第16話 一生のお願い

 クリスマスイブ当日の、午後3時。


 百代はおそるおそる、冷蔵庫からブッシュドノエルを取り出した。

 ゆっくりとテーブルまで運んでいき、着地。


「ふぁあ……」


 百代は変な声を出す。

 運んでいる間、ずっと息を止めていたらしい。


「ね、どう思う?」


 上目遣いで尋ねてくる百代に、すぐには答えない。

 僕は完成したブッシュドノエルを、じっくりと検分していく。


 昨日の反省をふまえて、スポンジが乾燥しないようにラップをかけていたので、問題なくロールにできた。クリームも均一で、見た目には問題ない。丸太っぽい外見になっているし、振りかけられたパウダーシュガーも雪化粧のようできれいだ。

 切り口はチョコクリームのコーヒー色と、挟み込んだイチゴの鮮やかな赤色。丸太の上には〝Merry X-mas〟の飾り文字。


「……ん、見た目は合格と言えるんじゃないかな」

「そ、それじゃあ……」


 百代は震える手でケーキナイフを取り出して、端っこを切り取る。

 そして、2人同時に試食。


「ん! んんっ! これ……!」


 百代がほほを膨らませた。表情が一気に明るくなる。


「ねっ、これ……、お、おいしいよねっ、ね?」

「まあ落ち着きなよ。食べカスが飛んでる」


 まずチョコクリームだが、普通のチョコレートを使ったので普通の味に仕上がっている。スポンジ生地の方も、しっとり、とまでは行かないものの、パサつきや謎の硬い部分の混入もない、無難な食感だ。


 総じて、まあ、こんなものだろう、という味である。

 しかし、手作りということと、昨日の歴史的失敗を踏まえての再チャレンジということが大きな達成感を演出していた。気分の高揚が味覚を大げさにすることもあるだろう。


「これなら自慢できると思うよ。わたしが作りましたって顔写真を出してもいい」

「現役JKだもんね」

「それだと客層が妙なことになるんじゃないかな」

「阿山君みたいな人たちってこと?」

「僕だって現役DKなんだけどな……」


 ともあれ、人前に出しても問題のない出来であることが確認できたので、ブッシュドノエル様は再び冷蔵庫の中へと収納された。


「じゃああたし、いちど帰って着替えてくるね」

「開始は5時からだっけ」

「そーよ。先に誰か来ても、ケーキは絶対見せないでね」

「わかってるよ」


 サプライズをしくじれば、昨日の苦労の半分くらいは無駄になってしまう。それは僕も望んでいない。


 立ち上がった百代を玄関先まで送る。

 そのまま送りだそうとしたのだが、百代は戸口で唐突に振り返り、


「ね、阿山君。いっこだけ、お願いがあるの」


 真剣な顔で上目遣いをしてくる。

 緊張とか決意とか、そういう気持ちがはっきりと見て取れる表情。


「何? 部屋を提供する以外にまだあるの?」


 ちょっと意地の悪い言い方をしてみるが、百代はひるむでもなく、真剣な表情のまま、さらに近づいてくる。その頬がかすかに赤く色づいていた。


「一生のお願いなの」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 逃げるように走り去る百代を見送って、僕は部屋の掃除を行うことにした。どうせ汚れるだろうけれど、だからといって汚れを放置しているのは恥ずかしいことだ。


 実家に住んでいたときと違って、この部屋には僕しかいない。だから、汚れの原因はすべて僕にある。

 部屋が汚れていることは、部屋の主が身体的・精神的にきれいではないという証拠だ。そう思われることは避けたい。……百代が言っていた、僕は格好付けだという評価も、あながち間違っていないのかもしれない。


 やがて、4時半ごろになって繭墨がやってきた。


「お久しぶりです。終業式の日以来ですね」


 顔を見たのはそうだが、言葉を交わしたという意味では、商店街でクリスマスプレゼントを買って回った、あのとき以来だ。さすがにもう気まずさは消えていて、僕たちは普通に会話ができた。


「休みって何してるの?」

「家でぼんやりと、読書をしたり、あとは勉強ですね」


 壁を感じさせる、繭墨の当たり障りのない返答。

 繭墨はコートを脱いで畳みながら部屋に入ってくる。白地のセーターに、黒地のチェックのスカート。黒のハイソックス。肌色が見えるのは手元と首筋くらいだ。


「何か……、甘い匂いがしますね」


 繭墨は立ち止まって部屋を見回す。


「さあ、気のせいじゃないかな」


 僕は窓を全開にし、換気扇を〝強〟に入れた。

 繭墨が眉を寄せる。


「寒いです」

「さっき掃除したばかりだから、換気をね?」

「仕方ありませんね。わたしはともかく、進藤君なんかは気づいたことをすぐに言ってしまいそうですから」


 これは多分バレている。

 繭墨は口元だけでふふっ、と笑い、テーブルに円筒形の容器を置いた。

 クリスマスシーズンに圧倒的なシェアを誇る、チキン特化のファストフード店のものだ。


「それ、予約してくれてたんだ」

「ヨーコが鳥の丸焼きを作ると息巻いていたので、たぶん失敗するだろうと思って保険をかけておきました」


 さすが友達だ。よくわかっている。百代は確かに昨日、鳥の丸焼きを作りたがっていたが、あれはやはり止めて正解だったらしい。もっとも、あのサイズを焼く器具がない以上、どうにもならなかったと思うが。


「進藤君は適当にお菓子を買ってくるそうです」

「あいつ、こんな日まで部活なんだって?」

「有志を募っての特別練習らしいです」


 冬季休業特別練習 ~クリスマスに負けるな、俺たちには野球があるじゃないか~

 そう題した野球部の合同練習が行われているらしい。


 自由参加の自主練なので、せいぜい出席率は半分ほどだという。

 彼女がいない者は強制参加というわけではないし、逆に、彼女がいるから参加不可というわけでもない。だが、そんな場へノコノコ出ていく彼女持ちはおそらく直路だけだろう。


「何やってるんだか」

「進藤君らしいです」


 繭墨はうれしそうに笑うが、僕は心配だった。

 才能のあるヤツは自分の能力を高めることにばかり意識が向いて、ときに空気を読まなかったりする。他の部員とトラブルになってなければいいけど。


「何か準備を手伝いましょうか」

「いや、大丈夫。僕がやるからゆっくりしててよ」


 僕は申し出を断った。

 この部屋の台所は狭いので、人が増えても効率が上がらないのだ。


「そうですか、ではお言葉に甘えて」


 繭墨はテーブルの端の席に、正座を崩して座った。

 本棚から勝手に文庫本を抜き取って読み始めている。


 僕の本棚には、漫画が数えるほどしかない。

 これは読書家を気取っているわけではなく、単に部屋が狭くて置き場所がないだけだ。実家の蔵書は大半が漫画だし、レンタルショップには週イチで通っている。


「繭墨さんってどんな本読むの」

「恋愛、推理、社会派……、特にこだわりなく読んでいます。今はSFがマイブームですね」

「へえ。科学とか得意だっけ?」

「科学知識なんてなくても、雰囲気だけで楽しめますよ。SFの醍醐味は小難しい知識の羅列ではなく、それらをもっともらしく飛躍させた、作者のイマジネーションによってもたらされる世界観ですから。優れたSFはファンタジーよりもファンタスティックです」


「SFには手を出してなかったんだけど、そこまで言われると興味が湧いてくるね。何かオススメの本とかあるの?」


 本好きに対する鉄板の話題を振ると、すでに饒舌じょうぜつだった繭墨は、さらに多弁になった。ページをめくる手を止めたまま、オススメの本と推薦する理由、作者の作品に共通する精神――といったものを語り続けた。


 僕はその語りを聞きながら、繭墨へのリベンジの準備を終えた。

 器具を片付けると、カップを二つ、丁重に運んでいき、テーブルに置いた。


「あら、これは……」

「いつかのときは満足いただけなかったからね」


 以前、ダメ出しを食らったコーヒー。

 あのときと同じくペーパードリップで淹れたものだ。


「再挑戦というわけですか」


 香りは悪くないはず。あとは味だが……。


「では、いただきますね」


 繭墨はカップの取っ手をつまみ、そっと持ち上げた。

 香りを確かめるように鼻先に近づけ、空中で停止、そしてカップの縁に唇をつける。

 カップを傾けて、少しずつ――本当に少しずつ、口に含んでいく。猫舌なのだろうか。立ち上る湯気がかすかにメガネを曇らせていた。

 数秒ほどして、カップをそっとテーブルに下ろす。


「そんなにジロジロ見られるとやりにくいのですが……」

「ああ、ごめんごめん」


 僕は繭墨の斜向かいに座り、コーヒーを飲む。

 おいしいと自己評価。

 価格的には並の銘柄ではあるが、新品の粉を使っているし、淹れる手順や蒸らしの時間などにも気を遣うようになったのだ。

 その変化を、繭墨の舌はどう感じただろうか。

 反応をうかがっていると目が合って、苦笑いを返される。


「以前よりはおいしくなっていると思います。でも、わたしの評価など気にしないでください。コーヒーは淹れる人のものです。人それぞれのベストは微妙に違うはずですから」

「そりゃそうなんだけど、言われっぱなしは癪だから」

「意外と負けず嫌いなんですね」

「あと、自分の作ったものを認めてもらうのは単純にうれしいし」

「まさかの尽くすタイプですか」


 繭墨は呆れ顔をしつつ、またカップを傾ける。


「単なる気まぐれだよ。ちょっと時間が空いてたから」

「では、また気が向いたら淹れてくださいね」


 繭墨はさりげなく〝次〟の話をしてから、文庫本に視線を落とした。


 曖昧な約束は、彼女が距離を詰めてくれた証のような気がしてうれしかった。

 だけど、僕はとっさに返事をすることができない。

 

 ――だって、僕は今日、繭墨に酷いことをするのだ。

 そんなやつが淹れたコーヒーなんて、無料タダだとしてもお断りだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る