第35話 ちゃんとわかってるから
ホームルームは順調に進んで、ほとんどの委員が決まってしまった。
どうしよう。
残りはあたしが推薦されている、委員長の役職だけだ。
はっきり言って、そんなものはやりたくない。
人前に立ってあれこれ指示を出す仕事があたしなんかに務まるわけないのに、その上それを倉橋に推薦されて
だけど、あたしがゴネた分だけ時間が押して、みんなの帰りが遅くなっちゃう。
どうしよう。
どうしたらこの場を切り抜けられるんだろう。
〝はい〟か〝いいえ〟以外に、何か道はないのかな。
あたしのぐちゃぐちゃな気持ちなんてお構いなしに、進行役の子がこっちを見ながら口を開く。
「それでは……、最後に、委員長を決めたいんですが……」
「あの、先生」
進行役の言葉をさえぎって男子の声が上がる。
みんなの視線がその出所に集中する。
――キョウ君だった。
「はい、阿山君」
キョウ君はゆっくりとした動作で立ち上がって、変な笑顔を作った。アルバイトのときみたいな、作り物めいた笑い顔。
「委員長っていうのは内申点上がりますよね」
「はぁ?」
と倉橋がスットンキョウな声を上げる。
「阿山あんた今更そんなことして成績上げなくてもいいでしょ」
「いやいや、僕は推薦入学を狙ってるからね、そのとき内申点の高さは特に有利に働くはず。生徒会とかだとポイント高いだろうけど、その分しんどそうだから。委員長っていう程々の役職をこなして、少しずつ溜めていくつもりなんだよ。小さいことからコツコツと、そしてひとつ上の志望校を目指すんだ」
キョウ君は明らかにいつもとキャラが違っていた。大きな声で、まるでみんなに聞かせるように話をする。そして言葉を切って、あたしの方を見た。
「百代も内申点を狙ってるみたいだけど、残念だったね。裏で手を回して推薦させるなんて、アイドルオーディションの出場理由みたいなことをしたのが運の尽きだよ。友達が勝手に応募しちゃったんですぅ、ってやつ」
あたしは倉橋と顔を見合わせる。
なんだか、あたしたちがグルみたいに見られていた。
「ふふふ、推薦よりも立候補の方が強い。候補者の能力なんて関係なくね」
それからキョウ君は黒板の方を向いた。
高らかな声で宣言する。
「そういうわけで、僕はクラス委員長に立候補します」
微妙な空気になったけど、反対する人は出なかった。
キョウ君は女子の間で『ひとつ上の男』というあだ名をつけられていた。
授業が終わって、あたしはすぐキョウ君のところへ行きたかったけど、それは我慢しなきゃならなかった。
いつの間にか、スマホにこんなメッセージが届いていたから。
『しばらく学校内で接触禁止。倉橋につながりを疑われる』
◆◇◆◇◆◇◆◇
その日、僕は心を無にして仕事にはげんだ。
フロア係の作業というのはほぼルーチンワークだ。
僕はまず店内を1周して、補充の必要な商品がないかを確認をしていく。複数の場所で商品が減っている場合は、どこから補充していくかの優先順位も考えながらだ。
今日は少し暖かかったせいか、ペットボトル飲料の減りが目立つ。
よし、ここからだな。
僕は狙いを定めて作業に取り掛かっていく。
バックヤードの在庫置き場から商品を見つけ、手押しの台車に乗せ換えてから店内に出る。動作は
一度の往復ではまったく棚が埋まらない。
2度、3度と繰り返していると、ペットボトルの箱がだんだん重く感じるようになってくる。そうだ、これくらいの負荷がないと働いているという気にならない。
もっとだ、もっと重くなってもいいんだよ。
そうだ、二つ同時に持ってみようか――と試してみたが無理だった。ダンボール箱の取っ手が破れてしまったのだ。
一つずつ、その分スピードを上げて箱を乗せ換えることにする。
「いらっしゃいませー」「はいいらっしゃいませー」
店内はお客様の数が増えてきた。夕食の準備の買い出しをする主婦、会社帰りの勤め人、学校帰りの学生服の子供たち、それらの間を縫って台車を進めていく。進みが遅くてストレスがたまりそうになる。
……おっといけない、笑顔笑顔。
バックヤードに戻るとすぐさま商品の乗せ換え。1段、2段、3段……、4段目も行けるだろうか。次のダンボールに手を伸ばしたところで、肩にポンと手を置かれた。
副店長の長谷川さんだった。
「――ちょっと事務室行こうか」
◆◇◆◇◆◇◆◇
事務所に入ると、缶コーヒーを差し出しながら、長谷川さんが聞いてくる。
「で、何があったの?」
「何がって」
「阿山君ちょっと社畜モード入ってたじゃないか」
「なんですか、その一定時間経過後に完全無防備になりそうなモードは」
「実際そうだったじゃないか。明らかに前のめりだったよ」
そう言われると、それ以上反論できなかった。
長谷川さんはもう一度、聞いてくる。
「で、何があったの? 悩みがあれば聞くだけ聞くよ」
今日あったことを思い出しただけで、恥ずかしさで顔が熱くなる。
学校とは関係ない大人に話を聞いてもらえれば、少しはマシになるのだろうか。
僕は意を決して口を開いた。
「……それはまた、思い切ったことをしたね」
話を終えると、長谷川さんは苦笑いでそう答えた。
「状況が状況だったから、我ながら無茶をしたと思うんですけど……、冷静になってみると、あれで正しかったのか、僕は余計なことをしたんじゃないか、1人で突っ走ってしまってほかにもっとやりようがあったんじゃないかって、いろいろ考えてしまうんですよ」
「私は全部の状況を把握しているわけじゃないから、断言はできないけれど」
長谷川さんはそう前置きして、
「女子グループが大いに戸惑ったことは間違いないんじゃないかな」
「それは、まあ、そういう風に振る舞いましたから。変な奴っぽく」
「で、キミが守ろうとした女の子はその矛先から逃れることができた」
僕の話を聞いた長谷川さんは、僕が百代を守ろうとしたと、そう捉えたのだろう。
だけど、守ろうとした女の子、というフレーズはヒロイックに過ぎる。
認めるには抵抗があった。
僕は「たぶん」と頷いた。
「だったらキミの行動は正しかった、成功したと言えるよ」
「そうですかね……」
「まあ、人の心はスイッチみたいにキレイに切り替わらないし、時間差で変わっていくことも多いから、あとにならないと正確な結果はわからないけどね」
「ですよね……」
「それとも、犠牲にしたものを気にしているのかな?」
犠牲、という重い言葉にドキリとする。
今回のことで僕は、クラス委員長という立場と、内申点大好きの優等生というキャラクタを得た。それは僕の価値観からすれば明らかにマイナスのレッテルだ。
「だけど失った分、得たものもあるだろう?」
「それはまあ、内申点とか委員長という立場と経験とか……」
「あとは愛だね」
「アイって」
「今は相手のことより、その子を助けられたという事実をかみしめておきなよ。その方が精神衛生的にもいいから――」
長谷川さんの言葉の途中で、事務室の内線電話が鳴った。
短いやりとりのあと、長谷川さんは受話器を置いて、ニヤニヤとした笑顔で僕を見た。
「噂をすれば、だ」
「え?」
「受付から連絡があったよ。モモシロさんって子が来てるってさ」
「はあ……、でも勤務時間中なので……」
「阿山君は少し疲れているようだから、先に休憩を取るようにしなさい。これ、業務命令だからね」
◆◇◆◇◆◇◆◇
従業員用の通用口から外に出ると、百代が店舗の壁にもたれて待っていた。
「あ、キョウ君……」
「どうしたの?」
「今日のこと、お礼を言っておきたくて」
「いやいや、僕はただ委員長の座がほしかっただけだよ」
僕が芝居がかった仕草で肩をすくめると、百代はじとっとした目を向けてくる。
「そういうの、もういいから」
「あっはい」
これ以上しらばっくれても意味はない。僕は認めた。
「あたしを
「それはなんというか、転がり落ちた消しゴムを拾おうとして手を伸ばすような、反射的な行動とでも申しますか……」
嘘だった。
反射的ではまったくない。
百代が追い詰められていくのを横目に、僕は冷静にリスクとリターンを考えて、立候補するか否かギリギリまで迷っていた。
最終的に立候補を決めた理由は2つある。
ひとつは、倉橋に呼び出され、事前に百代への敵意を知ってしまったこと。それで何もできなかったのでは申し訳ないという気持ちがあった。
もうひとつの理由は、クリスマスの一件だ。
百代と直路が別れてしまうきっかけとなった出来事に、僕も一枚かんでいたという負い目があった。だから百代に借りを返さなければ、と思ったのだ。
どちらの理由も、百代には明かせないことだ。
「ふぅん……、そういうことにしといてあげる」
百代は納得がいっていない様子だった。
僕はさっさと話題を変える。
「……あのあと、キツネから何かされてない?」
「キツネ? ……倉橋のこと? キツネって……、あはは、キョウ君、
百代は声を上げてひとしきり笑ったあと、ゆっくりと首を振った。
「……ううん、大丈夫。今のところは何もないよ。キョウ君のことも、なんか呆気にとられてたから。取り巻きの子たちも、どうすんのアイツ、みたいな感じで」
「キツネにつままれたみたいな?」
「そうそう、
「学校じゃこの話題は出さないようにしとくよ」
僕の言葉に、百代の笑顔がすっと静まる。
僕が送った注意のメッセージを思い出したのだろう。
「そうだよね、あたしとキョウ君は関係が薄いってことにしとかないと、キョウ君がひと芝居打ってくれた意味がなくなっちゃうもんね」
「我ながら、なかなかインパクトあったと思うんだけど」
「うん、みんなびっくりしてた。新学期早々そんなに新しいキャラ付けがしたいのか、みたいな、痛々しい感じで見られてたよ」
「ですよね」
「でも大丈夫、あたしはちゃんとわかってるから」
百代はまっすぐにこちらを見ながら、力強くうなずいた。
僕は応じるように、憂いの表情を作ってゆっくりと首を振る。
「心配無用、今さら外野に何を言われても気にしないよ。道化師はそのおどけた仮面の下に、孤高の心を隠しているものだから」
「あ、思ってたほど演技じゃないんだ」
「いやいや……、つらいわー、
僕は棒読みで応じる。
百代は軽く笑って、
「やっぱり、キョウ君ってずるいと思う」
と言った。それは予想外の反応だった。
「えっ? どこが……」
「そういう……、三枚目っていうの? いいことをしてるのに、格好悪く見せようとするところ」
自覚はある。
善行をしたあとで、ずっと真面目な顔でいることができない性分なのだと思う。
「でも、それでいいのかも。キョウ君の良さをわかる人が少なくて済むし」
まるで〝キョウ君の良さ〟とやらを独占したがっているかのような口ぶりだった。
心の独占禁止法。略して心の
……ああ、こういうことを考えてしまうところが三枚目なのか。
返事に困っていると、ポケットの中のスマホが鳴動した。
休憩時間の終わりを告げるアラーム。
強制的に会話をぶった切ってくれるよう、事前に設定していたものだ。
「……それじゃ、休憩、終わりだから。戻るよ」
「ん。今日はありがと。すっごくうれしかった。ホントにうれしかったんだからね」
たぶん心からの笑顔を向けられても、僕は同じように返すことができない。
仕事での作り笑いとも違う、あいまいな苦笑いが、今の僕の精いっぱいだった。
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