第123話 慰めのモグラ叩き
放課後、しばらく教室で時間を潰してから生徒会室を訪れた。
事前に連絡を入れていたこともあってか、室内にいるのは繭墨だけだった。
コの字型に並んだ机の上座に座り、何か書き物をしている。
僕は3つ離れた席に腰かけて荷物を置き、繭墨を見据えた。
誰かに見られたらまたあれこれ言われそうなシチュエーションだったが、この期に及んで秘密の交際を気取っている場合ではない。
「どうしたんですか、鏡一朗さん。昼休みの一件なら――」
「それだけじゃないよ。朝の署名のところから、様子がおかしかった」
即座に切り返すと、繭墨は目を丸くした。
だが、その反応にはまだ余裕がある。
「見ていたんですか」
「まあ偶然ね。百代は否定してたけど、あれは、繭墨の差し金なの?」
「はい。いつもの小細工です」
顔色を変えることなく繭墨は言う。
「――それは嘘だ。この前言ってたじゃないか。もうあきらめるって」
修学旅行の日程の件を、もっと早く進められる策はある。だが、そのために誰かの手を煩わせるのは嫌だと、繭墨は昨日、はっきり否定していた。
「だからやっぱり、署名集めっていう策は、百代が自分で考えたことなんだろ」
「昼休みの
「あんなの、百代の動きに乗っかっただけじゃないか。共同作業なんてするまでもなく、繭墨なら一番効果的なタイミングに合わせられるはずだ」
「……お見通しなんですね。お褒めに与り光栄です」
繭墨は笑顔を浮かべたが、その裏にどんな感情があるのか、よくわからない。
「それで、どうして嘘をついたの」
「……自分でもわからないんです。わたしは確かにヨーコに何も言ってません。助けてとも、協力してとも、頼んでいません」
「頼んだらたぶん、百代は喜んで手を貸してくれただろうね」
「はい。昼休みのやり取りがあのような流れになるとは、さすがに思いませんでしたが、署名集めを続けていれば、遅かれ早かれ、どこかであのような言いがかりをつけられていたでしょう。わたしの問題の――」
「僕もね」短く訂正を入れる。
「――わたしたちの問題の、とばっちりを受けてしまう。橘さんが絡んできたのは、考え得るなかでも最も厄介なケースで、それをあんなに見事に返り討ちにしてくれたことには驚きましたけど……」
それは僕も同感だった。
百代の活躍のおかげで、この一件は今以上に騒がれることもなくなるはずだ。
しかし、繭墨の表情は晴れない。
「それ以前に、ヨーコの協力に反対した理由は、昼休みのやり取りがすべてです。〝敵〟がヨーコに狙いをつけて、あんな、傷を抉るような攻撃をしてくる……、その可能性だって、想像できていたのに」
わかっている、と同意する意味を込めてうなずいた。
「だから百代に頼まなかったんだよね」
「違うんです」
となおも否定されて、さすがに僕も、繭墨が何に引っかかって悩んでいるのかがわからなくなる。
「え……、何が」
「わからなくて、わたしは……、確かに、直接、頼みはしませんでした」
繭墨はうつむいて、机の上を見つめながら話を続ける。
「でも、先週のわたしって、思い返すと、とても露骨でしたよね。動揺して落ち込んでいるところをわかりやすく表に出して、まるで誰かに構ってもらいたがっているみたいに……」
言葉を切って顔を上げる。繭墨はすがるような目をしていた。
「ねえ鏡一朗さん、わたしはひょっとして、ヨーコが自発的に署名集めをするように、そうなるように仕向けていたんじゃないでしょうか。
そんな風に見えませんでしたか?
わたし、自信がないんです。そんなつもりはなかったはずですが、いつの間にか、そういう思わせぶりな態度を取っていたんじゃないでしょうか。
決してアピールしていたわけではなくて、周りの視線に気がつかなくなるくらい、本気で悩んでいたんです。……そのつもりだったんです。でも、今となっては、本当にそうだったかどうか……、悩んでいたのはフリだったんじゃないかって」
立て続けに不安を語られて、どこから否定していけばいいのかわからない。これでは慰めのモグラ叩きだ。
「そ、それはさすがに考えすぎ――」
「と断言できるほど、わたしは不器用じゃないです」
「うん、まあ、それはそうかもしれないけど」
こんな後ろ向きな自慢、初めて聞いたよ。
「そのくせ、朝はあんな素っ気ない態度を取って」
「それは、署名集めを止めてほしかったから――」
「もちろん、それもあります。あるんですけど……、でも」
繭墨はうなだれて首を左右に振った。これ以上ネガティブに沈み込む理由がまだあるのか。
「……わたしは、ヨーコがああいうことをするのが嫌だったんです」
「自分の
指摘すると、繭墨はビクリと肩をふるわせた。それでも弱々しく言葉を連ねる。
「同級生なのに、手のかかる妹みたいに見ているところがあって……、だから、わたしがしてほしいと考えていたとおりのことを、ヨーコがしてくれたとき、うれしかったのに、その……、ちょっと、生意気だなって、そんな風に、感じてしまって。……本当、何様なんでしょうね、わたし」
だから校庭ではあんな、邪魔者扱いするような言い方をしまったのか。
でもそれは100%の反感ではなかったはずだ。自分で言ったように、うれしさと反感が、混じり合った気持ちだったのだろう。その比率は本人のみぞ知る、というところか。
こういうことは、部外者が慰めるのにも限度がある。
……残念だけど、この件に関しては、僕ですら部外者だった。
「生意気な百代が嫌になった?」
「そんなことありません!」
バネ仕掛けのような勢いで顔を上げて、繭墨はこちらをにらみつけてくる。その瞳には涙がにじんでいた。
ずずっ、と鼻をすするような音がした。……僕の制服の右ポケットから。
しかし繭墨も鼻をすすっているので気づかなかったらしい。
「……でも、ヨーコはもう、わたしのことが嫌になったんじゃないでしょうか」
「そうかな」
「だって、最初は応援していたのに」
「応援?」
「ヨーコとあなたのことです」
「……あ、ああ」
「それなのにわたしが、こんな風になってしまって」
「うん」
けっこう心に来る言い方だったが、今は聞き流しておこう。言葉の綾だ。
……こんな風になってしまって、かぁ。
「厚顔無恥ですよね、わたし。それに、今回の一件も……、せっかく助けてやろうとした相手が、余計なお世話だって手を振り払ったら、カチンと来ますよね、怒って当然、嫌われて当然です」
「そういうことは、本人に聞いた方がいいんじゃないの」
突き放すような言い方になってしまった。
繭墨は痛みをこらえるように眉をひそめる。
僕も心がじくりと痛む。さすがにもう、このやり取りも限界だった。ネガティブに落ち込んだらとことんまで行ってしまうらしい、繭墨乙姫の重力を思い知る。
だから、光の速度で脱出を。
右ポケットのスマートフォンを、コンコン、と2度、指先で叩く。
それを合図にして、ガラリ、と生徒会室の戸が開いた。
突然の来訪者に繭墨は慌てて居住まいを正すが、その相手を見るとぽかんと口を開けて、
「……ヨーコ?」
「ヒメぇ……」
百代はダッシュで繭墨に抱き着いた。
それはもう、椅子ごと押し倒しかねない勢いで。
そこからはお互い、泣き声混じりでごめんとありがとうの応酬である。
二人の声を聞かないように、僕はそっと生徒会室から立ち去った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ありがとう」
すぐ外の廊下には赤木がいた。
スマホで会話の内容を聞かせるという、場合によっては繭墨と百代の二人の関係の、どこか決定的なところに亀裂を生じさせかねない作戦である。それに協力してくれた赤木に、僕は静かに礼を言った。
「別に、大したことはしてねえし」
赤木はカバンを肩に担ぎ直して、廊下を歩いていく。僕もそれに続いた。
「ていうか、結構危ない橋だったんじゃないのか」
「その辺りは……、放置して好転するとも思えなかったから」
あの二人の関係性はそんな粘着質なものではないはずだ。それに、百代はもう吹っ切ってる、という倉橋の言葉も、決断を後押ししてくれた。
「でも、踏み切れた最大の要因は、昼休み時点で問題がほぼ片付いてたからだよ」
教室の外で聞いているだけだったが、橘の追及は厳しいものだったと思う。緩急をつけて個人攻撃めいたきついことも言われたのに、百代は平然と受け流して、逆にやつを追い詰めてくれた。
おかげで繭墨の追い打ちも効果的に決まったのだし、憂いが片付いたからこそ、僕も繭墨も百代も、3人ともが失敗を背負わずに済んだ。
仮に昼休みのあの舌戦を橘が制していれば、言い方は悪いが、繭墨と百代の仲直りをさせている余裕はなかっただろう。だから、
「ぜんぶ百代のおかげだよ。あんな人前慣れしてるとは思わなかった。受け答えにも余裕があったし」
「……それな、あいつ、文化祭で演劇に出ただろ」
赤木が思い出したようにポツリと言った。
「それでコツをつかんだとか言ってたな。演劇指南の本をいくつか読んで、その中に客観的に自分を見て演じる、みたいなやり方があって、それが自分には合ってるのかもって話してた」
「へえ。……それは初耳だな」
そういえば、昼休み、百代は授業が始まってもすぐには戻ってこなかった。赤木もだ。百代が落ち着くまで見ていてくれたのだろう。……見ていてくれた、なんて。僕の考え方もまるで保護者だ。これじゃ繭墨のことを笑えない。
当たり前のことではあるけれど。
僕の知らないところでも、物語は進んでいるのだ。
「ケッ、僕がいちばん百代のことを知ってるんだ、とか思ってんなよ」
赤木が拳で軽く僕の肩を小突いてくる。
「お、親父にもぶたれたことないのにー……」
「照れるくらいなら言うな」
「とっさに出てこないよね、こういうネタって」
「それは準備が足りてないだけだ」
「あんまりマニアックなのはちょっと……」
「万人が理解できるネタってのもなかなか匙加減が難しいよな」
西日のオレンジに染まった廊下を、僕たちは馬鹿話をしながら歩いていく。
窓の外に視線を向けると、校庭に長い影を落としながら下校している、生徒たちのまばらな姿。
今朝はあの場所で目すら合わさなかった二人が、今は外聞もなく抱き合っている。それは途方もない飛躍のように感じる反面、日常の中のちょっとした、感情の波の重ね合わせに過ぎないのかもしれないとも思う。
「何たそがれてるんだよ」
「いや、女心は不思議なものだなと思って」
「お前それ非モテ男子の前で言うなよ、シメられるぞ」
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