第111話 本気を恥ずかしがっている余裕なんてない
午後の授業は体育で、他クラスとの合同授業でサッカーをやることになっていた。あまり得意ではないが、マラソンなどに比べたらよっぽどマシだ。ボールに近すぎず遠すぎずの位置をうろうろして、なんとなくゲームに絡んでいるふりをしておこう。
そう思っていたのに、おかしいな。
試合が始まると、なぜかやたらと僕の足元へボールが集まってくる。
僕たちAチームにはサッカー部員が3人もいる。
主にそいつらが中心となってボールを回しているが、彼らのプレイがどこかおかしいのだ。
サッカー部員たちはさすがの本職らしく、素早くパスをつないでゴール前まで持って行く。ところが、なぜかいつもラストパスを僕に出すのだ。そして毎回、相手チームの選手にあっさり奪われてしまう。
サッカー部トリオは『ウェーイ』とばかり両手を振り上げるジェスチャーで不満を表明したり、両手を叩いてドンマイつぎ決めようぜと、チームメイトを腐すことなくスポーツマンシップをアピールしていた。
奇妙なことはまだある。
相手のBチームの攻撃では、なぜか決まって僕のところが標的にされるのだ。
中心選手であるサッカー部のキャプテン柴田にボールが渡ると、キレの良いドリブルで中へ入ってくる。
こっちはボールどころか相手に触れることもできずにあっさり抜き去られ、そしてほぼフリーの状態でシュートを打たせてしまう。
――が、これはキーパーの直路が枠の外へ弾き出した。本職顔負けのファインセーブだった。
直路は野球だけではなく、球技ならば大抵の種目を人並み以上にこなせてしまう。ちょっと本腰を入れればあらゆる部活でエースを張れるだろう。そういう才能に劣等感を覚えることもあったが、今はその感情は置いておく。
「ナイスセーブ」と直路に声をかけると、
「お前狙われてるぞ」と返ってきた。
「まるでカカシですな」と赤木が笑う。
野郎ぶっ殺してやる、などと腹を立てることなく、僕は黙って考える。
弱点を狙うのは、あらゆる勝負ごとの基本なので仕方ない。ただ、Aチームの中で僕が特別に下手くそというわけではないのだ。運動部以外の生徒は等しく横並びの素人だし、1対1でサッカー部のキャプテン柴田――略してキャプ柴を止めることは、同じサッカー部員にもできないだろう。
ところが、攻撃のときはあんなに動き回っていたサッカー部トリオが、守備のときはほとんど棒立ちだった。まるで、キャプテンの華麗なる活躍を邪魔してはいけない、と気を遣っているかのように。
ただし、ヒーローショーは一人ではできない。
ザコ戦闘員なり怪人なりの、体のいい
それが今回は僕だったのだろう。
サッカー部ぐるみで演出される
と、それだけでも十分にバカバカしい事態だが、僕が狙われたのは偶然ではなかった。キャプ柴は〝繭墨にフラれた男子リスト〟に名前があるのだ。
僕が繭墨と付き合っている話が広まった直後にこの仕打ち。仕返しか八つ当たりか、どちらにしても小さな男だ。自分を振った女の子と付き合っている男子をコテンパンにして憂さ晴らしだなんて、小者界のバロンドールでも狙っているのだろうか。
そんなキャプ柴の華麗なる活躍の記録、その一部をお見せしようと思う。
「あの生徒会長と付き合ってるっていうからどんなやつかと思えば」という捨て台詞を置き去りにするほどの素早いフェイントで僕を翻弄するキャプ柴。
僕がサッカー部トリオからのありがたいパスを受けると、キャプ柴は一気に距離を詰めてくる。ボールが落ち着かない僕はあっさりとボールを奪われてしまう。その瞬間の捨て台詞がこちら。「選ぶ相手で程度が知れるな」
またあるときは、ボールを持ってなくてもマンマークを理由に接近してきて「おい、黙ってないで何か言えよ」と肩をぶつけてくる。繁華街のチンピラである。
僕は一切の反論をしなかった。
自分の土俵で調子に乗っているようなやつに、人間の言葉は通用しないからだ。
こういうときは、言葉の代わりに行動で示すしかない。
原始的なコミュニケーションでなければ伝わらないのだ。
相手は明らかにこちらを舐めている。観察は十分にできていた。
ちょうど相手チームのパス出し役にボールが渡った。
キャプテンが軽く声を出してパスを要求し、パス出し役はボールを止める。
彼はいつもインサイドで丁寧にパスを出す。
ボールの来るタイミングを容易に計れるくらい丁寧に。
だから僕も、それに合わせて動くことができた。
キャプ柴の視界から僕が外れる。
パス出し役の右足が始動する。
僕は足裏に力を込めて走り出す。
パスが出される。
しまった、という顔をするパス出し役。
キャプ柴が首をかしげ、そして後ろを振り返る。
僕はすでにキャプテンの横を駆け抜けている。
ボールの間に割って入り、パスカットを――
◆◇◆◇◆◇◆◇
「そこで悪質なファウルを受けて転倒した、と」
繭墨の表情は3割増しで険しかった。
放課後の保健室は、オレンジ色のやわらかな光に満ちている。
キャプ柴に足を引っかけられた僕は、吹っ飛んでスネを強打、派手に擦りむいてしまった。ホームルームを抜けて保健室で傷の手当てをしてもらい、それがちょうど終わったところで繭墨がやってきたのだ。
「相手はイエローカードもらってたけど、だからどうしたって話だよね。累積で成績マイナスなんてルールはないんだし」
ベッドの端に腰掛けて、上履きを履きながら僕は笑う。
「彼らの成績はともかく、プライドにはダメージを与えられたのでは?」
そう言いながら繭墨はナチュラルに隣へ腰かけた。ぎしっ、と安っぽいパイプベッドが音を立てる。距離の近さに緊張しつつも、それを押し殺して軽口を続ける。
「いや、どうだろうね。ああいう連中は、すべてをなかったことにする魔法の言葉を使うから」
僕は一拍おいて、
「「なに
「――ですね」繭墨は楽しげに口元を上げる。
「そうそう」ハモってしまった。
横目を向けると視線が絡んだ。
笑い声がぱたりとやんで、聞こえてくるのは室外の環境音だけ。
これは俗にいう、いい雰囲気というやつではないか。
邪念に気づかれてしまったのか、繭墨は表情を曇らせ、視線を落とす。
「面倒なことになりつつありますね」
「どうってことないよ」
繭墨は右手を伸ばして僕の膝に触れた。
「痛みますか?」
「そりゃあね」
傷口の痛みよりも、繭墨の手の感触の方が鮮明だった。彼女の体温が低いことは知っているが、それでもじんわりと熱を感じる。
繭墨の手はすぐに離れた。
「中学でも、似たようなことがありました」
ぽつりぽつりと紡がれる、それは繭墨乙姫の孤高の話だった。
孤立気味だった彼女を心配して、声をかけてきた男子生徒。
そこから広がる面倒くさい正義感と嫉妬の渦。
クラス内の敵意を感じ取って、さっさと自主休校するという、中学生離れした見切りの早さにも、感心するより先に繭墨らしいと思ってしまう。
「実際は、そこまで自分で決められたわけじゃありませんよ」
繭墨は古いアルバムをめくって懐かしむような苦笑いを浮かべた。
「学校へ行きたくない――そんな年相応のわがままを両親にぶつけました」
両親に理由を語ると、考え込む秋浩さんよりも先に、美春さんがゴーサインを出したという。
『乙姫、これは避難だから気にしなくていいの。虐めとか、同調圧力とか、その手の空気をまともに相手にしちゃダメよ。地震や台風みたいなものだから』
『……強大で逆らえないもの、ということ?』
「すごい切り返し」
「面倒くさい子供ですよね。母はびっくりしていましたが、すぐにケラケラと笑って、言ったんです」
『そうじゃないわ。話が通じないってことよ。同じ人間と思っちゃダメってこと』
「それからわたしの身体に手を回して、頭を撫でてくれたんです。そんな風に思うってことは、澄ましていてもやっぱり怖かったのね。大丈夫よ……、と」
繭墨は母の手の感触を思い出したのか、やわらかな微笑を浮かべている。
「それが最初で最後の、母親らしい態度だったと思います。もっとも、わたしも子供らしい弱みを見せたのは最初で最後でしたが」
繭墨の表情はいつもの鋭利なものに戻っている。
学校へ行きたくない、なんて弱音とは縁遠い、お堅い優等生の顔だ。
「ルールを破ったのは僕たちだから、謝罪なり責任を取るなりしないと、とは思うけど。今日みたいな目に合って、大人しくしているのもね。繭墨はどう?」
繭墨は立ち上がると、不敵に口元を上げた。
「実はさっそく、先生方からご招待を受けているんです。一緒に来てくれますか?」
これじゃ立場が逆だなと苦笑しつつ、差し出された手を僕は取った。
――なに
キャプテン柴田の白けた声音がよみがえる。
僕はそれに心の声で答えるのだ。
本気を恥ずかしがっている余裕なんてないだけさ、と。
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