2年次2学期 11月
第109話 高嶺の花の散るさまを
『人間に比べればどんな動物もかわいらしいものですよ』
繭墨がそんなことを口にしたのは、確か、犬派か猫派かという、ありふれた話題で盛り上がったときだったと思う。
『動物にあるのは本能だけなので、味方であるにせよ敵に回すにせよ、シンプルで好ましいです。それに比べると、人間というのは面倒でしょう。本能と理性がせめぎあった末に、ろくでもない結果に至ることが多々ありますから』
『予想できたとしても、動物相手のように、強引に片付けることができません。人間は権利を主張して反発します。それに、一度叩いても、いつどこで、何がきっかけになって敵意を蘇らせるか、という予想は特に困難です』
そのときは、極論ガールの過激発言、くらいのつもりで聞いていたのだ。
しかし、それはどうやら過去の経験から得た教訓であるらしいことに、僕は今回の一件で気づかされることになる。
◆◇◆◇◆◇◆◇
修学旅行明けの教室は、いつもと違っていた。
はっきりわかるのはクラスメイトの組み合わせだ。
教室内でのグループというのはだいたい固定されているものだが、今日はその組み合わせに変化があった。スマホで撮った写真を見せあいながら、旅行話に花を咲かせている。旅行で同じ班だったつながりで仲良くなったのだろうか。
そんな楽しげなノリが、しん、と妙に沈み込む。
会話の途切れるタイミングが重なって、教室内が急に静かになってしまう。こういう偶然のシンクロはたまにあることだ。その沈黙がおかしくて、みんな半笑いになるところまでがワンセット。
――と思いたかったが、どうやら違ったらしい。
この沈黙には明確な理由が、原因があった。
探るような視線がいくつも僕に向けられている。
教室内を見回すと、サッと目を逸らされてしまった。
唯一目が合った百代は、子供のピアノ発表会を見守る母親のようにハラハラした表情だった。なんだろうこの雰囲気は。
困惑しつつ席に座ると、入れ替わるようにががっと椅子を引く音がした。
立ち上がったのは倉橋夏姫。二年一組のクラス委員長だ。ギャルっぽい外見のキツめの美人だが、その特徴的な目元から、僕は心の中で密かにキツネと呼んでいる。
「阿山、ちょっと聞きたいんだけど」
「どうしたの」
本人は意識しているわけではないだろうが、高圧的な呼びかけに、僕はつい姿勢を正してしまう。
「あんた、繭墨と付き合ってんの」
その声は静まり返った教室によく響いた。クラスメイト全員に聞こえただろう。マンガだったらみんなの耳が5割増しに大きく描かれている場面だ。
繭墨の席に目をやるが、彼女はまだ来ていない。現状、僕たちの付き合いは周囲には秘密にしている。露見した場合の面倒くささが、容易に想像できるからだ。
「どうしてそう思うの」
証拠はあるの? と問いかけるように僕は首をかしげる。
どうせ明確な証拠などないのだ。せいぜい修学旅行4日目の遊園地で、僕と繭墨が親しそうにしていたという、曖昧な目撃証言を根拠に挙げてくるくらいだろう。
そう高をくくって待ち構えていると、倉橋のは僕の机にバンと手のひらを叩きつけた。数枚の写真とともに。
それらに写っているのは、風光明媚な景色をバックに歩く浮かれ顔の僕と、その隣に並ぶ、観光案内のポスターにでも出てきそうな、楚々とした和服美人だった。
「ああ、
という僕のジョークを無視して倉橋は率直に聞いてくる。
「この和服美人、生徒会長っしょ?」
「眼鏡をかけてないから違うんじゃないかな」
倉橋はもう一枚、ほぼ同じ構図の写真を並べた。
唯一違っているのは、繭墨が愛用している、紅色の縁の眼鏡の有無だけだ。
「何これ」
「眼鏡だけコラージュしたんだよ。検証写真ってやつ」
「……繭墨だね」
認めざるを得なかった。
「で、あんた。繭墨と付き合ってんの」
倉橋は同じ質問を繰り返す。これ以上ごまかしたところで、彼女の機嫌を損ねるだけだろう。
「……そのぅ、清い交際をさせていただいております」
「伏し目がちで頬染めんなキモいから」
倉橋がしかめっ面で言う。我らがクラス委員長は容赦がなかった。
「はぁ、でもそうか、あんたとあのカタブツがねぇ」
倉橋のため息には、いくつかの感情がまざっていた。
驚きと感心と、それ以外にどこか否定的なニュアンスが。
「なんか引っかかる言い方だね」
「噛みつくなよ」と倉橋は笑う。「怒んなって。あたしゃあんたらの味方だから。うちのクラス連中は、あんたらの付き合いに文句なんてない。なあ」
倉橋が振り返ると、息をひそめて僕たちのやり取りを聞いていたクラスメイトが、ぎょっと目を丸くする。
「もちろんだよー」
百代がぱちぱち手を叩き、それに続いてまばらな拍手が起こる。
クラスメイトなんて言ってもほとんど赤の他人であって、こういう扱いをされると、正直言って反応に困る。嬉しいと感じたのは百代からの祝意だけだ。
ただ、それ以上に倉橋の物言いが引っかかった。
「味方――なんてセリフが出るってことは、敵もいるってこと?」
「そうそう。お前の敵っつーより、繭墨の敵って感じ? ほぼほぼ逆恨みだけど」
「繭墨は敵を作るようなやつじゃないよ」
下僕ならいくらでも作成できそうだけど。
「逆恨みつったろ、敵さんは、
直接ではないなら間接的で、そして逆恨みというと……、
「あ」
直感的に閃く。それから遅れて、その事実の面倒くささがわかってしまう。
「あー……」
あらゆるイケメンを振ってきた、あの繭墨乙姫が、とうとうに男子と付き合うことになった。さあその相手はとフタを開けてみれば、そいつは冴えない凡俗だったというスキャンダルめいたニュース。
不特定多数が抱いていたささやかな反感が、同時多発的に表に出してしまうきっかけとしては十分だろう。
「だけじゃないって。その写真。班行動、破ったっしょ」
「……ハイ」
加えて、この明確なルール違反である。
「しかも生徒会長って立場があるからな。他の生徒の模範となるべき人物がどうのこうのって、わかりやすい攻撃材料ができたもんだから、連中、ノリノリだぞ。生徒だけじゃなくて教師も。気が緩んでるとか周りに示しがつかないとか、お堅いこと言ってる先生もいたし」
謝罪会見が冗談じゃなくなってきてしまった。
僕と倉橋のやり取りを、クラスメイトが遠巻きに聞いている。そのざわつきが不意にピタリとやんだ。本日の主役、繭墨乙姫の登場である。
しん、と一瞬で沈黙する教室。
繭墨はその静かさに首をかしげただけで、あとは興味ありませんとばかり悠々と教室内を歩いて、落ち着いた所作で着席した。渦中の生徒会長が作り出したその沈黙は、担任がやってくるまで破られることはなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
隠し撮り写真の出どころはすぐに発覚した。
「ごめんなさいキョウ君」
「今回の一件はオレの不徳の致すところであり誠に申し訳ない」
休み時間、百代と赤木にそろって謝られる。
「え、何が」
「倉橋が持ってた写真なんだけど、あれ、もとはと言えばあたしたちのせいなの」
「そうなの」と赤木が続く。なのじゃないよ。
なんでも、この二人は京都2日目のとき、僕と繭墨を尾行していたらしい、だがその奇妙な行動は、同じ学校の生徒――しかも、よりにもよって新聞部の人間の興味を引いてしまうことになる。あの二人は何やってるんだ、こそこそ隠れて、どうも尾行くさい動きだが……、じゃあ尾けてる相手は一体誰なんだ? おや、あれは……と、そんな流れで僕と繭墨のツーショットが激写されたのだった。
だからといって百代たちを責めるのはお門違いだ。悪いのはルールを破った僕たちなのだから。
それよりも驚いたのは噂の広がるスピードだ。
廊下を歩くだけで、「ほら、あの人」みたいな視線をあちこちから感じるのだ。
「ちょっと釣り合わないよねぇ」的な声も、ちらほら。
そんなことは他人から言われるまでもないことだ。
今までさんざん自問自答を重ねて、自暴自棄になったり自縄自縛したけれど、最終的には繭墨も了解したのだから問題ないと、自画自賛して自己満足というところに落ち着いている。
それよりも神経を逆なでするのは、僕ではなく繭墨に向けられる批判だった。
『あんがい軽いよね』だとか『もっとまじめな人だと思ってたのに』だとか。
『上手くやったよなあいつ』だとか『お嬢様育ちは案外チョロいのかもな』だとか。
そういう風に他人の零落をあざ笑っている風潮には嫌気がさす。僕と付き合うイコール落ちぶれたってどういう意味だよ、という腹立ちは置いておいて。
生徒たちの憧憬の的、教師たちの信頼も厚い優等生のあやまち――それを喜んでいる雰囲気には心底うんざりだった。他人の失点がそんなに嬉しいのだろうか。
高嶺の花の散るさまを、
平然と返り咲いて、すまし顔で見下ろしてやるのだ。
具体的な手立ては何も浮かんでいないが、繭墨のためにも、挽回しなければと強く思う。
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