第42話 迷宮入りということにしておきたい

 ゴールデンウイークが明けると、三毛猫のパトリシアは海外旅行から帰ってきた倉橋キツネの家へ戻された。倉橋家一同は百代の善意に深く感謝していたという。ただ、お土産のエッフェル塔の模型について百代は「ありえないよね」と一蹴していた。


 僕の方も異常なし、平常運転――と行きたいところだけど、どうしても、千都世さんとのあの出来事が尾を引いてしまっていた。ふとした瞬間に思い出しては、顔が熱くなったり手が止まったり、逆に気を紛らわそうと一心不乱に動いてしまい、それがバイト中だったりすると長谷川さんに制止される、そんな日々が続いていた。


 学校では、繭墨と百代から、ときどきこちらの様子を探るような視線を感じたが、直接、何かを尋ねてくることはなかった。


 あいまいな態度をされると居心地が悪い。しかし、言いたいことがあるなら直接言えばいいじゃないか、なんて強気には出られない。

 それは藪をつついて蛇を出す蛮行だ。触らぬ神に祟りなしなのだ。そう言い聞かせて僕は結局、現状維持という安全地帯に逃げ込んでしまうのだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「そろそろ衣替えだな……」


 五月も下旬に差し掛かったある日の昼休み、赤木が切なげな声で言った。


「そうだね。梅雨入りも近そうだし」

「夏服だな」

「読んで字のごとくだね」

「薄着だな」

「通気性を考えたら当然そうなるよ」

「透けるな」

「主語を」

「お前もうちょっと乗ってこいよぉ!」


 赤木が大きな声を出した。ケガで部活から離れた元エースのふがいない姿を叱責する補欠部員のような、必死さを感じる声だった。


「僕はそういう話を学校でしないようにしているんだ」

「なんで」

「聞かれたら困るからだよ」

「別にこんな、ちょっとした冗談じゃねーか」

「女子の耳に入ってもそんなことが言える?」


 それは、と赤木が口ごもる。


「でも、あいつらだってそんな話で顔を赤くするようなタマじゃないだろ、気ぃ使いすぎじゃねーのか」

「そう、そんなタマじゃあない。だから問題なんだ」

「阿山?」

「こういう話を聞いたあと、夏服に代わってから、実際にじろじろと嘗め回すような視線で女子の背中を追いかけていれば、冗談では済まなくなる、そういう話さ」

「大丈夫、オレのチラ見のスキルは完璧だからな」

「女子の察しの良さは、そんなもの簡単に上回ってくるよ」


 そう断言すると、それまで自信と余裕のある様子だった赤木が眉をひそめる。


「阿山お前……、何かあったのか?」

「些細なことだよ」


「僕がある女子と雑談をしていたとき、ふと、相手が〝山〟という単語を発したんだ。その瞬間、僕はその女子の〝山〟にあたる部分に視線を向けてしまい――それに気づかれてしまった。それだけの話さ」

「お前も割とウカツなやつだな……。で、その名峰とはいったい……?」


 僕はゆっくりと首を振った。


「どうした?」

「残念ながら、山? くらいの起伏しかなかった」

「そうか……、じゃあ繭墨のことだな」

「あれなんでわかったの?」

「お前とかかわりのある女子って言ったらあの二人しかいないし、片方はクラス最高峰を競うレベルだから、消去法で繭墨一択だろ」

「まあそうなんだけど……、決してそういう目で見ちゃいけないよ」

「わかってるって、察しがいいって話だろ」

「そんな生易しいもんじゃない。持ち前の察しの良さで見抜いた弱点を、容赦なくエグってくる実行力の持ち主なんだよ」

「ふぅん……? 繭墨って確かに見た目は冷たそうだけど、そこまでヤバいやつでもないだろ」


 と、赤木はのんきなことを言う。

 こいつはまだまだ繭墨のことをわかっていないようだ。ここはひとつ、繭墨乙姫の危険性を教えてやるとするか。


「相撲でからめ手とえいば何を思いつく?」

「急だなまた……、猫だましとか、変化くらいじゃねーのか? ほら、立ち合いのときにヒョイと避けるやつ」

「繭墨なら相手にカネを渡すよ」

「〝強く当たったらあとは流れで〟?」

「そういう、手段を選ばないところがあるんだ」

「いや、でもさすがに――」


 赤木の顔が驚きに染まる。どうしたんだろう一体。

 僕の疑問に答えたのは赤木ではかった。


「はいどうもごっつあんです。東前頭ひがしまえがしら三枚目、繭墨山が通りますよ」


 繭墨が平坦な口調で、バカ話をしている僕たちの横を通っていく。

 が、ふと立ち止まって視線を落とすと、


「……ああ、失礼しました、起伏のないやつが山だなんておこがましいっすよね、自分、繭墨海に改名いたします。胸を借りるつもりで百代山にぶつかる所存っす、胸がないだけに」


 謎の力士口調でそんな言葉を言い残し、立ち去っていった。


「……やべえ、超聞かれてたっぽいな」

「赤木のいうとおり、ちょっと迂闊だったね」


 僕はもうダメかもしれない。今の失言をことあるごとに持ち出されてはネチネチと責め立てられる、そんな学校生活が待っているのだ。


 大いにへこんでいると、赤木が心配そうな声で聞いてくる。


「お前、なんかあったのか? 最近ちょっとボンヤリしてるし、実際、今も繭墨に気づいてなかったし」

「ああ、うん、まあ、ちょっと……」


 傍目にもわかるくらい、まだ動揺が残っているらしい。

 相談をするか、少し迷った。

 ただ、赤木なら千都世さんとは面識もない、完全に無関係なので、万が一にも感づかれることはないだろう。

 いくつか言葉をぼかして、赤木に事情を話してみることにした。


「男の子には、昔、好きだった人がいました。近所の、少し年の離れたお姉さんです。向こうもこちらを可愛がってくれましたが、それはあくまで弟に対するもの、告白したところでどうにもならない――と男の子はあきらめていました」


「ひとついいか?」

「何?」

「なんで物語口調なんだよ。あと、男の子ってお前のことじゃないのか?」

「照れ隠しだよ察してよ」

「お、おう、悪ぃ……」

「そして数年後、再会したお姉さんが驚くべきことを口にしました。男の子のことを好きだというのです。弟としてではなく、一人の男性として」

「おう……、で?」

「男の子はどうしたらいいんだろう」

「ああ、物語は終わってたんだな」


 赤木は苦いものを口にしたような顔になる。


「好きにしてくれとしか言えねえ」

「そこをなんとか」

「なんだこれ? 自慢話?」

「違うよ、そんな拗ねないでさ」

「す、拗ねてねえよ、うらやましくもねえし」


 赤木がプイと顔をそむける。赤木こいつでさえなければ可愛らしい仕草だった。

 

「簡単にお姉さんとくっつくっていう話じゃないんだよ」

「なんで。……あ、わかったぞ。お姉さんが昔のイメージほど美人じゃなかった」

「いや、そういう理由とは違う」

「なら単純に、他に好きな人ができたんだろ」

「いや、男の子は変わらずお姉さんのことが好きらしい」

「両想いなのに付き合えない……、あ、そうか、男の子、てめえ!」


 赤木が肘打ちを繰り出してくる。直撃した二の腕が痛い。


「あ痛、何するのさ」

「謎は解けたぞ。男の子にはすでに、軽い気持ちで付き合い始めた彼女がいる!」

「いや、いない」

「んだよぉ……、じゃあもうわかんねえよ、迷宮入りだよ」


 赤木は投げやりに言って天井を見上げる。


 お姉さんは相変わらずきれいで、

 男の子は相変わらずお姉さんのことが好きで、

 男の子に別の好きな子ができたわけではないし、

 男の子には付き合っている彼女もいない。


 客観的に見て、お姉さんと付き合わない理由がない状況だ。


 そうしないのは、赤木に隠している「男の子とお姉さんは本当の家族である」という情報のせいだ。

 

 ……本当にそれだけか?

 好きだと言葉で示されたわけではないからとか、姉弟で付き合うことになれば両親に迷惑がかかるとか、いろいろ理由をつけて逃げているだけなんじゃないだろうか。


 これ以上進むのはおっくうだ。

 この問題はここで迷宮入りということにしておきたい。


 ただ、はっきりしていることが一つある。

 僕が千都世さんの「相手の出方を待つ」という言葉に甘えているということだ。


 赤木のおかげで、自分の気持ちが自分でもよくわかっていない、ということはよくわかった。一応、礼を言っておこうと隣を見ると、


「なあ……、そのお姉さんって、要は幼馴染だろ?」


 赤木は静かな声で話し出した。

 初めて会ったのは小学校6年のころだ。ギリギリそうと言えなくもない。


「それに近いね」

「そうか……、オレにだって幼馴染の女の子の一人や二人、いるんだぜ?」

「今もよく遊んでたりするの?」

「結婚の約束とかも、したんだぜ?」

「定番だね」

「いつもオレの後ろをついて来たりしてな……」

「赤木にも物語があるんじゃないか」

「ねぇなんの話?」


 といきなり女子の声が割り込んできた。百代だった。


「……どこから聞いてた?」


 恐る恐る、しかし平静を装って尋ねると、


「幼馴染のお姉さんがどうの、って赤木君が言ってたところ」

「そうか」


 なら大丈夫だ。何も聞かれていない。

 適当に話を合わせていれば、もうすぐ昼休みも終わりだ。時間が解決してくれる。

 そんな風に、残り時間は流す方向で考えていのだが、


「男子って幼馴染が好きだよねぇ」


 と百代が聞き捨てならないことを言った。


「え? そう?」

「男の子向けのマンガのヒロインって、幼馴染、多くない?」

「ヒロインというより当て馬になる方を最近はよく見るけど。女性キャラクターが何人かいれば、必ず一人は幼馴染キャラがいるのは間違いないよね」


「その理由をあたし考えたの。そして答えが出ました」

「ほう」

「それは」


 興味深い話である。僕と赤木は身を乗り出す。


「男子が幼馴染というものに夢を見すぎているから、だから幼馴染キャラで釣ろうとしてるんだよ」

「身も蓋もなかった!」


 とはいえ、百代らしからぬ分析眼である。もう少し突っ込んでみようか。


「夢というと、具体的には?」

「自分だけを頼ってくれる、だからオレが守らなきゃっていう勘違い」

庇護欲ひごよくを刺激するタイプだね」

「あと、結婚とか将来の約束みたいな形のないものにすがる女々しいところ」

「あー、よくある美しい思い出ってやつだね」

「それと……、これが一番いっちばんイタいんだけど、何年たっても無条件で自分のことを好きでいてくれるっていう意味不明の思い込み」

「キツイ、百代キツイよ、幼馴染に何か恨みでも?」


 軽い気持ちで尋ねると、百代は眉を寄せた。


「この前の連休中に偶然会った同級生の態度がそんな感じだったから――そう、お前まだオレのこと好きなんだろ? っていう自意識過剰ジイシキカジョーさが言葉のあちこちから臭ってくる感じ。話聞いてるとだんだんアタマきちゃって、いったいいつの話してんのよ、あたし、あんたの下の名前しばらく思い出せなかったんですけど、って言って帰ってきちゃった」


「すさまじいね百代は」

「でしょ」

「もうちょっと出力抑えた方がいいよ。男子という生き物は、百代が思ってるよりずっと繊細なんだから」


 僕は横目で、さっきから黙り込んだままの隣人を見やる。

 赤木は真顔で視線を落とし、口は半開き。何か強い精神的ショックを受けたかのような、茫然自失のていだった。この日を境にして、赤木の口から幼馴染について語られることはなかった。

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