第34話 こんな狭い教室の中では

 始業式の翌日。

 昼食を食べ終えた僕は、自分の席に座ったまま、残り時間をどう過ごそうかとぼんやり考えていた。


 前の席では、新作ゲームで徹夜をしたという赤木が、睡眠不足を解消するべく全力で眠りに落ちている。


 僕も彼にならって昼寝でもしようか。そう決めた途端、


「阿山さあ、ちょっと顔貸してくれない?」


 と声をかけられた。なんと女子からである。新学期早々、女子からお声がかかるなんて、まるで青春ラブコメの主人公みたいじゃないか。少しばかり心躍らせながら顔を上げる。


 僕を呼んだのは倉橋くらはし夏姫なつきだった。一年の頃はほぼ接点がなかった相手なので、話しかけられる理由がわからない。

 

 この子を動物に例えるならキツネだろうか。整った目鼻立ちだが、目じりが細く視線も鋭い印象がある。彼女は後ろに3人の女子を従えていた。声のトーンや表情からして、すでに友好的ではない。


「……ここじゃ駄目な話?」


 僕の質問に倉橋は答えず、教室の入り口を顎でしゃくって、先に外へ出ていった。

 ついて来い、ということだろう。

 一方的なコミュニケーションは、こちらを下に見ている証だ。第一印象のとおり、色っぽい話ではなさそうだった。とはいえ無視することもできず、うんざりしながら席を立つ。

 すると、眠っていたはずの赤木が片手をあげて親指を立てた。


 その手をひっぱたいて教室を出る。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 廊下の隅に連行された僕は、そのまま窓側に追いやられ、4人の女子に囲まれてしまう。


「百代と進藤って元鞘モトサヤになったの?」


 倉橋キツネは端的に尋ねた。

 なんの前置きもない率直さに、数秒ほど理解が遅れてしまう。


「え? ……ああ、あの二人なら、きれいさっぱり別れてるよ」

「の割に仲よさげだったけど」

「きれいさっぱりっていうのは、後腐れなく、付き合う前の状態――つまり友達だった頃に戻ったって意味だから」

「言い方ウザ」


 と直球で否定されて絶句する。


「口ではなんとでも言えるし」

「いきなり言い寄っても断られるから、様子見っしょ」

「外堀を埋めてるのよきっと」

「それそれ、あのぶりっ子そーゆーとこは考えてそうだし」


 などと4人は口々に暴言を垂れ流している。

 百代への敵意がむき出しだった。


 何これ、と僕は困惑する。

 女子人気の高い直路と付き合っていた百代のことを、快く思わない女子がいるのは知っていた。しかし、こんなにはっきりと敵意をぶつけてくるほどだとは思わなかた。


 しかも、倉橋は元2組。百代と同じクラスだ。だとしたら、百代は1年の頃からこんな風に恨まれ、大なり小なり嫌がらせを受けていたのだろうか。


 僕への聴取は終わっていたらしく、いつの間にか包囲は解かれていた。

 4人の背中が教室の方へ遠ざかっていく。

 

「チョーシ乗ってるみたいだし、ちょっと思い知らせてやらないとね」


 そんな物騒な言葉が漏れ聞こえた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 思い知らせる――そのための具体的な方法について、僕は考えを巡らせていた。


 午後はすべての時間がホームルームになっており、主にクラスの各委員を、立候補なり推薦なりで選出していくために費やされていた。考えごとにはうってつけの時間である。

 このままでは百代が危ない。

 倉橋たちの出方がわかれば、対策の立てようもあるだろう。

 僕はクラス会そっちのけで考えごとに没頭するつもりだった。


 日付によって抜擢された進行役が二人、やる気のない顔で教壇に立つ。


「それではまず、クラス委員から……はい、倉橋さん」


「立候補じゃなくてぇ、百代さんを推薦したいと思いまーす」


 え?


 僕は起立している倉橋を見た。

 倉橋は口元を吊り上げ、百代の方を見ている。

 やられた。内心で舌を打つ。


 まさかそんな、小学生レベルの稚拙ちせつな手を使ってくるとは思わなかった。

 百代は目を丸くして、口は半開き。

 かなり驚いていて、否定も肯定もできない精神状態のようだ。


 進行役も戸惑っている。そこに先生が助け舟が出した。

 ホームルーム程度、高校生ともなれば任せきりにするのが普通だろう。

 だが、先生は推薦すいせん合戦を恐れたのか、倉橋に問いかけた。


「百代さんを推薦する理由は?」

「あたしは1年のとき百代さんと同じクラスだったんですけど、彼女はいつも明るくて人と接するのも積極的だったから、その行動力を新しいクラスでも発揮して、みんなを引っ張っていけるクラス委員になれるんじゃないかと思いました」


 いけしゃあしゃあと、なんの臆面もなく倉橋は語る。だが、理由の文言じたいに大きな不備はない。先生もケチをつけることはできないようだった。


 確かにまっとうな推薦文だと思う。僕もさっきの呼び出しがなかったら、この子は百代をよく知っているな、仲がいいのかな、とのん気に感心していたかもしれない。


 クラス内から「さんせー」「いいんじゃないですか」「決まりでいいっしょ」などとやる気のない賛成の声がまばらに上がる。


 先生は百代の様子を見るが、あまり顔色がよくなかった。まだ落ち着いていない。


「他にクラス委員長の立候補や推薦は? ……なければ、委員長はちょっと後回しにしましょう。先にほかの委員を決めていってください」


 先生はそう言って進行役にバトンを預けた。

 少しの猶予ゆうよができたが、さあどうする。


 百代が狙われていることは問題だが、それ以上に、『狙う者』が同じ教室の中にいることが問題だ。こんな狭い教室せかいの中では隠れることもできない。逃げるなら教室の外へ脱出するしかないが、それでは百代の実生活への負担が大きすぎる。

 

 去年たしか、繭墨がクラス委員にされそうになったという話を聞いた。

 そのときは直路が鶴の一声で繭墨を救い、助けられた繭墨は直路に好意を抱くようになったという――まあ後半の話はどうでもいい。


 その手は今回は使えない。

 百代が敵視されている理由が、直路との関係にあるからだ。

 直路が手助けすれば、連中の反感を買ってしまう。連中は火で、直路は油なのだ。


 そんなことはお構いなしに、話を止めようと直路は立ち上がりかけていたので、僕は慌ててアイコンタクトで釘を刺さなければならなかった。腕で×印を作り、首をぶんぶん左右に振って、どうにか動きを押さえ込む。

  

 それでも直路は不服そうだった。当然である。どう考えたって悪いのは倉橋たちの方だ。だけどこういう場合、相手が悪いとかこちらが正しいとか、そういった倫理的な正誤を考えても意味がない。


 相手の悪さを止めようと思っても、直路が出しゃばれば倉橋がキレる。そして百代への攻撃が激しくなるという、因果関係があるだけなのだから。


 根本的に解決するには、どうすればいいのだろうか。


 先生に間に入ってもらうか?


 生徒より上位からの強制介入。押さえつけ。

 それなりに効果はあるだろう。

 しかし、どれくらいの期間、その効果は続くのか。


 先生だって人間で、見るべき生徒は数多い。

 一部の生徒間の問題だけに、長く関わってはいられない。


 先生の手が離れた瞬間、倉橋たちは鎖を解かれた猛犬のように牙をむくだろう。

 時間とともに興味をなくしてくれるかもしれないが、そうではない可能性もある。

 押さえつけられた時間は反感を育てるからだ。


 じゃあ改心させるか?

 自分が悪かったと反省させて、心を入れ替えさせる。


 ――それは無理だと即断。

 何しろ時間がない。ホームルームの終了まであと15分程度だ。

 どんな釈迦しゃかの説法でも悔い改めさせることはできまい。


 問題点はまだある。

 百代と相談する機会すらないから、肝心の彼女の出方がわからないのだ。

 倉橋による推薦を、百代はどう対処するのだろうか。


 推薦を断固として突っぱねる場合は、ホームルームが終わったあとが問題になる。クラスの和を乱す悪者という扱いを受け、倉橋たちには百代を公然と叩く口実――あるいは大義名分ができてしまう。


 逆に推薦を受け入れた場合、倉橋たちの攻勢は、いっときは落ち着くだろう。しかし、それは降伏によって得た平穏であり、心情的には敗北に等しい。あとで百代に追い討ちをかける可能性もあるし、そうでなかったとしても百代を敗者として格下に見ることは確実だ。


 百代は倉橋と顔を合わせるたびに、先に目をそらして、道を譲るようになる。そういう意識を刷り込まれるだろう。


 受けるのも拒否するのも、どちらも百代の利にはならない。



 ……だったら。

 手はひとつしかないじゃないか。

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