第117話 デートしましょう


 繭墨の様子がおかしいことは、百代に言われるまでもなく気づいていたが、学校ですぐに声をかけることはできなかった。


 朝は登校時間を早めれば人目を避けるのは難しくないが、放課後はすべての生徒が同時に解放されるのでそうもいかない。学校では距離を置くという縛りに、早くも面倒くささを感じつつある。


 実際に繭墨と話をしたのは家に帰ってから、それも電話越しでのことだった。


 繭墨が悩んでいるのは、修学旅行での失敗の、責任の取り方についてだろう。

 うまい方法が見つからないのか、それとも見つかったはいいが実行が難しいのか。


 どちらにしても、僕の頼みで面倒を増やしているのだから、とことんまで相談に乗るし、場合によっては周囲の視線なんて無視してでも協力するつもりだ。そんな気構えで電話をかけたのだが、


「もしもし繭墨、今日はなんか様子が――」


『――鏡一朗さん、明日デートしましょう』


 こちらがしゃべり終える前にかぶせてきた言葉のせいで、いろいろ考えていた段取りが吹っ飛んでしまった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 デートと言われて思い浮かんだのは、僕たちは二人きりでどこかへ出かけた記憶がない、ということだった。放課後の寄り道なら何度かしたが、それだけだ。


 その反面、ただの友達では片付けられない経験もしている。手料理を作ってもらったことや、同じ部屋で夜を明かしたことや、お互いの家で両親と顔を合わせたこともある。合い鍵も渡してしまっている。


 ある意味、相当進んでいると言っても過言ではないんじゃないだろうか。それなのに、デートはまだなのだから、ちぐはぐというかアンバランスというか。


 僕たちの関係性について考えて苦笑いを浮かべつつも、歩くスピードはやや速め。慣れない待ち合わせ場所のせいか、時間ぎりぎりになってしまった。


 繭墨が待ち合わせ場所に指定したのは、土地の余っている地方都市には有りがちな複合型商業施設だった。といっても要塞のごとき威容のOZONオゾンモールではない。あちらは休日や学校帰りに行けばほぼ確実に知人と出会ってしまうレベルなので、今日は敢えて避けていた。


 こちらはせいぜい、ちょっと大きめのスーパーに、いくつかの専門店がくっついただけの代物である。それでも人が集まるスポットには違いなく、学校のグラウンドほどもある駐車場はそれなりに車で埋まっていた。


 正面入口吹き抜けの、入って右手の円柱の前。


 すぐに繭墨を見つけられたのは、やはりその存在感ゆえだろうか。


 私服は落ち着いた色合いだが、決して地味ではない。ブラウンのコートに乳白色のセーター、くるぶしまで隠れるような黒のロングスカート。足元も黒色のブーツで合わせていた。洋菓子詰合せの外箱のような小さなポーチを提げている。


 二十代女性向けのファッション誌の表紙を飾れそうなシックな装いと理知的な容姿は、やはり道行く人々の注目を集めている。本人はどうでもよさそうにスマホを触っているが、それは男に話しかけられても無視できるようにという小細工だろう。


 あと残り数メートルまで近づいたところで繭墨が顔を上げた。

 目が合うとスマホをポーチに仕舞って、こちらへ歩み寄ってくる。


「もう、遅かったじゃないですか」


 繭墨はわざとらしく頬をふくらませて、不機嫌そうな表情を作る。


「まだ時間にはなってないはずだけど」


「ギリギリ、ほぼ定刻ですよ。それに、女の子よりあとに来た時点で、それは相手を待たせてるんです」


 お姉さんが小さな子供を叱るように、人指し指を立てる繭墨。めっ、とか言い出しそうな仕草だった。

 いつもと違って表情が豊かだ。

 普段の繭墨なら〝めっ〟ではなく〝滅〟って感じになりそうなのに、どうしたんだろうこのノリは。


「……ごめんごめん、今日のことを考えたら緊張して眠れなくて」


 僕は謝罪しつつ頭をかく。

 繭墨は口元に手を当てて笑った。


「やだ、鏡一朗さんったら子供みたいですね」


「そういう乙姫いつきはいつもどおり?」


「わたしも実は……、楽しみすぎて目が覚めるのが早くなってしまって。1時間前には来ていました」


 恥ずかしそうに目を伏せる繭墨。


「そっちだって子供みたいじゃないか。でも、そんな風に思ってくれてうれしいよ」


「あ、ありがとうございます……」


「それと、ごめん。僕ももっと早めに来るべきだった」


「でも、それはわたしが早く来すぎたからで」


「乙姫を待たせてしまったことに変わりはないよ。寒かったよね?」


「そんなことはないですよ。今日の予定を考えているだけで心が温かく――」


 そこで繭墨はふいっと顔をそむけた。肩が小刻みにふるえている。


「……ごめんなさい、もう無理です」


「こっちだって限界だったよ」


 僕はため息をついて身体の力を抜いた。

 そして、目を合わせてどちらからともなく笑い合う。


〝歯の浮きそうなセリフをやりとりする付き合い始めのカップル〟の振りはここまでらしい。


 店内はすでにクリスマスムード一色で、晴れてはいるものの相応に気温は低い。それでも、芝居がかった恥ずかしいセリフをぶつけ合ったおかげで、体温はいくらか上がっていた。


 初っ端からこんな不意打ちをかましてくるなんて、今日の繭墨はずいぶんとテンションが高い。こちらも気合を入れ直す必要がありそうだった。


 というのも、僕は繭墨と相対するとき、いつも気を張っているのだ。

 それは緊張とは少し違う。

 頭の回転の速い彼女についていくために、こちらも思考のギアをひとつ上げている――というのが近いだろうか。


 今日の繭墨は速さに加えてトリッキーさもある。厄介な対戦相手だった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 適当に店を回りましょう、と繭墨は言った。


 デートコースなんて考えてなかったので、心底ホッとしてしまった不甲斐ない僕は、せめていい格好ができるスポットはないだろうかと周囲を見回して、ゲームセンターを発見した。


「あそこにしよう」


「いいですよ。おそらく鏡一朗さんにとって唯一自分の強みを発揮できるフィールドでしょうから」


 ハードルを上げられてしまった。警戒を強めたそばからこの物言いである。帰宅部なんだからゲーム三昧なんですよね、だったらちょっとくらいいいところを見せてくださいね、という圧力を感じた。


「でも実はゲームセンターなんてほとんど行ってないんだよ」


 僕は正直に告げた。予防線は早めに張らないといけない。


「どうしてですか」


「ゲーセンって騒々しいじゃないか。お互いの声が聞こえにくい場所ってのがそもそも苦手なんだよ。何度も聞き直すのも気まずいし、声を張るのもしんどいし」


「……一緒に行く相手がいたんですか?」


 繭墨は黒い瞳を丸くして首をかしげた。単純な疑問を口にしただけ、というのはよくわかる。それがなおさら僕の心を傷つけるのだ。


「クレーンゲームにしよう」


「いいですね、それならやかましくありませんし、記念品をゲットしてお互いの距離を縮めることもできましょう。彼氏は彼女にいいところを見せるチャンスですし、彼女はどんな景品でもかわいらしく喜んでおけば彼氏をいい気分にさせられる。win=winのゲーム。それがクレーンゲームですね。キャッチザハートですね」


 繭墨からのプレッシャーに僕の心は震えたが、どうにか千円以内で景品を取ることができた。

 それは繭墨が興味を示したキモカワキャラのキーホルダーだった。ラグビーボールのような楕円球から手足が生えており、球の表面には安っぽいプリントの顔が描かれている。なんだろうコレ。デザインが小学生レベルだ。ワールドカップとか言ってる場合じゃない。


 僕ならタダであげると言われても丁重に辞退してしまうシロモノだが、繭墨は割と本気で気に入っているらしかった。彼氏からのプレゼントとか関係なく、店頭で見かけたらそのまま買っていたのではないかというくらい入れ込んでいる。


 繭墨はキーホルダーを持ち上げて細部を観察し、口元を上げた。


「名前は〝丸ゴロー君〟だそうですよ」


「遅きに失した感があるね」


「ただの売れ残りじゃないですか?」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「次はここにしましょう」


 繭墨が示したのはカジュアル系の洋服店『ファッションしほむら』である。


「え、いや、ここは……」


 正直ためらった。


 僕のような金欠男子高校生はまったく気にしない――というかむしろ積極的に利用しているが、繭墨のような女子高生が入る店としてはどうなのだろう。『しほむら』はリーズナブルで品ぞろえも豊富、デザインだって悪くない。だが、世間にはブランドイメージというものがある。『しほむら』で購入したというだけで田舎者だのオバサン臭いだのと眉をひそめる輩の多いこと。『ユニタロ』なら何も言わないくせに、いったいどういう了見だろう。


「乙姫ってけっこう金持ってるから、服には気を遣うタイプかと思ってたけど」


「それは両親のお金です。基本的には学生の領分を超えるようなお金は使いません。よって、衣服はほぼファストファッションです」


 繭墨は眼鏡の奥の瞳を鋭くする。


「それに鏡一朗さんは誤解をしているようですが、『しほむら』はすでに若い女性の間で確固たる地位を確立しています。コーディネートをすべて『しほむら』で済ませる人々は〝しほラー〟と呼ばれ――」


 なんかいろいろ語り出した繭墨の声を聞き流しながら店内を移動して、途中で肌着コーナーで立ち止まった。シャツがいくつか傷みつつあるのを思い出したのだ。実家だと母さんがいつの間にか買い換えてくれていたが、一人暮らしだとそうはいかない。……おや、靴下が安いな、これも買っておこう。


「所帯じみていますね」


 僕の買い物かごをのぞき込んで繭墨が言う。


「事実だから仕方ない」


「デート中に買うものじゃないですよね。……ああ、いいですよ、戻さなくても。ムードがどうとか言いませんから。真っ当な金銭感覚を養うのは大切なことです」


「……そりゃどうも。庶民だもんで、服にはお金をかけられないよ。学校の制服に8万円かけるとかホント別世界の話だよね」


「少子化対策を謳っているようですが、ほかにもっとやることがあったんじゃないでしょうか。笑止ですよね」


「えっ?」


 数秒間の沈黙。


「……わたし、ちょっと花を摘みに行ってきます」


 繭墨は姑息にもこちらが絶対に追撃できない逃げ場へ行ってしまった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 通路の中央のベンチに腰掛けて繭墨を待っていた。


 デートというのはどこへ行くかよりも誰と行くかが重要だというが、これは割と真理だと思う。

 気が合う人が隣にいるだけで、体験するものすべての濃度が数倍に高まっているように思える。これは修学旅行のときも感じたことだ。繭墨と一緒にいろんな場所へ行ってみたい。いろんなことを体験してみたい。


 そんなことを考えていると、背中合わせの反対側のベンチから甲高い笑い声が聞こえてきた。声音から聞き分けるに、かしましいの漢字のとおり3人いるようだ。


 目を閉じるように耳をふさげたら便利なんだけどなと現実逃避していたら、奇妙な単語が聞こえてきて現実に引き戻される。


「そういえばさっき墨汁女がいたんだけど」


 墨汁女。

 その口ぶりには揶揄と嫌厭けんえんの響きがあった。明確な悪意があった。

 黒づくめで根暗なクラスメイトへの悪口だろうか。墨汁の吸い込まれそうな黒色は個人的に好きな色なので、あまり悪口という感じがしない。漆黒なんて格好いいじゃないか。あと紅蓮とか紺碧とか群青とか。


 そんな風に完全に他人事として聞き耳を立てていると、彼女たちの会話の中に、思わぬ名前が現れた。


「墨汁女って……、もしかして、繭墨さんのこと?」

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