第37話 それなら胸を張って

「キョウ君、ごめんなさい!」


 昼休み。

 学食から教室へ戻るなり、百代に両手を合わせて拝まれてしまった。


「え、何。どうしたの」


「さっきお父さんに連絡してみたんだけど、猫を預かるの、断られちゃって……」


 百代は申し訳なさそうに眉をハの字にしている。


「まあ、急な話だし、仕方ないんじゃないの。それに謝る相手は僕じゃなくて倉橋の方だと思うけど」


「うっ、それは、そうだけどぉ……」


 言葉に詰まる百代を、繭墨がフォローする。


「今さら駄目でしたなんて前言をひるがえしたら、倉橋さんはきっと、ネチネチと嫌味を言ってきますよ。ヨーコはもちろん、阿山君にも飛び火するでしょう」


「ありえない話じゃないね」と僕は同意する。


「うう……」


 百代が小さくなる。精神的に。

 そんな様子を見た繭墨は、小さくため息をついて、紙切れを取り出した。


「ヨーコ、はいこれ」


「ん? なぁに?」


「倉橋さんへの確認事項よ。猫を預かるときのチェックリスト。これを彼女に見てもらって、注意点を洗い出してみて」


「ヒメ……、ありがとぉ……」


 感激する百代だったが、しかし、僕は首を振った。

 その気づかいは、猫の預かり先問題の解決にはなっていない。


「いやいや、喜んでる場合じゃないよ? いくら確認したところで百代のお父さんが許してくれるわけじゃないんだから」


「何を言っているんですか、阿山君」

 と繭墨が首をかしげる。

「場所ならひとつ、融通の利く部屋があるではありませんか」


「はぐらかすのも面倒だからズバリ確認するけど、それって僕の部屋のことだよね。ウチのアパート、生き物禁止なんだけど」


「数日程度ならば大丈夫でしょう」


 こともなげに繭墨は言う。


 住人の素行確認、という点では確かに不安は少ないだろう。今のアパートに引っ越してから1年以上経つが、僕は入居初日以外で大家さんに会ったことがない。


「そのときは大丈夫でも、猫だと痕跡が残るじゃないか。ひっかき傷とか」


「解決策がないわけではありません」


「え、そうなの」


「はい。倉橋さん側の対応次第というところはありますが……」


「へえ……、って問題はそこじゃなくて、バレたときのリスク――」


「そんなことより、さっきのセリフ、もう一度言ってくれませんか?」


 繭墨がまるっきり話を変える。


「さっきのって?」


「〝喜んでる場合じゃない、いくら確認したところで――〟」


 記憶の呼び水になるように、繭墨が僕の口調を真似る。


「ああ……、〝百代のお父さんが許してくれるわけじゃない〟……だったっけ」


「まるで結婚を申し込みに行って断られたかのようなセリフですね」


「無理矢理そういうの捻じ込まなくてもいいから」


「曜子さんを僕に下さい」と繭墨。


「ちょっと黙ろうか……、ほら百代、そのメモもって倉橋に確認」


「う、うん」


 僕はそう指示して百代を遠ざけた。こんな冗談ごときで顔を赤くされると、こっちの調子が狂ってしまう。

 

「さて、妙なことになりましたね」


 と繭墨が首をかしげる。


「いったい誰のせいだろう」


「それはもちろん、ゴールデンウイークに海外旅行というセレブリティ倉橋家の皆様の責任でしょう」


「ええ……、そう来ちゃう?」


「わたしも猫の面倒を見に行きますから」


 それによってすべての問題は解決します、と言わんばかりの平然とした口ぶりだ。繭墨の強引さの前には抵抗など無意味。僕はもう猫を預かるという流れをほぼ受け入れてしまっていた。


「ところで、猫好きなの?」


「はい」


「ふぅん……」


「意外ですか?」


「ん……、意外っていうか、猫とか犬とか、そういう種のレベルを通り越して、生きとし生けるものを嫌悪しているんじゃないかと思ってたから」


「ずいぶんな言い草ですね。人間に比べればどんな動物もかわいらしいものですよ」


「ずいぶんな言い草が返ってきた……」


「動物にあるのは本能だけなので、味方であるにせよ敵に回すにせよ、シンプルで好ましいです。それに比べると、人間というのは面倒でしょう。本能と理性がせめぎあった末に、ろくでもない結果に至ることが、多々ありますから」


「予想がつかないってこと?」


「それもありますが……、予想できたとしても、動物相手のように、強引に片付けることができませんから。権利を主張して反発しますし、一度叩いても、いつかどこかで、何がきっかけになって敵意を蘇らせるか、その予想が特に困難です」


「怖いよ繭墨、その激しい主張が怖い。なんか哲学の本でも読んだ?」


「ただの実感です」


 その返事がなおのこと怖かった。極端な主張は書物か何かの受け売りではなく、自分の経験からくるものだと言っているのだから。


「そういえば阿山君は、動物は大丈夫なのですか?」


「猫アレルギーですって言ったら考え直してくれる?」


「当たり前じゃないですか。わたしを悪魔か鬼畜のように思っていませんか?」


「思ってないけど……」


 思ってないけど、ときどき、その片鱗のようなキツイ言葉を食らうことがあるので、僕はつい言葉を濁してしまうのだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 しばらくして、百代が倉橋のところから戻ってきた。意外なことに笑顔だった。


「あのね、思ってたより心配いらなさそうだよ」


 と百代が説明を始める。


「家の壁とか柱を爪で傷つけないように、爪キャップつけるって」


 爪キャップとは、猫の爪につける樹脂製のカバーのことだ。接着剤で取り付けるので、簡単には外れないようになっている。爪が伸びてまた付け直すまでは1か月程度のサイクルなので、今回の預かりのときはずっとつけたままで大丈夫らしい。この処置によって、爪で家財を傷つけることはほぼないという。


「そう、よかったわ」


 と繭墨がうなずいた。猫を飼うときの問題で特に大きなものが、爪とぎという習性によって家財に傷がついてしまうことだ。

 爪とぎは猫が爪を文字通り研いだり、あとは縄張りを主張するマーキングの一種として、あとはストレス発散の行為だと言われている。


 本来、猫の爪とぎは本能によるものであるため、爪キャップでガードするよりも、特定の爪とぎ場所を用意してやるのがベストらしい。しかし、躾けるのに時間がかかるため、一時的な預かりのときには向かないやり方だ。


「意外とちゃんとしてるんだなあの倉橋キツネも」

「うん、ヒト様の家へ預けるんだから、それくらい当然っしょ、だって」


 トイレに関しては、猫は砂のある場所を本能的にトイレと認識するので、猫砂を用意するのが最も簡単だという。


「紙製の猫砂があるみたいだから、ゴミに出すときのこと考えたらそれを使った方がいいんだって」


 また、食事については、普段食べているキャットフードの銘柄を確認済み。


「あと、部屋はきちんと片付けること。雑貨や小物は猫パンチの標的になるみたい。ドアや引き戸はしっかり閉めておかないと、ちょっとした隙間でも強引に開けるくらいの力はあるんだって」


 そう百代が報告を終える。


「だそうですよ、阿山君」


 と繭墨が僕の方を見た。


「……わかった、気をつけるよ」


 僕はため息をついて応じると、百代がうれしそうに目を見開く。


「えっ? キョウ君、預かってくれるの?」


「まあ……、仕方ないよ。でも、引き取るのは百代が行ってよ。形の上では百代が預かることになってるんだから。僕の名前も出さない方がいいだろうね」


「うん、ありがとうキョウ君」


 百代の満面の笑みを見ながら、これはよくないな、と思う。


 委員長推薦に割り込んだり、猫を代わりに預かったりと、このところ僕は立て続けに、身を挺して百代をかばっている。


 繭墨に言われるまでもなく、客観的に見て、百代に気があると思われても仕方のない行動だ。


 委員長の件は自分で決めて行動を起こした。……そちらの動機については、繭墨にコテンパンにされたのであまり考えたくない。


 猫の件は百代の自爆なので、本気になれば突っぱねることはできる。

 それをしないのは、百代の行動が僕のためだったから――僕をかばうつもりだったからだ。きっと委員長の件の恩返しのつもりだったのだろう。


 結果的にはあだになったが、恩を返そうとしたその気持ちを、無碍むげにするのは気が引けるから。

 今回の件を穏便に片付けないと、倉橋とのいざこざ・・・・が再燃しかねないから。


 そういう理由なのだろうか。

 それなら胸を張って猫を預かることができる、はずだ。


「……何か、ごちゃごちゃと面倒なことを考えていますね?」


 百代と注意事項を話し合っていた繭墨が、ふと僕を見た。


「そりゃ考えるよ。人間は考えるアシ、というじゃないか」


「ええ、理由があっても動けない人はたくさんいますね」


「保守的だって言いたいの?」


「阿山君に関しては、理由があるときの爆発力・・・は証明されているので、信じていますよ」


 と繭墨は先日のホームルームの件を揶揄やゆする。


「……あんなこと、頻繁ひんぱんにやらかしてたまるかっての」


「そうですね、阿山君は本来、思慮しりょ深い人格ですものね」


「なんの話?」と百代。


「阿山君はムッツリだという話よ」


「あー、うん、そうだねぇ確かに」


「昨日なんてわたしの胸を視姦して――」


 この話の流れはよくない。こちらの日頃の言動について、二人してチクチクと否定的な意見を述べる流れだ。


「ちょっとトイレに……」


 危機を察した僕はそう言い訳してこの場を離脱するのだった。

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