第36話 繭墨の高重力トレーニング

 僕が栄えあるクラス委員長になった、その翌日。

 いつも通りの時間に登校すると、校門前に繭墨が立っていた。


「ヒーローのお出ましですね」


「あ……、おはよう繭墨」


「はい、おはようございます、ひとつ上の阿山君」


「まさかイジり一番手が繭墨とは思わなかったよ」


 ため息交じりにそう言うと、繭墨は心外だとばかりに唇を尖らせる。


イジりだなんて。これはわたしなりの気づかい、思いやりなんですよ」


「へえ、気づかいね……」


「はい。長距離ランナーがよく行っている高地トレーニングのようなものです」


「その心は」


「酸素の薄い高地の厳しい環境に耐えることができれば、平地ではより高いパフォーマンスを発揮できます」


「高地……」と僕はつぶやく。


 繭墨は自らを高地と言ったが、女子の高地といえば、まあ、すいません、ある一点に目が行ってしまう。そして繭墨のそれは、はっきり言って標高が高くはない。

 ただ、それを口にしたら僕はおそらく教室に居られなくなるので黙っておく。


 繭墨の言うトレーニングとはおそらくこういうことだ。クラスメイトからの中傷やからかいを、前もって予想しておくことで、本番に耐えられるように精神を鍛えようというのだろう。


 そう理解して、繭墨と目を合わせる。

 それが合図だった。


「阿山君はヨーコのことが好きなのですか?」

「……僕はクラス委員長の座がほしかっただけだよ」

「ではクラスメイトの公僕としてどんな要求にも従うと?」

「それが委員長の職務の範囲なら」

「あのキャラづくりはどうかと思いますよ」

「あれしきのもの、僕が持つ数多の仮面の一つに過ぎない」

「格好いいと思っているのですか? あれが?」

滑稽こっけいさを自覚してこその道化どうけだよ」

「少し脱線気味ですね」

「……うん」


 二人してうなずき合い、しばしクールダウン。


何も知らない赤の他人・・・・・・・・・・への建前は、きちんと用意できている、ということにしておきましょう」


 繭墨の視線が鋭さを増した。


「ここからは、本当の動機についてのお話です」

「本当も何も」

「ヨーコをかばった理由を、自覚していますか?」

「まじめな話?」

「まじめな話です」


 と繭墨は真顔でうなずく。本音を語れと要求されているのがわかった。そこまでする義理はないと突っぱねることもできたが、僕はそうしなかった。このトレーニングが彼女なりの気づかいだと、なんとなくわかったからだ。


「僕のお節介が、百代と直路を別れさせてしまったかもしれない。だから、その罪滅ぼしにっていう自覚はあるよ」


「それだけですか?」


「あと、ホームルームの直前に、倉橋に聞かれたんだ。百代と直路がヨリを戻したんじゃないかって。そのときすでに、百代が嫌がらせを受ける可能性のヒントはあった。早く気がついていれば、もっと上手に対処できたはずだから」


 繭墨は僕の言葉を咀嚼そしゃくするように、ゆっくりとうなずいた。


「つまり、二つの後悔が動機ということですね」


「そうだよ」


「まだほかに語っていないことはありませんか?」


「ないよ。というか、その二つだって相当に踏み込んだ打ち明け話なんだけどね」


「わかりました」


 繭墨は小さくうなずき、話を続ける。


「思いのほか、自分の内面を理解しているようですね。それでは、わたしはあなたを外側から見ていきましょうか。……客観的に見て、阿山君はヨーコを守りましたね」


「そうだね」


「進藤君は動きづらかったでしょうね。倉橋さんは進藤君に好意を持っていますから、進藤君がヨーコをかばえば、倉橋さんの反応は激しいものになったはずです」


「だろうね」


 去年も同じクラスだったせいか、繭墨は事情をよく知っている。


「ということは、阿山君は、進藤君に代わってヨーコを守った、ということになりますね」


「……結果的にはね」


「誰もが一目置く進藤君にもできなかったことを、阿山君はやり遂げたわけです。――その事実に優越感を覚えましたか?」


 後ろから鈍器で殴られたような気分だった。


 ……何が高地トレーニングだ。これは、そんな生易しいものじゃない。某バトル系マンガでおなじみの高重力トレーニングだ。


 繭墨の言葉はワンセンテンスごとに僕の精神を圧迫していった。特に最後の質問は過酷にすぎる。

 無自覚だった恥部をあばかれて、僕は逃げ出さずにいるのがやっとだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 トレーニングは繭墨だけにとどまらなかった。

 精神的ダメージを回復しつつ校舎脇の歩道を歩いていると、グラウンド内からデカい声で呼び止められた。直路だった。


 そして僕たちはフェンス越しに話をした。


「キョウお前もしかして、百代のこと、好きなのか?」


「なんで」


「だってあんな、バカみたいな芝居までして……」


「バカみたいとは何さ」


「じゃあナニか? お前まさかあれ格好いいと思ってんのか?」


「んなことはない、僕だってわかってやってるんだよ」


「そうか……、ならよかった」


 直路は割と本気で心配しているようだった。

 申し訳ないと思う反面、その融通の利かなさをうっとうしくも思う。

 少しは冷静でいられたのは、繭墨の高重力トレーニングのおかげだろうか。


「で、話はそれだけ?」


「いや、あの猿芝居のことはどうでもよくて」


「じゃあ何」


「だから、百代のことだ。オレとあいつはもう切れてるんだから、昔のことは気にするなって言いたかっただけだ」


「その言い草は自意識過剰だよ。僕はそんなこと気にしてないし、だいたい言われるまで忘れてたくらいだし、それに百代はもう直路の所有物じゃないし」


「お、おう……、でも、委員長になって内申点がほしいとか、本気で言ってるわけじゃないんだろ。それってつまり、やっぱ百代のこと――」


「だとしても直路が口を出すことじゃないだろ」


「おう、そりゃそうだ。でも、そうか……、お前が百代のことをなぁ」


「だとしても、って言ったじゃないか、仮定の話だよ」


「そういうことにしといてやるか」


「んじゃ僕はもう行くよ」


 不毛なやり取りを打ち切って、僕はフェンスから離れようとする。

 

「あ、待て待て、ちょっと相談があるんだ」


「えぇ……」


「つい二日前に入ったばかりの新人なんだが、そいつがオレに対して妙に馴れ馴れしいんだよ。うまい注意の言い方とか、思い浮かばねーか?」


「舐められてるってこと?」


 伯鳴高校ウチの野球部は、体育会系とはいえ雰囲気はユルかったはずだ。上下関係にも厳しくなく、下級生がレギュラーをとってもそれほど妬まれることもない。まあ、すべて直路から聞いた話だ。こいつのような圧倒的な実力があれば、先輩だって文句は言うまい。


 ただ、そんな絶対的エースに対して舐めた態度を取る一年生というのは、どういうやつだろう。


「実力に自信があるタイプ? 俺が勝ったらエースナンバーはもらいますよ、みたいな感じで突っかかってきてるとか」


「いや、そういうんじゃないんだが……、まず距離が近い」

「うん」

「あと、身体をべたべた触ってくる」

「ほう」

「腕を揉んできて、うわぁ先輩いい身体してますねぇ、って」

「うほっ」

「なんだ、うほって」

「お気になさらずに」


 僕は咳ばらいを一つ。


「……馴れ馴れしいってのは要するに、ベタベタしてくるってだけのことなんだね」

「ああ。礼儀とかはちゃんとしてるんだが……、やっぱりほかのメンバーよりも明らかにオレだけこう、特別扱いなんだよな。周りの目も厳しくなってきたし」


「そりゃあそうだろうね」


 グラウンドで薔薇バラの開花宣言なんかされた日には。


「ドリンクの補充とかもオレ最優先だし、ストレッチのとき強引に割り込んできたりして、……やっぱ身体が密着するだろ、1年とはいえそれなりに出てるところは出てるから、ちょっと目のやり場に困ったりするし」


「ちょっと待った」

「なんだ」

「さっきから話してる馴れ馴れしい1年って、ひょっとして女子マネのこと?」

「ん? ああ、言わなかったか?」


 僕は沈黙した。

 直路の苦労に同情するふりをしつつ、その受難を上から見て楽しんでいたというのに、認識が反転してしまった。結局ただのモテ自慢だったわけだ。

 

「ドラッカーの〝マネジメント〟って本でも読ませたらいいよ」

「なんだそりゃ?」


 首をかしげる直路を置いて、僕は今度こそグラウンドをあとにした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 教室に入ると、先に来ていた赤木が話しかけてきた。


「阿山お前、男だな」


「そう信じて今まで生きてきたけど」


「性別のことじゃなくて、心意気っつーか男気があるってことだよ」


「そう見てくれるのはうれしいけど、あまり広めないでよ。バカが調子に乗ってバカをやっただけ――そういうことにしておいた方が倉橋たちも対処に困ると思うから」


「わかった。でもあのキャラはないわー」


「作り込む時間がなかったんだよ」


 例外的に理解を示してくれている者もいたが、クラスメイトの反応は大別すると以下の3つだった。


 百代との関係を疑う者。

 内申点に執着する成績優秀者、というキャラづくり説を推す者。

 本気で内申点が欲しいだけのいけ好かないガリ勉、と見る者。


 いずれも腫れもの扱いであることには変わりなかった。

 百代との関係を疑う、というのは比較的健全に思えるが、実際は倉橋との敵対という面倒ごとがついてくるため、やはりクラスメイトはあまり近寄りたがらない。


 教室内にいるとはっきり見られているとわかるほどだった扱いも、ゴールデンウイーク前には落ち着いていた。

 七十五日しちじゅうごにちの半分もかからなかったのは、時代の変化だろうか。

 昨今のコンテンツ大量消費時代においては、人の噂のサイクルすら高速化されているのかもしれない。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 ところが、噂は消えても、敵意は消えなかった。

 あるいは単純な思い付きなのかもしれない。ちょっとした面倒ごとができた、そういえばあいつ気に入らないからこれをぶつけてやれ、という程度の軽い気持ちで。


 ゴールデンウイーク前の、最後の平日。

 朝のホームルームが終わった直後ののんびりとした時間帯に、クラスメイト達はみな、連休の予定を楽しそうに語らっていた。


 赤木はデートの予定を自慢げに話していた。途中からそれが彼の作り話であることには気づいていたけれど、僕は決して事実を暴くことはしない。聞き流しながら、


 彼女は妄想、

 ルートは空想、

 感情が暴走、

 したあとで失笑。


 などとバイブスのアガるクールなライムを心の中でフロウさせたりしていた。

 そんなときだ。


「ねえ委員長」


 倉橋が僕に声をかけてきた。

 クラス委員を決めた、あのホームルーム以来だ。

 取り巻きの3人を引き連れて、座ったままの僕を見下ろしてくる。


 隣の赤木は観戦モードだった。目が楽しそうだ。


「倉橋さん。どうしたの」

「あたし、連休中に海外旅行いくんだよね、ヨーロッパ」

「バッキンガム宮殿はいいよ」とっさに思い浮かんだ名所を口にする。

「はぁ? あんたのおすすめとかどうでもいいし」

「そうだね、僕はどうでもいい男だよ」

「でぇ、ウチって猫飼ってるんだけど、さすがに連れていけないし、クラスを代表する委員長に、ここはひとつ、預かってもらえないかなって」


 どこまでが本気かわからない発言に、僕は倉橋のキツネ顔を見上げた。

 僕の反応を可笑しがっているような表情。


 これは様子見されているのだと判断。

 仮に僕が受け入れれば、嫌なやつに面倒ごとを押し付けることができて万々歳。逆に僕が断った場合は、クラス委員のくせに困ってる生徒を見捨てるのか、などとむちゃくちゃな理屈で批判を展開して、気晴らしにするという使い方ができる。どっちに転んでも損のない、実にお手軽な嫌がらせだ。


 倉橋も本心では僕が受けるなどとは思っていないだろう。だから実質、完全なる嫌がらせだ。少しでも困っているそぶりを見せてくれたら、こっちだって助けてやらないでもない、という気持ちが湧き起こらないでもないかもしれないというのに。


 たとえば、そう……、「アタイの猫の面倒を見てほしいコン、お願いするコン」と語尾をキツネ語にするなら考えないこともないのだが。そういえばキツネって本当にコンって鳴くのかな。


 そんなくだらないことを考えていると、


「あのー、倉橋?」


 と百代が横から入ってきた。

 話がこじれそうだからあまり来てほしくなかったんだけどな……。


「いま委員長と話してるんだけど。何?」


 倉橋の冷淡な態度にも百代はひるむことなく、背筋を伸ばして胸を張った。


「えっと、猫の世話だったらあたしがやるよ?」


 誰かさんよりもよほど高地らしいそこ・・に手のひらを当てて、挑発的に口元を上げてみせる。

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