるのではないかというくらい上機嫌そうな一方で、どこかバランスを欠いているようにも見える。
「おい鏡一朗さん」
赤木が繭墨の声真似と思しき不気味な裏声で話しかけてくる。
「なにお前、良家の和服妻みたいな呼び方させてんの」
赤木だけではなく、周囲の男子もわらわらと近寄ってくる。
公衆の面前で名前呼びという、からかわれること確定のネタをバラまいたのも、何か狙いがあってのことなのだろう。
したり顔で笑っている繭墨をイメージしつつ彼女の席を横目で見てみたのだが、その様子は思いもよらぬものだった。
繭墨は文庫本で顔を隠し、耳まで真っ赤に染めてうつむいていた。そんな彼女に、百代を筆頭としたクラスの女子が詰め寄っている。
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