第49話 繭墨乙姫を、どうしたいの?
「あたしからのお願いなんだけど。テスト勉強、一緒にしよ?」
お願いを口にすると、キョウ君は警戒心バリバリの顔をした。
でも、その後に続けて、
「場所は図書室でいいから」
と付け加えると、ロコツに安心した顔をする。
そういう態度はちょっと不満だったけど、仕方ないとも思う。
さっきの言い方だと、たぶん勉強場所はキョウ君の部屋だって誤解したんだろうな。実際、あたしはその方がよかった。キョウ君の部屋で二人きりっていうのがベストだったんだけど、警戒されるってわかってたから、すぐに言い直してしまった。あたしには前科もあるし。
「それくらいなら、まあ」
と言ってキョウ君はうなずいた。よしよし、契約完了だね。
七月の上旬はほぼべったり期末テストだ。
その直前の1週間の、キョウ君の放課後はあたしのものになった。
キョウ君とヒメが険悪になっていることは、一目でわかった。
今日は朝からヒメの態度がおかしかったし、キョウ君もいつも以上にテンション低かったし、その二人はちょっと近づくと露骨に視線をそらしてたし。
友達のそういう様子を見て、チャンスだと考えてしまうあたしって、女子から見ればそりゃあ嫌な子って思われるよね。
◆◇◆◇◆◇◆◇
勉強会の約束をしてから数日後。
キョウ君とヒメの冷戦はいまだに続いていて、だけどそんなことはお構いなしに、学校はテスト週間に入った。
窓際の四人掛けのテーブルに向き合って座る。
二人きりの勉強会は、基本的には黙ってひたすら個人勉強。
たまにあたしが解らないところがあると、キョウ君に質問して教えてもらう。
残念なことに、その逆は1度もなかった。
キョウ君の教え方はていねいでわかりやすかった。
質問にはほとんどそのまま答えてくれたし、ちょっと詰まったような間があっても、教科書を見返してすぐに説明してくれた。
それに、キョウ君の声を聴いているとなんだか落ち着いた。最初はテンション低くて根暗な声だなと思ってたくらいなんだけど、慣れってすごい。
そんなキョウ君だけど、個人勉強の方はあまりはかどっていないみたい。
手の動きがしょっちゅう止まってるし、心ここにあらずって感じ。
やっぱりヒメとのケンカを引きずってるのかな。
あたしはシャーペンの先で、反対側の席に座るキョウ君のノートをつつく。
「キョウ君、心ここにあらずんば虎児を得ずだよ」
「何それ」
「ボケッとしてたら何も手に入らないってこと」
「意外とそれらしい説明になってるのがちょっと悔しいな」
キョウ君はノートから顔を上げて軽く笑う。
「それで? どうしたの? ヒメのことでも考えてた?」
あたしは冗談のつもりだったんだけど、キョウ君は半笑いのままでうなずいた。
「そう、だね。まあ、うん……」
あいまいだけど、確かに認めた。
「ふーん……」
そうつぶやいたあと、続きの言葉が出てこない。
あれ、なんだろこれ、思ってたよりずっとショックが大きい。
でも、あたしの動揺なんて気づいてないのか、キョウ君は話を続ける。
「繭墨の好きな相手って知ってる?」
「えっ」
思いもよらない質問に、また言葉に詰まってしまう。
「う、うん、知ってる、けど……」
「直路だよね」
「……うん。知ってたんだ、キョウ君も」
「本人から直接聞かされてね……、それがたしか、去年の12月だったから」
「え、それって知り合って割とすぐの頃じゃない」
あたしたちが進藤君の紹介で初めてキョウ君の部屋に行ったのは、球技大会の少し手前だった。だからたぶん、10月の頭くらいだったはず。
「そうなるね。で、そこから半年以上経ちまして、いまだに繭墨はこそこそと、直路のことを好きで居続けているらしいんだよ」
キョウ君の声が少しずつ大きく、荒っぽくなっていく。
「それ、ヒメが直接言ったの?」
「聞いたら答えてくれたんだけど……」
何それ。そういうこと話しちゃう関係だったんだ、キョウ君とヒメって。
「それが大概、うっとうしくなってきたんだ」
「うっとうしい?」
キョウ君らしからぬ乱暴な言葉に、ちょっとドキリとしてしまう。
「生徒会長になった理由も、立場的に偉くなって直路と並んで立つのにふさわしいようになるって……、それだけならまだしも、直路の方から告白してくるくらい、誰もが認めるデキる女になるつもりなんだってさ。どう思う?」
「どう……なんだろ」
よくわからない。
誰もが認めるデキる女になって、進藤君の方から告白させる――
あたしから言わせればずいぶん遠回りだし気の長い計画だし、あまりにも自意識過剰すぎると思う。恋愛の話って、少しくらいこちらからアクションを起こさないと、相手の視界に入ることだって難しいのに。
ゴールデンウイークにヒメの家に泊まったとき、夜遅くまで恋バナをしたけど、でも、そこまでディープな内容は出てこなかった。
「……ていうかキョウ君はどうしてそんなところまで知ってるの?」
「聞いたら、答えた」
うわ。
そういうこと、直接聞いちゃうんだ。女子に向かって。
……あたしもときどき、勢いだけで動いちゃうことがあるけど、キョウ君だってなかなかのものだと思う。
それに答えるヒメもヒメだ。
あたしの知らないところで、二人はずいぶん進んでいるみたい。
その進み方は、恋愛とは違う方向っぽいんだけど、安心なんてぜんぜんできない。
「ねえキョウ君、もしかしなくても、ケンカの原因ってそれなんじゃないの」
問い詰めると、キョウ君はぷいっ、と目をそらした。これは
さらにノートに顔を近づけ、シャープペンをせわしなく動かし始める。勉強に逃げる気満々だった。
「そうなるまでに何があったのか、教えて」
「ええ……」
超いやそうな顔をするキョウ君に、あたしはゆっくり話しかける。
「……あたし、昨日の質問ですごく傷ついたんですけど」
キョウ君の手の動きが止まる。
「過去の過ちをほじくり返されて、はずかしめられたって感じ」
「それは……」
キョウ君は黙り込んでしまった。
ノートに視線を落とすこと数秒くらい。
「わかったよ」
と、ため息交じりに応じてくれた。
あたし、キョウ君のこういうところはいいと思う。
自分の非を認めて、代わりのものを差し出すところ。律儀っていうか。
――そんなあたしの感心は、話を聞いていくうちに、どんどん低空飛行になっていって、最終的には墜落した。立て直しなんてできなかった。
雨でびしょ濡れのヒメを部屋に入れるのは、まあ許せるけど。
生徒会がらみのことで口ゲンカになるのも、真剣さの裏返しだと思うし。
でも、ヒメの恋路にまであれこれ口を出すのって、なんか違うんじゃないかな。
あたしのムスッとした表情を、ヒメへの反感だとでも勘違いしたんだろうか。
キョウ君はちょっとだけホッとした顔になった。
そこへあたしはずばり断言する。
「全部キョウ君が悪いです」
「ええ!?」
がっくりと肩を落とすキョウ君に、あたしはひとこと、付け加える。
「説明がそれで終わりなら、だけど」
なんとなく、まだ続きがあるような気がしてそう言ってみた。
キョウ君はバレたか、って感じで苦笑いを浮かべる。勘は当たってたみたい。
「ああ……、でも、ちょっとこの先は、勘弁して」
「そ。わかった」
ホントはすごく気になったけど、あたしはそう言って切り上げることにした。さすがにこれ以上を求めるのは、律儀を通り越して自己犠牲みたいな、度を越えたものになっちゃうから。
「じゃあ話を戻すけど、キョウ君ってどうしたいの?」
「どうって」
「進藤君に片思いを続けて、彼と釣り合うようにって一心で生徒会長までやっちゃって、しかも自分から告白する気もないのに自分の方へ振り向かせようとしてる、自信があるのかないのかさっぱりわからない――そんな繭墨乙姫を、どうしたいの?」
「百代もときどき結構キツいよね」
キョウ君は苦笑して、言った。
「……さっさと、くっついてもらった方がいいんじゃないかな」
「いいの?」
「いいに決まってる。この前の口論なんか片思いのとばっちりだからね。さっさと白黒つけてくれたら、周りに――主に僕に火の粉が降りかかることもない」
キョウ君の答えは、あたしが本当に聞きたかったものとは少しズレていた。きっと、わざとズラしたんじゃないかなって思う。キョウ君ってこういうところ鋭いし、すぐ避けようとするから。
「そっかぁ。じゃあ、久しぶりに4人で勉強会とかしちゃう?」
「いいね。その途中で繭墨と直路の二人きりにするとか」
「なんか、クリスマスのときみたい」
あたしは純粋に、ただそう思っただけなんだけど、キョウ君の捉え方は違ったみたい。まずいところに触れてしまった、って露骨に顔をしかめるんだもの。
「あの、そんな反応されたら逆に傷つくんですけど」
「この話題は地雷が多すぎるって……、でも、そんなわかりやすかった?」
「バレバレですー。そんなんでよくコンビニで下着とか買えたよね……」
「それは関係ないだろ。おかげであの店へ行きづらくなったし」
「やっぱりキョドりまくってたんだ。そのときの防犯カメラとか超見たい!」
「エロ本買いに来た中学生と同レベルだったと思うよ」
「でも実は部屋に上げた女子の下着を買いに来てたなんて、意外とアダルティ♪」
「アダルティってあんた」
「あの部屋のバスルームは、少なくとも二人分のJK汁を飲み込んでるんだよね。そう考えたら超優良物件じゃん」
「JK汁って言い方……」
「じゃあ……、なに? 乙女の雫?」
「それもちょっと。むしろJK汁より危険な感じがする」
「えー、どこが?」
「JK汁だったら冗談で済ませそうだけど、乙女の雫ってなんかこう偏執的な本気を感じるというか、風俗の裏メニューっぽい響きがあるというか」
「ふっ……! ……きょ、キョウ君、まさかそういうところ……」
「いやいやいや、ちょっとどうしたの百代ぶっ飛びすぎじゃない?」
「そっちが変なこと言うからでしょ!?」
とそこでさすがに見かねた図書委員が間に入ってきて、図書室ではお静かに、という決まり文句をあたしたちに向けて言い放った。
周りで勉強していた人たちも結構な数が手を止めてあたしたちを見ていた。それはうるさい黙れという険悪な視線ではなく、なんだこいつらという呆れの感情がたっぷり乗っていて、それはそれでつらいものがあった。
あたしたちはそそくさと立ち上がって、逃げるように図書室から出た。
……うん、確かに変なことばっかり言ってたし、ぶっ飛んでたと思う。
それはきっと、久しぶりの悪だくみに心が躍っていたせいだ。
それと、キョウ君の口から、ヒメと進藤君をくっつけようとするような言葉が出たことに、浮かれていたんだと思う。
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