第118話 それだけじゃ不足?

 しばらく聞き耳を立ててみてわかったのは、彼女たちがどうやら繭墨の中学時代の同級生らしいということだった。


「墨汁女って……、もしかして、繭墨さんのこと?」

「忘れたの? あんただって呼んでたじゃない」

「えー、そうだったっけ。あの人ってどこ行ったの」

「伯鳴」

「遠くない?」

「同中出身がいるのが嫌だったんでしょ」

「不登校児だしね」


 現在進行形で繭墨を毛嫌いしている勢力ではないことに、ひとまず安心する。墨汁女というあだ名こそインパクトがあったが、かしまし娘たちにとってはもう過去の記憶として、なかば面白おかしく話している印象だった。


 となると、気になるのはあだ名の由来だ。

 名づけのパターンは大体3つある。

 名前をもじったもの、容姿から連想されるもの、所業から冠されるものだ。


 ここはシンプルに名字から取ったと考えるのが妥当だろう。しかし、繭墨は中学時代の自分を目立たない地味な子であると評していた。となると容姿からの連想という可能性もある。


 では、所業はどうだろう。


 中学時代の繭墨は一時期、意図的に学校を休んでクラスメイトからの攻撃を避けていたという。しかし、一度の反撃もしなかったとは考えにくい。


 例えば、無礼を働いた相手にコップの水をかけるというのは、ドラマなどでよくあるシーンだ。それをエスカレートさせて、墨汁をぶちまけたのだとしたら。墨汁女という妖怪めいた安直なネーミングになってしまうのも仕方のないことだろう。


 名前、容姿、所業。どれも墨汁女に至るだけのポテンシャルを秘めている。それどころかハイブリットという可能性すらあった。なかなかうまいあだ名だった。悪意ある名づけにはセンスが求められる。

 

 そんな風にあだ名の評定をする僕の後ろで、かしまし娘たちは引き続き繭墨のネタで昔話に花を咲かせていた。


 クラスで孤立していた繭墨を心配して、リーダー格の男子があれこれ声をかけてくれたのに、彼女は頑としてそれを受け入れなかったというのが最初のエピソード。


 そんな繭墨の態度が気に食わなかった取り巻きの女子が、いつの間にかの孤立ではなく意図的な隔離を行い、さらに攻撃を加えるようになったというのがエピソード2女子の復讐。


 教室に居られなくなった繭墨は授業をサボって図書室や保健室を転々としていたが、今度は勘違いした教師が〝落ちこぼれ生徒を更生させる感動のストーリー〟を胸に出しゃばってきたため、出席日数を計算の上で登校拒否を行ったというのがエピソード3繭墨の帰還。戦慄の3部作であった。


 当事者の繭墨にとっては大変なことだったろうに、かしまし娘たちの声音はどこか楽しげだ。あれはあっちが悪かったよね、だとか、不登校とかちょっと大げさじゃない、だとか、構ってほしかったんでしょどうせ、だとか。


「そーいや、同じトコ行ったミカがさぁ、チョーシ乗ってるからちょっと懲らしめてやったってイキってたけど」

「それミカもチョーシ乗ってんじゃん。ウケる」

「あはは……」


 話の流れが気になる方向へ流れたが、それ以上に気分が悪くなってきて、僕はその場から立ち去る。連中の話を繭墨に聞かせたくなかった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 花摘みを終えた繭墨の手を取って、強引にショッピングモールから抜け出した。


 困惑しつつも繭墨が案内してくれたのは、数分ほど歩いた住宅街の、やや奥まったところにある洋食屋だった。ヨーロッパの片田舎にありそうな、石造りのこじんまりとした建物は、外観から内装まで雰囲気があった。


 どういう雰囲気と聞かれてもうまく説明できないが、とにかくなんかそれっぽい、年月を感じさせるいい雰囲気である。店内の家具など調度品もいい雰囲気。手づくりとかオーダーメイドとかそんな感じがする。このテーブルかい? フランスの蚤の市で見つけたのさ、ひとめぼれだったよ、などと自慢されそうな逸品だった。僕もそういう格好つけたことを言ってみたいが、そのためにはまずフランスへ行かなければならない。バイトの給料の何か月分だろう。


 店内はテーブル席が7つと、あまり長くないカウンターだけだ。僕らが案内されたのは窓辺のテーブル席で、それですべての席が埋まってしまった。


「あまりきょろきょろしないでください」

「そっちは落ち着いてるね」

「おすすめの店というので、それなりに知っているところを選びましたから」

「よく来るのか、こういうところ……」


 メニューを開くと1ページにつき5つほどしか商品名が載っていない。ファミレスのメニューとは大違いだ。あと、やはりというかなんというか値段が高い。パスタの一番安いやつでも学食のA定食いくつ分だろう。店の雰囲気はいいのだがお値段がアウェーだった。


「価格におびえていますね」


 ホームで余裕しゃくしゃくの繭墨が、ナプキンで口元を拭きながら言う。


「いやいや、なんてことないよ。銀座のOL100人が選んだちょっと贅沢ランチベストテンとかならこれでも安いくらいだし」


「ここは銀座ではありませんし、鏡一朗さんも会社員ではありませんよね」


 繭墨がいちど言葉を切ったのは、続く提案を少し迷ったせいだろうか。


「今日はわたしが出しますよ」

「いや、それは」

「丸ゴロー君のキーホルダーを取ってくれたじゃないですか」

「あれを引き合いに出されても……」

「ここまでの交通費だってそちらの方が多いです」


 二度も言い訳を重ねられて、これを押し切ろうとするのは繭墨初心者だろう。僕はおとなしく引き下がることにした。ただし、


「次は僕が出すから、それで」

「ええ、では、それで」


 繭墨は短く応じて笑顔を浮かべると、店員を呼び止めてメニューを指さし、二人分の注文を告げた。実にこなれた感じだった。


 店員が離れていくと、繭墨はこちらを見据えて表情を引き締める。


「今回の一件ですが」

「ん」

「これ以上のことは諦めます」


 彼女の態度から、今日のデートで話したかったのはこのことなのだと理解した。


「修学旅行でわたしたちがルール違反をしてしまったのは、そもそも自由行動が禁じられているのが悪いんです。他にも班行動を破っていた生徒はたくさんいましたし」


 繭墨はすまし顔で自己弁護をする。


「――という話をオブラートに包んで、行動規範をもう少しゆるやかにできませんかという提案書を、国沢先生にお見せしたんです」

 

 それに対する反応は。


 受け入れることに問題はないが、多忙なので時期的に難しい。

 対応できるのは2月後半になってからになる。

 となれば生徒総会で議題に上げるのがタイミング的に良いのではないか。


 そういう風に言われたらしい。妥当どころか、ずいぶんと寛容な対応だと思う。

 しかし繭墨の表情はすぐれない。


「乙姫はそれじゃ嫌なわけ?」

「嫌ですよ」

「でも、期間を縮める手立てはないって」


「皆無というわけではありませんが、誰かの手を借りなければなりません。それは嫌です。生徒会で協力してもらうのとはわけが違いますから」


「じゃあ、まあ、仕方ないよね。学校側の都合も考えないと」


「鏡一朗さんはそれで構わないんですか?」


 繭墨の声は不自然なくらいに静かで、気分を損ねるようなことを言ってしまったんじゃないかと不安になる。


「僕はもともと、ただの謝罪だけじゃなくて、次につながる責任の取り方ができればと思っていたし、それができるなら、多少決定が先延ばしになっても気にしないよ。……それとも、乙姫は何か都合が悪いの?」


「それは……」


 繭墨は歯切れ悪く目を逸らした。拗ねているような態度は珍しい。


「そんなに間が空いてしまうと、問題を先延ばしにしたとか、逃げていると思われるじゃないですか」


 取って付けたような理由にも思えたが、最後の一言だけは聞き流せなかった。

 ――逃げていると思われる。


「赤の他人にどう思われているのかなんて、気にしたってしょうがない」


「それはただの開き直りです」


「やれることをやって、事情を説明して、それでも悪く思われるなら、そんな相手を気にしても時間の無駄ってこと。大体、全生徒に良く思われたいなんて傲慢だよ」


「……そこまでは思っていませんが」


「乙姫は問題を先延ばしにしてないし、ましてや逃げてもいないってこと、僕はちゃんと理解している。それだけじゃ不足?」


 繭墨はきょとんとして、珍しく二の句が継げない様子だった。キョドキョドと視線をさまよわせ、目が合ったかと思えばすぐに逸らされる。


「不足じゃ……、ない、です」


 それだけ絞り出すと俯いてテーブルをにらみつけ――


「乙姫?」


 ――今度はいきなりグラスをつかんで水を一気飲みした。口元からこぼれた雫を紙ナプキンで拭って、グラスをガンとテーブルに叩きつけるように置いた。


「どうしたんですかいったい」

「こっちのセリフなんだけど」

「いきなり熱量のある言葉をかけられて、ちょっと驚いただけです。何に影響されたんですか」

「強いて言うなら、乙姫の言葉に」

「ほらまたそんな言い回しをして!」


 静かな店内に響くほどの声に、繭墨は我に返る。


「あのぅお客様」


 と横から申し訳なさそうな面白がるような声がした。これはさすがに注意されても仕方ない。謝罪するべく振り向いたら、そこに立っていたのは繭墨にどこか似たところのある大人の女性だった。


「痴話ゲンカの際はもう少しトーンを落とされますようお願いします」


「――お母さん!?」


 繭墨がそれこそ店員に注意されそうな素っ頓狂な声を上げた。

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