第110話 にわか探偵団の怪文書チェック

 昼休みになると、わたしは呼び出しを受けて生徒会室にやってきました。

 中にはすでに先客が。

 副会長の近森さんと、会長補佐の遠藤さんです。


「悪いな会長、こんなときに呼び出して」


 と苦笑いを浮かべるのは近森あずささん。

 ショートヘアと快活そうな笑顔が特徴的な、気風きっぷのいい女子生徒です。女の子に対して、それが褒め言葉になるのかはわかりませんが。


「かまわないわ」わたしはゆっくりと首を左右に振ります。「教室や食堂は居心地がよくないから、ちょうどよかったし」


「へえ、会長もそんな風と感じるんだな」


 近森さんは感心したように目を丸くします。心外ですね。わたしが周囲の人間に無頓着であるかのように思われているなんて。


 確かに普段であれば、面倒な注目を浴びたときは、文庫本を開いて周囲の雑音を無視してきました。しかし、今回の一件はわたしの側にも落ち度があるため、挑発的な行動は控えた方がいいと判断したのです。


 それに、少し弱っている風に見せた方が有利な状況も、確かに存在します。


 涙は女の武器、などという馬鹿げた常套句もあります。同じ女性にとっては敵意を増幅させるだけの計算高さですが、一向に廃れる様子がないのは、それが男性にとっての真理だからでしょう。


「それで、話というのは?」

「あ、いや、それが、その……」


 近森さんは頬を赤らめ、両手を合わせて指先をつつき合わせます。何か言いにくいことがあるのでしょうか、という疑問に答えたのはその隣の女の子でした。


「この子ったら、自分も京都で班行動を破っちゃったから、パトカーのサイレンを聞いただけで縮こまっちゃう逃亡犯みたいにビクビクしっぱなしなの」


 そういってニンマリと微笑むのは遠藤さやかさん。

 おっとりした目元に色白の肌、色素が薄くやわらかそうな髪質の、ゆるふわヘアーの女の子です。生徒会では会長補佐という役職についています。


「そうだったのね。彼氏と一緒に?」

「ごめんな、なんか会長たちは大変なのに、あたしらの方だけ逃げたみたいで」


 近森さんはうつむいて、すっかり恐縮しています。


「それで、その……、彼が言ってるんだけど。あたしらも班行動を無視してたってこと、みんなに話した方がいいんじゃないかって。会長たちだけがつるし上げみたいになってるのはおかしいって」


「大丈夫よ。その気持ちだけで十分」


 と伝えても、近森さんはまだ納得しきれていない様子。

 しかし、彼女の申し出は率直に言って〝余計なこと〟なのです。

 

 噂で盛り上がっている人たちは、生徒会長であるわたしのスキャンダルに興味があるのであって、ほかの人のルール違反など、どうでもいいのですから。


 加えて、同じ生徒会の役員が班行動を無視したことは、わたしへの批判材料になります。会長がきちんとしていないから部下もルールを破るのだ、という具合です。


 近森さんの提案では事態の鎮静化はできません。むしろ、火に油となる恐れがあります。余計なことというのはそういう意味です。ただ、それをはっきり言うのは人として思いやりに欠けます。どう伝えたものでしょうか。


 思案していると、唐突に遠藤さんが口を開きます。


「あずさの彼氏って、ちょっとチャラい感じだよね」


「む、ちょっと髪とか脱色してるけどさ……」


「そういう軽そうな人が意外と誠実なのってポイント高いよね。ギャップ萌えっていうの?」


「も、萌えてないし」


 うろたえる近森さんに、わたしも畳みかけます。


「萌えというより人間の本能に近いものね。『子犬に優しくする不良』の例を持ち出すまでもないわ」わたしは少し考えて、「あとは、普段は奥手そうに見えて、いざというときは意外と積極的というのも……」


「それって愛しの阿山のこと?」と近森さんに余裕が戻ります。


「は?」


「ひぃ、ご、ごめんなさい……」


「どうして謝るの? ……話というのはやっぱり彼氏自慢だったの?」


「会長が刺々しいよう」


 背中を丸める近森さんを、よしよし、と遠藤さんが慰めます。そんなに険のある態度だったでしょうか。


「あずさの彼氏はおまけで、本命はあっち」


 遠藤さんが机の上の箱を指さします。

 普段は生徒会室の入口に置いてある目安箱が持ち込まれていました。


「文句言ってやろうぜ(笑)みたいな話をしてるコがいたから、もしやと思って」


 遠藤さんの言うとおり、目安箱を開けると、中には3枚の紙が入っていました。折り目の乱雑さは、投函した者の適当な性格を表しているかのようです。


 開いてみるとその第一印象は強化されます。頭痛とともに前向きな気持ちが失われていくような、悪意のある文章が並んでいます。


『男にコビ売りすぎ』


『男のシュミ悪すぎ』


『ビッチ会長はそっこくジニンせよ』


「これは……」と近森さん

「うわあ……」と遠藤さん。


「これだけでは、複数による犯行なのか、それとも単独犯なのかは判断がつかないわね。しかし、1枚目と2枚目は明らかに連動しているわ。韻を踏んだと言えなくもない……。リリカルな罵詈雑言ばりぞうごんかと思えば、3枚目は辞任要求。ほかの2枚よりも踏み込んだ内容だけど、この手の要求には提出者の名前が必要よ。誰が書いたものかがわからなければ、書面としての効力はないわね」


「いや、てゆうかこれを書類とは認められないだろ」


「身元を隠すつもりはないと思うなぁ」と遠藤さん。「3枚とも、購買で売ってるルーズリーフだから、そこから辿ることはできないけど、手書きだから筆跡にも気を配ってないし」


「しかし、いくつかの漢字をカタカナにしているあたりには配慮が見られるわ」

「カタカナは筆跡の特徴が出にくいもんねぇ」


「いや、漢字がわからなかっただけじゃないの」


 と近森さんが静かな声で言います。


「え? わからないかしら」


「う、いや、ちょっとムツカシイからさ」


「仮に難しかったとしても、スマートフォンなどで文字の確認はすぐにできるわ」


「その簡単なことをやるのもメンドイと思ったんでしょ」


「なるほど、ワープロではなく手書きという時点で突発的、そして漢字の確認すらも怠るズボラという、場当たり的犯行が浮き彫りになってきたわね」


「あと、媚を売りすぎっていうのは女子の視点だよね」


「男の趣味が悪いとのことですが……、では逆に、趣味のいい男子というのはどのようなひとを指すのでしょうか」


 わたしのつぶやきに、二人はなぜか真顔になります。


「しゅ、趣味って人それぞれだし、あんまり気にすること無いんじゃないかなぁ」


「そ、そうそう、三者三様、十人十色、もともと特別なオンリーワンってやつ」


 それから顔を近づけて声を落とし、


「やばいって、会長なんか不機嫌ぽくないか?」

「そりゃ愛するカレを貶められてご立腹なのよ」


 などとひそひそ話を始めます。


「……どうしたの、二人とも」


「ななんでもないぞ?」

「ななんでもないよ?」

「そう。じゃあ、この3枚目の辞任要求についてだけど……」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「それで、これからどうするの?」


 にわか探偵団の怪文書チェックがひと段落すると、遠藤さんが問いかけてきます。怪文書の扱いだけではありません。わたしに向けられている反感に、どう対処するのか、という意味合いの質問でした。


「班行動を破ったことだけではなく、阿山君と付き合っていることにも反応している。むしろ後者への反応が強いと感じるわ。その反感の出どころはおそらく、今までわたしに交際を申し込んできた男子たち――に好意を持つ女子生徒たち、だと思う」


「どうしてそう言い切れるの? 友達と同じ班に入れなかったけど、真面目に班行動を守ってた生徒の不満が、表に出てきたっていうセンもあるんじゃないかな?」


 遠藤さんが首をかたむけます。


 ともすると、これはわたしへの反論にも聞こえますが、そうではありません。わたしが感情的になっているのではないか、発言に根拠はあるのかという、確認のための質問でした。遠藤さんは基本はゆるふわですが、ときに傍観的とさえ感じる、とても冷静な女の子なのです。


 その視線に向き合います。


「経験があるのよ」


 昔の話です。

 小学校の高学年になる頃、男子から軽い嫌がらせを受けることが増えました。


 それを父に相談をすると、眼鏡をプレゼントしてくれました。わたしが現在かけている、紅色の縁の眼鏡です。そのときから使い続けている物なので、もらった当時のわたしにとっては少しサイズの大きいものでした。おかげでア〇レちゃんというあだ名をつけられ、モテとは無縁の穏やかな学校生活が続きました。


 ですが、やがてそんな平穏が乱される事件が起こりました。


 ときどきいるのです。

 子供の集団の中にあって、明らかに存在感が違う、大人びた生徒が。


 わたしが中学3年のときのクラスにも、そんな子がいました。

 常にクラスメイトの輪の中心で、みんなを気遣い、嫌味もなく、さわやかで、スポーツ万能、成績優秀、落ち着いた容姿と物腰。せいぜい、中3の教室に紛れ込んだ高2くらいの大人度ですが、彼は明らかに抜きんでていました。


 そんな彼は、クラスで孤立している、似合わない眼鏡をかけた物静かな女子生徒を放っておけません。休み時間になっても誰ともしゃべらず、教室の隅でいつもひとりで文庫本を開いている。それが寂しくて可哀想なことなのだと信じて疑わない価値観の持ち主だったからです。


 ダサ眼鏡の女子生徒にとっては大きなお世話でした。

 彼女は好き好んで孤独に浸っていたのですから。


 さわやか君(仮名)の誘いを、眼鏡の子はことごとく突っぱねます。その態度は少しずつ、さわやか君の取り巻きの反感を買うことになります。お高く留まっている、気取っている、気を遣って声をかけてやっている・・・・・のに偉そうだ、などというやっかみ混じりの声です。


 これがさわやか君のしたたかなところでした。なのでしたたか君(仮名)でもよかったかもしれません。


 彼は自分の影響力を理解していて、クラスメイトの反感が少しずつ広がっていることにも気づいていたのです。わたしもまたその雰囲気にのまれて、みんなの輪などというおぞましい馴れ合い空間に取り込める、と考えていたのでしょう。


「で、どうなったんだ?」


 近森さんが先を促します。


「出席日数を計算して問題なかったから、しばらく不登校児になってみたわ」

「昔っから思い切ったことすんのな」

「会長らしいよねぇ。三つ子の魂なんとやらっていうか」


「でも待てよ、ってことは」


 近森さんは怪文書を指さして、


「これがエスカレートするようなら、また――」


「そんなことはしないわ。昔とは違うもの」

「人生経験が?」と近森さん。

「愛しの彼の存在が?」と遠藤さん。


 その質問に、わたしはただ微笑を返します。

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