第112話 アピールポイント
校長室に呼び出されたわたしたちは、従順な生徒を演じてお小言を聞き流し、十数分ほどで解放されました。
その後、アルバイトがあるという阿山君を昇降口で見送って、教室へ戻ります。
「あ、戻ってきた。ねえヒメ、大丈夫だった?」
教室の戸を開くなり、心配顔の曜子に出迎えられました。
「なんのこと?」
「キョウ君と一緒に校長室へ呼び出されたんでしょ?」
「耳が早いのね」
「情報は鮮度が命っていうじゃん」
「鮮度の落ちた情報にも使い道はあるわ。敵に流して混乱させるとか」
「さすがのあくどさ」
曜子はパチパチと短く手を叩きます。それから改めてこちらを見つめて、
「でも、前の同棲騒ぎの話とか、いろいろ言われなかった?」
曜子が言っているのは、夏休み中に阿山君のアパートへ出入りしていたことが噂になった一件です。今日と同じく校長室へ呼び出され、そのときは勢いとハッタリで誤魔化したのですが、
「2度目のことだし、あの噂は事実だったんじゃないかと、ネチネチ追及されたわ」
相手からすれば当然の言い分です。同じ異性と似たような問題を起こしているのですから、追及したくもなるでしょう。
「それで……、どう答えたの?」
曜子は絆創膏をゆっくりはがすように、恐る恐る尋ねます。
わたしは絆創膏を一気に引きはがすように、ひと息に答えました。
「あの騒ぎのおかげで彼との距離が縮まって交際に至りました、と」
「うわぁ」
「校長先生たちもそんな顔をしていたわ」
「――で、実際のところ、どうなん?」
教室の片隅から、わたしたちのやり取りに第三者の声が投げかけられます。
声の主は倉橋夏姫さん。すらりとした長身に着崩した制服、軽く脱色した頭髪など、外見からはそうは見えませんがクラス委員長をしています。特徴的なのはキツネなどと揶揄されることもある切れ長の目でしょうか。
視界の端にはずっと捉えていたのですが、こちらとは無関係だと思っていました。しかし、ここで話しかけてくるということは、わたしを待っていたのでしょうか。
「どう、というのは?」
「そりゃあ、クラス委員長として? 素行に問題のある生徒とはちゃんと話をしとかないといけないっしょ」
にやにや笑いを浮かべる彼女の言葉には、まるで感情がこもっていません。おおかた、興味本位なのでしょう。
「そうですか、ご心配をおかけします」
とわたしも感情を込めずに頭を下げます。
「で、実際のところ」倉橋さんは同じ問いかけを繰り返します。「阿山と会長ってホントに付き合ってんの? 保健室でもたいしてイチャついてなかったし」
そのセリフに倉橋さんを見返すも、彼女は好戦的に口元を上げるだけ。
続いて曜子に視線を移すと、彼女はそっと目を逸らしました。
どうやら二人してのぞき見をしていたようです。
わたしの視線に罪悪感を感じたのか、曜子はこちらをかばうようなことを言います。
「い、イチャつくだけが付き合いじゃないの、2人はプラトーンなんだから」
「戦争映画?」倉橋さんが意外に渋いことを言います。
「……もしかしてプラトニックと言いたいの?」
数秒ほどの沈黙のあと、
「いいじゃん、似たようなもんでしょ」
と開き直る曜子。
プラトニックというのは古代ギリシャの哲学者プラトンが語源になっているので、あながち間違いとも言い切れません。ただしプラトーンだと軍隊における小隊規模の部隊のことを意味するので、わけのわからないことになってしまいます。恋愛は戦争だと言いたいのでしょうか。意外と深いですね。それともただの深読みでしょうか。
「かばってくれるのはうれしいけど、わたしたちは特にプラトニックを意識してるわけじゃないから」
加えて哲学者でも小隊所属でもありません。
「……そういえば、まだお礼を言ってなかったわ。ありがとう倉橋さん」
こちらのお礼に対して、倉橋さんは心当たりがないのか、首をかしげます。
「何が」
「今朝のことよ。教室の雰囲気をよくしてくれたと聞いたわ。わたしと阿山君の仲がクラス公認だと、そう最初に宣言することで、批判的な雰囲気にならないよう先手を打ってくれたんでしょ?」
「あー、それな。別にあんたらのためじゃなくてクラスの空気のためにしたことだし……、でも、感謝してるってんなら、それにつけ込んで聞いてみてもいいか」
倉橋さんの目元が意味深に細められます。
「――なあ、アレのどこが好きなんだ?」
人の恋人をアレ呼ばわりとはずいぶん失礼な物言いですが、恩人の言うことなので聞き流しておきましょう。
それにしても、やっかいな質問を投げてくるものです。
――恋人の好ましい点を挙げよ。
問いのシンプルさに比べて、返答の難易度は高めです。ありきたりな答えだと相手のことをよく知らないかのように見られてしまいますし、思っていることを率直に口にしても、それが理解されなければ変人扱いです。まあ、ここには倉橋さんと曜子の二人しかいないので、大した問題ではありませんが。
……いえ、曜子がいることこそが最大の問題でしたね。
気まずさを感じて曜子を
ところが意外なことに、彼女はわたしの言葉を待っているような、期待感に満ちた顔つきをしていました。
そして、意外なことがもう一つ。
「ヒメ?」
「そこまで考えないと出てこないん?」
曜子が心配そうに首をかしげ、倉橋さんは挑発的に口元を上げます。
倉橋さんがどういうつもりなのかはわかりませんが、曜子が聞いているこの場で、真実以外の答えは許されません。
わたしは眼鏡の位置を直しつつ、
「そうね……、まず、わたしのことを大好きなところ、かしら」
二人は同時に鳩のように目を丸くしました。
「基本的に真面目だし、誠実だわ。あまり物事に執着しないタイプだと思うけど、妙なところでしつこいことがあるのも、まあ、悪い気はしないわ。気が合うし話も合うから、話が早くて、会話のすれ違いからのストレスが少ないのはいいところ――あ、でも、こちらの気にしていることをズケズケと指摘してくるのは、ちょっとどうかと思うのよ」
話を続けつつ曜子と倉橋さんの表情をうかがいますが、あまり理解されている感じがしません。内面のことは伝わりにくいので仕方がないですね。では外見についてに切り替えましょうか。
「顔は……、普通ね、可もなく不可もなく。なのにときどきすごく精悍に見えることがあるのは錯視の一種なのかしら。体格も中肉中背で、好意を抱く要素にはならないけれど、嫌悪するようなポイントもないから、取り立てて言うことはないわね――あ、でもこの感覚って、ポテトチップスっていろんな味が出ているのに、やっぱり最終的には塩味が一番という結論に達する〝あるある感〟に通じるものがあると思わない?」
話を続けつつ曜子と倉橋さんの表情をうかがいますが、あまり理解されている感じがしません。外見のことは個別の好みに左右されるので伝わりづらいのかもしれません。では社会的に優位な点を語ってみましょう。
「一人暮らしをしているのは大きな特徴よ。ただのひとり暮らしじゃないわ。部屋はいつもきれいで、自炊もしている、ちゃんと家事のできる男子なんだから。夫が家事を手伝ってくれない――という日々の不満が積もりに積もって熟年離婚の一因となっていることを考えれば、これはあんがい馬鹿にできない長所だと思うわ」
話を続けつつ曜子と倉橋さんの様子をうかがいますが、あまり理解されている感じがしません。内面と外面と社会面、これだけの好感度ポイントを羅列したというのに、なぜわかってくれないのでしょうか。
「あー……、うん、わかった、もういい」
「それならよかったわ」
明らかに投げやりな言い方なのには目をつむりましょう。それよりも曜子の反応の方が気がかりです。
「将来のこととか考えてるんだ……」
若干、呆れられていました。
将来という単語を持ち出されると気恥ずかしいものがあります。
「常にではないわ。阿山君のアピールポイントを考えてひねり出しただけよ」
「またまたぁ」
曜子はニヤニヤしながら肘で小突いてきます。
表情からは〝思い人を横取りした相手〟へのネガティブな感情は見えません。わたしは気づかれないようにそっとため息をつきました。よかった。
「禊はできたみたいだな」
じゃれ合うわたしたちに倉橋さんが声をかけます。
そのセリフで確信しました。
阿山君のどこに好意を抱いたのか――という倉橋さんの質問は、単なる興味からではなく、曜子の胸中を代弁したものだったのでしょう。
曜子本人も無自覚な心の棘、あるいは澱のようなものを察して、それをすっきりさせるために、こんな質問を投げかけた。加えて、わたしが曜子に対して感じている負い目も雪げるように、という気遣いもあったのかもしれません。
これは、倉橋さんの人物評価を改めなければなりませんね。
「みそ、ぎ……?」
わたしの感心をよそに、曜子はきょとんとした顔で首をかしげています。明らかにアクセントがおかしいですね。
「味噌汁を作るときにお味噌をお湯に溶かす行為を
「へーっ、ヒメは物知りだねぇ」
「会長それ今考えたのか?」
曜子の尊敬のまなざしは心地よく、逆に倉橋さんの引きつった笑顔には溜飲が下がります。
しかし気を抜いてはいけません。最後に釘を刺しておかないと。
「そうそう、2人とも。さっきの話、阿山君には、絶対に、言わないでね」
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